鬼事をする者たち
森の中に佇むと表現するよりは、森を吸収しているような力さえ感じるその屋敷を見上げは無表情のまま開け放たれた門をくぐった。
その日本家屋が与える威圧感はの家の比ではない。彼の家も親子三代が暮らしても余る程の空間はあるが、規模だけで言えばこれはその何十倍という大きさだった。
「久しぶりね、元気そうで何よりだわ」
玄関に辿りつく前に、背後から声をかけられは振り向く。
視線の少し下、そこに外見だけは二十代前半に見受けられる女性が静かに立っていた。顔立ちや立ち振る舞いが一般人より整っている事以外は、ごく普通の女に見受けられる。
「はわたしの事、覚えてくれているかしら」
「記憶違いがなければおれの父の義妹で本家現当主、そして手紙の送り主だが」
表情にも感情にも動きを見せずに返答すると、女は優しそうに見える笑いを浮かべ中庭の方へ歩き出した。は無言でその背中についていく。
人の気配が全くしない庭園を歩き続けていると、ふと赤い口唇から言葉が聞こえてきた。
「私が最後に貴方を見たのは赤ん坊の頃なのに、大きくなったのね……それに、益々兄上に似てこられて。本当に嬉しいわ」
「……」
「同じ家系にいるのに血の繋がらない私を娘と認めて下さらなかった義母上、金と力に支配され私を見ても下さらなかった父上……兄上だけは違った。兄上だけは私を認めて下さった」
前を行く女の瞳が遠くを見ている。
も女とは違う方向を眺め、遠くに見えた黒い影に目を細める。手首を翻すと指先に紙巻きの煙草が現れ、自然に火が付いた。
「兄上が魔女と子を設けた時、貴方が生まれた時、私の父は自らの力量も考えずただ欲の為に貴方を呪い……そして死んだ」
銜えた煙草を吸うと、薬草の香りが体中を満たす。息を吐くが、煙は出ていなかった。
「知っている。そして貴方の旦那が当主になり、そして……先月亡くなった」
「みんな……いい気味だわ」
女の目に暗い光が灯る、の表情が剣呑なものになった。
「残っているのは兄上を誑かしたあの魔女と、魔女の血をひく……貴方、そしてもう一人」
女の足が離れの扉の前でぴたりと止まり、何重にも施された結界が解除されていく。
視線を、感じた。
「兄上に近い霊力だったから引き取ったのだけれど、駄目だったわ。これは兄上ではなかったの。紛い物だったわ」
空気が軋むように痛む。は軽く空を仰いだが、女は意に介さないようだった。
「、当主としての命令です。これを処分なさい」
「拒否する。おれがこの子を殺さなければならない理由が一切ない」
目の前にあるのは、培養液に浮かんだ小さな肉の塊。
その存在を否定するでもなく、哀れみの表情を浮かべるでもなく、は銜えていた煙草を指先一つで消しただけだった。
「貴方が殺さなければならないの。貴方が殺して、これを食べれば、貴方は強くなれる……今より、ずっと強くなって、きっとあの魔女の血から来る力なんて必要ないくらいに」
「殺した者の死肉を喰らい血を啜り、その力を継ぐ。脈々と受け継がれる慣習、か」
「そう、そうして私は強くなった。だから今度はが、兄上の血をひく貴方が力を手に入れれば……きっとあの忌まわしい女の血も。それに、呪いを解いた貴方の元にきっと兄上は帰ってくる、貴方だって生みの親に愛されたいのでしょう?」
女にそう言われ、の表情が僅かに動く。
「図星かしら、それとも母親が心配?」
何も言わずにいると、女は「まあ、いいわ」とだけ言って口許を綻ばせた。
の足が暗い室内の中に向かって歩いていく。培養槽の硝子に片手で触れると、その辺りだけが白く曇った。肉の塊が液中に浮かんでいる。
空いた方の手の平も硝子につけ、最後に額を寄せる。
「……」
コツ、と額と硝子が触れ合う。そして悲鳴。
ゆっくりとが顔を上げると、培養槽の内側で変化が起きていた。
肉の塊は既にそこになく、へその緒をつけない胎児がいる。その姿は瞬く間に成長して既に三歳児程度にまで達していた。
触れていた手を離すと硝子は内側から砕け、液体が足を濡らす。
何故生かす早く殺せと、ヒステリックな女の声が聞こえた。
「こんにちは、ジュニア」
急速な成長を続ける身体をまだ上手く動かせずにいる少年が、の声に反応しぎこちなく首だけを動かして笑う。
「コンニチハ、ぱぱ」
「初めまして。そして、これからよろしく」
七歳児位にまで成長した体を軽々と抱え上げ、女の方へ振り返った。
まだ何かを叫んでいるようだったが、はそれを一蹴する。
「二度も言わせるな。おれは、貴方の命令を拒否する」
「っ、何故!? 何故わからないの、何でみんな私を置いていくの?!」
柱によりかかるように座り込んだ女に、は声をかけた。
「おれは貴方と一緒に居たつもりはない。だから、置いて行くも糞もない」
子供を抱えたまま、陽の光が溢れる外へと踏み出すと、それまで大人しかった小さな手の平が手元の長い髪を引っ張る。
「どうした?」
「……もーいーかい?」
茶水晶の瞳に覗き込まれ、の表情が綻ぶ。
三度目に仰いだ空には、雲と鳥しかいなかった。再び煙草を銜えようとして、腕の中の存在に気付きやめ、代わりに返事をする。
「もういいんだ。もう、いいんだよ……」
その声は、どこか明るみを帯びているようにも聞こえた。