煙
人酔いしやすい体質のにとっては決して快適な場所とはいえなかったが、それでも目的をもって来ているだけあって今は酔いはしていないようだった。
「家には、使いを任せることの出来ない者ばかりだからな……」
リーマスは記憶力に不安が残り、スネイプに可愛らしい焼き菓子を買わせるのは少々酷だ、シリウスは論外で、ハリーは一人で出かけさせるのが心配、と言うことで自分で買出しという結論に至る。
人ごみの中で相手にぶつからないようにするすると歩いて行くはノクターン横丁へと通じる路地を見つけた。
「……?」
目の端で蒼い、煙のような光がぼんやりとの視界に入ってすぐに消えた。周囲の人間は誰も気付いていない。
「……生霊?」
感覚的に、漠然とそれを掴んだはしばらくそれをじっと凝視していたが相手に悪意はないらしく、こちらをじっと見たまま動こうとしない。
ただ、怨念を含んだ霊でもないのに自分の気を止めるその存在が気になった。
懐中時計はまだ自分に時間があることを告げる。誘われるがままに、はノクターン横丁に足を向け薄暗い路地を流れるように歩き出した。
悪戯盛りの少年の心を擽る名前のこの横丁は、決して楽しい気分になれる場所ではない。昔から気味の悪い魔女や魔法使いが路頭を彷徨っていて、魔法界の裏の情報で溢れ返っている。どんな時代、何処の国でもこんな場所はあるものだ。
「どこに連れて行く気だ?」
暗い小道、怪しい店、不審な人間、それらを通り過ぎ語りかけるが、を先導する霊は何も答えない。ただ所在無く空気の中に佇んでは風に流されるまま更に路地裏にを導こうとする。
「お前は誰だ?」
ぽつりと呟いたは、その霊がようやく止まった路地の前であからさまに不快な顔をした。
微かな明かりを頼りに其処から見えたのは背の高いシルバー・ブロンドの男性。死喰い人と噂されているマルフォイ家の当主がいた。
「ヴォルデモート卿。他人の体を借りてまで一体何がしたいんだ、自殺志願か?」
「……そうか、まだなのか」
「まだ?」
「まだお前は、私を……」
熱っぽいアイス・ブルーの瞳がの黒い瞳を見下ろした。先程から殺気の欠片も、敵意すらも感じられない相手に奇妙な感覚を覚える。
「アルバニアに居ると噂で聞いたが」
「何時までも引き篭っている訳にも行かないだろう」
「出来ればそのまま引き篭っていて欲しかったが……しかし、霊に憑かれる身にもなれ。その男、しばらくは使い物にならないぞ」
「構うものか」
吐き捨ててから闇の中でうっすらと口端を吊り上げたルシウス、いや、ヴォルデモートはの唇を親指でなぞりながら残念だと呟く。
「。三日後だ、三日後に此処へ来い」
そう言うと羊皮紙の切れ端を一枚に差し出し、も無言でそれを受け取った。
沈黙は、暗黙の了解でもあった。
「質問は?」
「ない」
「では、来ると言うことだな」
ヴォルデモートの言葉には当然のように頷く。
「来なければ誰かの命がなくなると思っているからな」
「そうか」
魂が変わっても相変わらず冷たい笑い方をする男の容姿に、は眉根を寄せたが背後から響いた少年の声に一瞬の気を取られる。隙を付いて手入れをされた長い指がもう一度に触れて、耳元に囁きを残す。
「記憶の扉を探れ。何故お前は、私に杖を向けていない?」
「……え?」
気を失って倒れかかってきたルシウスを抱き留めると、自分の周囲を取り巻いていた煙のような空気が消える。
「そうだ……どうして、おれは」
ヴォルデモートに杖を向けなかったのだと、今頃になって思い出す。しかし、その言葉の通りにしてはいけないと脳が警鐘を鳴らし、微かに見える青い空を仰いだは叫びたくなっている自分を押し殺し強く目を閉じたのだった。