否認と孤立と怒りの残滓
退職の手続きが終わった後で、上司の言葉なんて無視してそのまま帰ればよかったのだが、如何せんその上司はシリウス・ブラック追跡の責任者で、何かと便宜を図ってくれた恩人でもある。
いくらとはいえ、そんな迷惑ばかりかけていた恩人である上司に会ってほしい人が居ると言われて、普段のように拒否することが出来ようか。
自分自身にとってはロクな事が起きないような気がしたが、それでも彼の言葉なら……と少しでも気の緩みを見せた事を、今となっては後悔していた。
目の前に座っているダンブルドアは魔法界ではなく、マグルの世界で通じるような服装をしていたが、不快なほどヒゲが目立っていたのでそこで全てが台無しになっている。
そして何より、服の配色がなんとなく彼のものと近かった。完全な八つ当たり対象ではあるが、にとってはそんな事は関係ないのだろう。
今の彼にとってアルバス・ダンブルドアという存在は同じ世界に存在しているという事実を突きつけられるだけで吐き気を催すような存在なのだから。
それらの感情が色々合わさって、さほど広くはないが小奇麗な個室に上質のソファと観葉植物が落ち着いた雰囲気を醸しているが、テーブルに置かれた温かい紅茶を挟んで、空気が完全に違っていた。
ダンブルドア側の空気はまるで春の午後のような暖かさがあるにも関わらず、その向かい側に座って煙草を吸っている孫が空気中の水蒸気を昇華させて細氷を作り出している。先程紅茶を持ってきた職員が泣きながらこの部屋を去って行ったりもした。
「……で、話は?」
「そう焦らんでもいいじゃろう。後に予定でもあったかの?」
「……寝ているジュニアをあいつらに任せてきた」
不機嫌どころかあからさまな殺気を放ちながらダンブルドアに促すと、青い瞳が数回瞬きをしてから、とても楽しそうに笑う。
「大した用でないのなら帰るぞ」
「いや、、すまんかった。それだったら早く帰らんといかんの」
腰を浮かせたに、ダンブルドアは座るように言って、渋々、本当に心から嫌そうな顔をしてソファに座りなおした。
「実は先日お主の同居人から、お主が闇祓いを辞めるという内容の手紙が来たんじゃが」
「……あの駄犬。後で蹴り殺す」
「これこれ、仮にも魔法省の建物内で犯罪予告をするでない。紅茶でも飲んで落ち着きなさい」
勧められた紅茶を完全に無視して、更に部屋の温度差を開かせながら、はもう一度、ダンブルドアに話をするように促す。
火の付いていた煙草を指先一つで消して、ポケットから取り出した懐中時計で時間を確認する様子に、ダンブルドアは落ち着いた様子で紅茶を飲んで口を開いた。
「実はお主に今年の闇の魔術に対する防衛術の教鞭を取って貰」
「断る、帰る」
皆まで言わせず即答したは、今度こそ完全に立ち上がり、話は終わったとばかりに部屋を出た。が、何故かその後ろからダンブルドアも付いて来る。
時折擦れ違う魔法省の役人からのなんとも表現しがたい視線を無視し、背後から何か懸命に話しかけていると思われる祖父も聞こえない振りを徹底し、アトリウムへ行くエレベーターを待った。
「本当は最初からこのつもりでお主の監視を解除したんじゃが……まあ、仕方ないの」
「……今回は、諦めがいいな」
ようやく口を開いたに、ダンブルドアはどこか嬉しそうに返した。
「親として生きている孫に、ひ孫を放って何年も離れたままわしの下で仕事をしろとは言えんよ」
その言葉に、は何か返そうとしたが、丁度エレベーターが来たので結局何も言わずにそれに乗り込む。
先に乗っていた魔法使いが驚いたような表情でダンブルドアとを交互に見つめ、恐縮したような態度を取るのを見て、は不快そうに眉を顰めた。
ある程度年配の魔法使いたちがこちらを見てコソコソと話し、若い魔女はそれに聞き耳を立てる。それだけでも不愉快だが、密室で狭い空間内に数人の人間が押し込められている状況は底辺を彷徨っていた彼の機嫌を一気に最下層まで落とさせた。
「。ジュニアとは上手く行っているのか?」
「……気になるのか」
「中々難しい子のようじゃからの」
「貴様の判断基準が理解できん」
「上手く行っているなら、それでいいんじゃ」
何をどこまで知っているのか判断が付かない言葉を吐き出し、はそれっきり沈黙を守った。
ダンブルドアは周囲の魔法使いたちと談笑し、地下8階のアトリウムに着くとと一緒にエレベーターを降りた。
「おお、そうじゃ。帰る前にこれを渡しておこうと思っておった、さっき買ったばかりなんじゃ」
すぐに姿くらましをしようとしたを呼び止め、どこからか取り出した紙袋を手渡す。
「……これは?」
「わしの好きなお菓子の詰め合わせじゃ。ジュニアに渡しておいて欲しい」
「おれを頼るな」
「うーむ……実はのう、恥かしい話どんな顔をして会えばいいのかがわからんのじゃ」
「そんなこと、おれには関係ない」
「それと、もしも、わしをどこかで見かけたら声をかけてくれんかの」
「断る」
「先程魔法省の中でお主とよく似たアジア系の青年に声をかけそうになってしまっての。しかも、それは不思議なことにわしだけではないようなんじゃ」
「人の話を聞け」
「それでは、頼むぞ」
「おい、いい加減に……本当に行きやがった」
逃げるが勝ちとでも言うように先に姿をくらませてしまったダンブルドアに、は呟き、複雑な感情を持って腕にぶら下った紙袋を眺めた。
恐らく魔法界のお菓子とダンブルドアの好物であるレモンキャンディーが入っている袋には、特にメッセージらしきものは入っている様子がない。
「また、あの男はそうやって……一体いつまで気付けないでいるんだ」
ダンブルドアが消えた辺りを見つめ、虚ろな表情でもアトリウムから姿をくらませた。
「ただいま……ジュニア?」
静まり返っている自宅の玄関に景色が一瞬にして変わり、ダンブルドアから無理矢理手渡された紙袋をリビングのテーブルの上に置く。
その隣にはチラシの裏にかかれた息子のメモ書きが残っていて、綴りがほとんと間違っているそれを読むと、少しだけ気分が優しくなった。
みんなで公園へ行ってきます。と伝えたかったらしい文章を確認し終えると、は踵を返して玄関の鍵を開ける。
「あの子がお前を好くか否か。決めるのはジュニアであって、お前やおれじゃない」
見上げた空には薄い雲が一面にかかっていた。