曖昧トルマリン

graytourmaline

ニューロン

 幼い頃から、客観的な視点で物事を見るという行為が苦手だった。
 今思えば人格の根本を構成する時期に人間という生き物と縁薄かった事もあるかもしれないが、それも結局言い訳に過ぎない事を彼は知っていた。何も知らないような顔をして、他人と関わる事を極力避けて来たのだ。
 自分の行動が他人にどういった影響を与えるのか、その結果他人はどうなるだとか、本気で考えた事など無かったし、これからもない。
 無理なのだ。人生の大半を人間以外と過ごしてきた、そういった記憶を植え付けられた人間が今更他人を気遣うなんて出来ない。間違った道を長い間進んで、今になってそれは全部嘘でまやかしだと言われても後戻りなんて出来ない。やり直すには、自分は歳を取り過ぎたのだと彼は感じていた。
 努力もせずに何を言うのかと責められるかもしれない。責めるなら好きなだけそうすればいいとも、彼は感じていた。
 人間が忙しなく行き交う風景を眺めていた男が腰を上げた、直後、機会を通じてアナウンスが流される。搭乗準備が整ったらしい。
、行くのか」
 一つ席を開けて隣に座っていた、血の繋がらない祖父が声をかけた。最後の見送りがこの男とは何の因果だとは死んだ目で嗤う。
 待ち時間の間、随分話した。多分、この男とこれだけ話したのは人生で初めてだろうと思う。
 あの時、雷雨の中でリドルから引き離された時、この男はに呪いをかけたのだと言った。どうしてそうしなければならなかったのかとか、どうでもいいような、或いは言い訳めいた前置きを長々とされたが、要はヴォルデモートの肉体に触れると戒められるらしい。耐え難い激痛が縄のように体に食い込むそうだ。
「もう、どうでもいい」
 全てに対する思惑を口に出すと男の、ダンブルドアの表情が歪んだ。
 以前の自身ならば、そういった表情をさせる事に何らかの感情が湧き上がっただろうが、今のにとっては本当に全てがどうでもよかった。ただ、面倒臭いとだけ感じた。
「本当にあの子等に何も言わずにいいのか」
「それで、どうされろと」
 言った所で引き止められるだけだ。面倒臭い。
 彼等にとってみれば、は敵に育てられた人間だ。それだけでなく、彼等を裏切り、捨て、一時だろうと敵側に与して幸福を享受しようとしたどうしようもない、自分勝手な人間だ。
 あの家でハリーを、知人を見る度に、何と切り出せばいいのか。態度が余所余所しくなれば、そこからまた厭なものが生じ、関係が崩れ始める。
 自分という面倒事に関わる彼等を気遣っている訳ではない。単に自分が嫌なのだ。
「何年もしないうちに、おれの事など皆忘れる」
 人間なんてそんなものだ。事実、自分は彼等の顔すら既にぼんやりとしか思い出せないでいる。例外的な天才じみた記憶力の持ち主など、の知人には存在しなかった。
 アナウンスがもう一度流れた、ような気がした。
 どうせ手持ちもほとんどない。夜逃げと言うよりは家出に近い格好で出て来たのだ、ちょっと近所に買い物に行ってくる程度の荷物しかない。
 後の事などもう知らない。全部が全部、面倒だった。
、何も、そこまでしなくとも」
「もう、壊される事も、奪われる事にも、飽きた」
 ダンブルドアにはの行動が極端に映ったらしい。何て事はない、死ぬまで引き篭もるだけだと言うのに。
 不利益が生じないよう小細工をしたのなら、もう放っておいて欲しいとは感じていた。しかし、この男はそうでないのだ。1の次は2、2の次は3と延々とどこまでも関わってくる事は目に見えていた。
 どう足掻いても望んだ幸福が得られないのならば、せめて不幸にはなりたくないと思ったから、自分の為に作られた綺麗な箱の中に逃げるのだ。文字通りの、現実逃避で。
「彼等に何か伝言は……」
「お前には、頼まない。お前は、おれの言葉を語れない」
 感情が沈殿した、泥のような瞳が空色の目を正面から射る。
 背を向けて飛び立つ前に、お前が死ねば良かったのにと、もう一度口に出そうとして、止めた。今のには相手を傷つける言葉を吐き出す事すら面倒だった。
 結局、それ以上会話をしないまま、彼は故郷へ飛び立つ入り口へ向かった。残された老人の謝罪の言葉は、彼に届かないまま雑踏の中で塵芥となった。