荒野
「……って事は、家の中かな」
この家の面子でそんな騒音を出しそうな人間は居ないはずだけれど、もしもスネイプが実験に失敗していたら面白い。ありえない妄想から生み出された好奇心はハリーを椅子から立ち上がらせ、部屋の外へと誘い出した。
一体何処からの音だったのだろうかと首を傾げ、まずはリビングから行ってみようかと考え至った所で、奥の部屋のドアが勢い良く開かれた。予想していなかった音にハリーの心臓が跳ねるが、すぐに落ち着きを取り戻して背後を振り返る。
「!? どうしたのその格好!」
埃塗れのローブで部屋から現れた屋敷の主に駆け寄り、一体何があったのか尋ねるが、黒い瞳は自分が保護している少年の姿を捉えると明らかに安堵して何も言わずに腕を取って歩き出した。
ハリーの見上げた先には血の気の引いた顔があり、確実に何かがあった様子が見て取れる。何となく話しかけてはいけないような気がして、大人しくに連れられてリビングまで来ると、意外にもそこには現在居候をしている男全員とバックビーク、そしてヘドウィグまでもがいた。
口喧嘩の仲裁をしていたリーマスが屋敷の主の帰還に気付いて、おかえり、と言おうと振り向く。しかし、今の今まで穏やかだったその表情は、の様子を悟ったのか、一瞬にして険しいものとなった。
「今すぐハリーを連れて家を離れろ」
「何があったんだい?」
二人の声色に喧嘩を繰り返していたシリウスとスネイプもそれ所ではない事態になっている事を知ったのか、ヘドウィグを外へ逃がしバックビークをキャリーに入れる。
ハリーは握られていた手が微かに震えている事に気付いて、その手を力強く握り返した。シリウス以上の実力者がこうなる程の事が起こっている事だけはハリーにも判った。
「ヴォルデモートが来る」
静かに放たれた言葉に、誰も冗談だろうとは言えなかった。言うような人物ではないし、こんな悪質な事を言う必要もない。
「敷地内の結界も、恐らくそう長くは持たない。時間を稼ぐ、身を隠せ」
「時間を稼ぐだって?」
大型犬が唸るような声で上げられた質問者にハリーを預け、は白く汚れたローブを脱ぎ捨てながら当然のように言った。
「逃げろ、お前達では時間稼ぎすら無理だ」
「何言ってるんだ!?」
「馬鹿を言うな!」
「そうだよ、君も一緒に!」
三人が反論した瞬間、階上からもう一度、稲妻が奔る音がしてリビングに息の詰まりそうな程苦しい緊張が生まれる。唯一、感情を暴走させる事ないでいたは、杖を振り上げて同居人たちへ白い閃光を放った。
待て、と誰かが叫ぶ。ハリー以外の全員だったかもしれない。気付けば四人は屋敷の裏庭に面する通りに投げ出され、全身を強く打ちつけていた。キャリーの中のバックビークが僅かに不満そうな声を上げるが、今の状況が理解できているのかすぐに大人しくなる。
「あの馬鹿者が!」
真っ先に立ち上がったスネイプは敷地内へ足を踏み入れようと前進するが、見えない壁に弾き飛ばされ数メートル後方で背中を打ち付けていた。
それを見たリーマスは先程のよりも更に白い顔で結界だと呆然と呟く。それの意味する事を理解したシリウスも青い顔になり、ハリーは自分の中に生まれた言葉をそのまま吐き出した。
「結界って、でも中にヴォルデモートが」
「だからあいつは馬鹿なんだ!」
掠り傷だらけで歩いてきたスネイプは見えない空間を叩いて大きな舌打ちをする。
「術者が解除しない限り中の者も外に出れない代物だ」
「シリウス、それ下準備が必要な奴?」
「ああ、そうだ」
滅多に厳しい顔を見せないリーマスの眉間に皺が寄り、結界を杖で叩いていたシリウスが何かに気付いたのか息を飲んだ。
手に持った杖を強く握り、空いた手でハリーの肩を叩く。一体今度は何が、言葉に出さなくても判るほど不安を表情に出している少年は体を強張らせ、次の言葉を待った。
「リーマス、ハリーを連れて身を隠してくれ」
「の頼みを断るっていうのかい。君達は?」
鳶色の瞳がシリウスと、そしてスネイプを見つめる。互いにこの男と意見が合うのは不服だと無言で語ったが、それでも引く気は一切ないらしい。
「更に悪い物を見つけた」
「悪い物?」
「この結界、術者が死んだら二度と解けないように作られている」
「……本当に、セブルスの言う通りだ」
馬鹿だよ、そう呟いて震える唇を噛むリーマスの手を握り、ハリーは自らの恐怖を打ち消すように笑った。
「ぼくも行かない」
「ハリー!?」
「がこんな人だとは思わなかった。こんな酷い別れ方する人だなんて、思わなかった。だから一発殴らないと気が済まない」
エメラルドの瞳が誰よりも強い光を帯びて主張する。
シリウスはそれに大いに賛同し、同じようにの願いに背いているスネイプも賛成はしないが反対もしなかった。
唯一の言葉に従って行動していたリーマスは、とても険しい顔をして杖を取り出すと残念そうな声で言う。
「……結界を解くよりも、一般人除けをしておかないとね」
「ありがとう、リーマス!」
「後で全員でを殴って、それからこっぴどく叱られようか」
投げ出された提案は、その場の誰もが賛成し、四人の間に少しだけ笑顔が戻った。