子馬
ハウスエルフから伝言を聞いたは午前の間は書庫に籠っていたが、昼食を取りにダイニングまで足を運ぶと見渡す限りの青空を見付け久し振りに外の空気を吸いたくなった。
昼食を庭に持ってきて貰い、遠慮するハウスエルフたちを結局引き止める事も出来ず一人で用意されたサンドイッチを口に運びフルーツを切っていく。
何もやる事がないのもつまらない、はそう感じていた。
「今まで、こんなに暇を感じた事ってあったっけ……あったかな」
芝生の上に配置されたベンチでぼんやりと雲を見上げ、城と呼ぶに相応しい館を眺めながらスルスルとオレンジの皮を剥いていく。
まだ少し酸っぱそうな香りが仄かに香った。
とにかく暇だった。
「でも、前はもっと……こんなに詰まらなくなかったのに」
思った通り酸っぱいオレンジを口に含んで再び空を見上げる。
目の前にはオレンジに振り掛ける砂糖が用意してあったが、とても口につける気にはなれずよう約半分ほど食べ終えると小さな溜め息を付いてバスケットの蓋を閉じた。
すると屋敷の中から下僕妖精が現れて、紅茶のポットとフルーツの入ったバスケットを残してそれらをさっさと片付けてしまい、またもや暇になってしまう。
「……どうしたんだ?」
相変わらずそよ風が吹く中で背後に現れた気配に振り向く事なく言葉を投げた。
無言で現れたそれは、泥で黒く汚れていたがユニコーンの子供に間違いない。金色の体毛を所々にチラつかせながら怯えるようにこちらに近付いてきて、物欲しげにの持つオレンジをじっと凝視する。
「いいよ、こっちにおいで」
その言葉がわかったのか、ユニコーンの子供はの手に乗っていた半分のオレンジを銜えて、また少し距離を取るように森の中へ入った。
「このバスケットの中のものも食べるといい、もうおれは食べれないから」
警戒されないようにゆっくりとバスケットの中身と砂糖を差し出し、芝生の上に置くと今度はがそこから離れて井戸の方まで歩いて行ってしまう。
ユニコーンはしばらくその様子を眺めていたが、再びおずおずと足を進めてバスケットから取り出された果物を食べていく。時折砂糖を舐めては井戸の方で水を汲んでいるを眺め、何の変化もないのか疑り深くその人間を見張った。
やがて大きな桶一杯の水を二つも持って歩いてきた人間は、片付けをしている妖精たちにタオルとアルコールを頼んでその桶の一つを下ろす。
「足を怪我しているだろう」
そう言うと桶の水で左後ろ足を丁寧に洗い始め、ついでとばかりにもう片方の桶の水を全身にかぶせ始めた。
「……魔法で出来た傷だな、まだ新しい」
すっかり綺麗になったユニコーンの後ろで膝を突いて用意されていたタオルで水滴を拭い、火傷にも似たその切り傷をまじまじと観察する。
血が滲んでいる程度で傷はそう深くはないが、タオルにアルコールを染み込ませそこに当てると独特の鳴き声が響いた。
「魔法で出来た傷だから本当は魔法薬で治すのがいいんだけれど、今のおれには無理だから……痛いだろうけど、ごめんね」
そう言うと、はタオルを裂いて包帯のようにユニコーンの後ろ足に巻き始める。ユニコーンはというとマグルの治療法をまじまじと見つめて、その結果を待っているようだった。
手慣れている様子で白いタオルがユニコーンの足を覆っていき、包帯が完全に巻き終わるまでそう時間は掛からずに済むと、礼を言うように頭を下げた。
「あとは自然の治癒力に任せるといい。まだそんなに速く走らない方がいいけれど、特に問題はないから」
何度かたてがみを撫でた後、別れを惜しむようにこちらを見るユニコーンに森に帰るように言い聞かせ、ようやく歩きだしたそれに軽く手を振って見送る。
それとほぼ同時に、少し離れた森の入り口から何者かがこの庭へと入ってくるのを確認する。リドルではない、自分よりも小柄だが男か、それでなければ老人だろう。
運悪く森へと迷い込んでしまった人間だろうか、それともリドルに会いにきた魔法使いだろうか、そんな事をぼんやりと考えながらはその人影の方へと歩いて行った。
「……?」
頭の隅が、何かを押さえる様に急に疼き出す。深い水底から上がったような、強い眩暈と吐き気にこれ以上それを知ってはならないと身体が拒絶していた。
別に知りたいわけじゃない、いや知りたくない。
膝から力が抜け、頭の血が引いていく感覚がする。頬に芝生が触れて森の奥から魔法が放たれる音が耳に届き、銀色の血溜まりが視界に映った。
ああ、さっきのユニコーンは死んでしまったのかな……そんな事をぼんやりと考えながら意識が遠のくのを感じ、瞳を閉じてしまう。
空の色が、再び灰色に染まり始めた。