曖昧トルマリン

graytourmaline

砂礫王国

 巨大な蛇が声帯を揺らした。
 外では雨が降っている。
「ナギニ、ご主人様を待ちくたびれた?」
 声帯を揺らすナギニという蛇には苦笑する。
「じき夜になる」
 黄金と灰色が混濁したような空の色の、切り取られた一角が白い窓越しに見える。しかしナギニはキッチンの方から流れてくる夕食の匂いの方が気になるようで、しょっちゅうそちらを見てはまだかまだかと尾の先を揺らしていた。
 その合間、時折を伺うように見ては、何やらものを言いたそうに声帯を鳴らす。
「ナギニは、リドルが誰と何をしているのか、きっと知っているのだろうね」
「……」
「何となくだけど、おれにも判るよ」
 驚いたようにビクリと跳ねた大柄の蛇には笑ったまま話を続けた。
「ユニコーンの血と、蛇の毒……それをベースにした魔法薬はないから、オリジナルだろうね」
「……」
「でも近しいものなら本で読んだよ、地下の書庫で。まだ新しい、誰かが触れた形跡もあったし。あそこにある本は闇の魔術の物が多いから、おれには使えないけど」
 雨が強く窓を叩き始めた。
 最近は雨が多いな、そう呟くの背中を胴でぐるりと回ってナギニが声帯を揺らす。
「ごめん。ナギニが何を言っているのか、おれにはわからないんだ」
 人馴れした大人しい猫の顎を撫でるように、優しくナギニの頭を撫でた。
「残念だね、ナギニはおれの言葉がわかるのに……おれだけ一方的に話して」
 そう言うとナギニは大きな頭をにすり寄せて、喉にある声帯を何度も鳴らした。背中に当たっているその場所から振動がくる。
 少し遠くの方にあった尾が足下まで来ると、緩い螺旋を描くようにナギニがを抱き締めた。滑らかな鱗がするりと触れる。
「怒って……いないことはわかったよ、ありがとう」
 表情が読み取れず、犬や猫のように感情を表す術もない蛇は尾の先をゆっくりと振っての膝の上で頭を休ませる。
「そうだ……ねえ、ナギニ。一つ頼み事があるんだけど」
 その言葉を聞くと、ナギニも了承したように尾の先端を振った。
「さっき、占った結果でリドルが悩んでるみたいだから言っておいて欲しいんだ。おれは今が一番幸せですって」
「……」
「やっぱり惚気に聞こえる?」
 肯定するようにナギニが喉を鳴らす。
「ナギニが人間の表情が出来たら、今ごろ呆れてるか」
 再度肯定するようにナギニが鳴いた。
「自分で言えって思っているのかな」
 更に肯定してナギニは鳴いてみる。
「判ってはいるんだ。でも、何か引っ掛かるん。すべての終わりと新たなる始まり、更なる高みへの再生……あ、これはリドルには言わないで。彼は何にでも心配するから」
 そこまで言うと、ナギニは首を上げてずるずるとの頭とソファの上から降りた。
 じっとドアの方を凝視して、に開けるように促した。
 ナギニに促されるままソファを立上がってドアの方に近付いていき、ドアの部に手を掛けると、軽いノックの音がする。
「リドル」
「遅くなって済まない。もしかして、話の最中だったか?」
 ズルズルと胴をくねらせて大きな窓の方へ行き、器用に鍵を開けて庭の方へ出て行ったナギニを見つめながらリドルが言う。
「ううん、丁度終わったところ」
「そうか、ならいいが」
 は不思議そうにリドルを見上げる。途中、目の端で三つ奥の部屋に誰かが入っていくのを見た。
 何か布で覆われた包みを抱えた、小柄な魔法使い。例の魔法使いだった。
「……?」
「リドル、あのさ……」
 すぐに視線をリドルに戻して、は口調を気にしたように遠慮したように言う。
「嫉妬、してない?」
「誰に?」
「ナギニに」
「何故?」
「おれとナギニが話してたから」
「何故そう思う?」
「だって口調が……なんだか焦ってる」
「……していない、と言えば、嘘になる」
 微かに頬に赤みを差しながらリドルが答えた。
「悪かったな。大人気なくて」
「誰もそんなこと一言も言ってないよ」
 曲解しなくていいのに、と柔らかい笑いを浮かべたは内開きのドアを開いて毛足の長い絨毯の上を音もなく歩き出す。
 少々疲れた様子でリドルはソファに腰をかけ、が何時の間にか用意されている紅茶を淹れた。柔らかい香りが雨の独特の匂いと混じって消えてゆく。
「ああ、閉めなくていい」
「そう?」
「風が涼しい。雲行きは怪しいが、嵐になる前に閉めるといいだろう」
 ふわりふわりと揺れる白いカーテンは次第に大きくなり、庭の向こうの黒い林を映し出す。
 そこには森の放つ独特の雰囲気のせいか生き物の気配がせず、さっき出て行ったナギニも既に森の奥に言っているのか姿が全く見えない。
「雲の流れが速い」
「そうだな」
 次々と現れては去っていく雲を見上げ、は何か不安な気持ちが体の中で芽生えているような気がした。
 心の中の暗い靄が、段々と広がっていく。
「……?」
「やっぱり、なんだか変だよ。なにか……リドル?」
 強い風に流されるように振り返ったそこに、リドルの姿はなかった。
 ただじわりと紅茶が絨毯にシミを作った跡だけが、残っていた。