曖昧トルマリン

graytourmaline

ビートルズ

 この家の主、の朝は早い。私は夜明けと共に目を覚ますが、その時間帯には必ず起きて人間用に食料の加工を行っている。それは鶏や魚の死骸だったり、その辺りに生えている雑草と大して変わらない植物だったりするが、兎に角、必ずダイニングキッチンに居た。
 今日も曇天の中で目を覚まし、木の幹をのっそり歩いている黒光りの虫や近くを通りかかった動物を二三匹狩る。
 幸いな事にこの家は餌に困らない程度に色々な動物が住み着いていて、体を縮められてからは食に関して困る事がなくなった。出来る事ならば元の大きさに戻して欲しいのだが、今の生活が特別不便という訳でもないので良しとしようではないか。
 全身の手入れをしてからキッチンへ向かうと、が甘い匂いのする実を持って加工を行っていた。裏庭からやってきた私に気付いたようで窓を開けると朝の挨拶をしてくる。
 鳴き返す訳にも行かず頭を下げると、いつものように深皿に水を入れて私に差し出した。それからもう一度私の顔を見て、食事が必要かどうかを判断する。満腹でも空腹でもないと判断されなかったらしく、今日は肉も魚も出されなかった。
 代わりのつもりかは判らないが、は持っていた細長い実を半分だけ切って私の皿に乗せる。外へと突き出た窓枠で羽を休め、ねとっとした甘い香りの実を突くと、そう悪くはない味がした。しかし、何処かで嗅いだ事のある香りだ、一体何処だったか……。
 皮も実も柔らかい果実はこの家に住む人間達の朝食にもなるようだ。私が考え事をしている間にもは大きな白い皿に白いべとべとした物を入れて、その上に今の果実を盛り付け、更に加熱処理をしている。
 熱せられた事で果実の匂いが強くなった。虫が集りそうな程熟れた匂いのするそれが完成する間、豆やら魚やら卵やらを処理していた。相変わらず肉の量が他に比べて圧倒的に少ないが、鳥を絞めたり兎を捌いたりする事もたまに見るので別に嫌いな訳ではないらしい。
 甘い果実を食べ終えてすっかり満腹になった私は場を退き、丁度やってきた白梟のヘドウィグに譲った。ヘドウィグは朝の食事として小型の梟の死骸を選んだらしくそれを丸呑みして自分の皿から水を飲んでいる。
『ハリーが見たら困惑しそうな獲物だな』
 自然界では間々ある光景を眺めていると、が優しい吐息に混ぜて鳴き声を上げた。人間のそれは複雑過ぎて何を言っているのか判らないが、気配が穏やかなのできっと大した事ではないのだろう。
 陽も昇り始め、木々の陰がはっきりし始めるとヘドウィグは一眠りする為に飼い主の元へと帰って行った。その姿を途中まで見送っていたは何かに気付いたように一瞬だけ動きを止める。
 視線は階上を走る足音に注がれ、また吐息が隠されずに零された。私がここに連れて来られてからというもの毎日繰り返される光景なだけに、いい加減驚くよりも面倒臭く感じ始めたのかもしれない。
 なにやら例の果実で作り始めたの前に慌しい足音と共に姿を現したのはシリウス。一応、現時点での私の主である。
 シリウスは私と共に此処に連行されてからというもの、目を覚ます度にこうして慌ててを探し、それから恐る恐る抱き締めていた。何がシリウスをそうさせているのかは知らないし、知りたくもないが、血の気の引いた顔色をしているのを見ると相当な理由があるのだろう。
……ああ、よかった。だ、夢じゃない』
『勝手に夢にしてくれるな。これでも食べて大人しくしていろ』
 冷たい口調を装ってはいるが、吐き出される鳴き声はどうしようもなく温かい。つくづく人間とは無意味に器用な生き物だと思う。
 いつものようにから突き出された何かを受け取ったシリウスはそれを大人しく食べていった。
『怪我は無し、食欲もあるようだな。少しは落ち着いたか』
『ああ……すまない、毎朝』
『謝るな』
 の表情が険しくなったが、苦い豆から作られた液体と牛の母乳を混ぜた物質を差し出す目付きは優しい。重ね重ね器用な人間は居るものなのだ。
『その妄執があったからこそアズカバンを生き抜いて来れたんだろう。近くに吸魂鬼が居ないからといって、簡単に捨てる事の出来る物でもない』
 シリウスの髪についた寝癖に指を絡ませて元に戻すと、今度は水を加熱し始める。湯気が吹くまでの間に残った果実を調理して二人分の皿に盛った。
 片方には黒い液体、もう片方は砂糖と一緒に加熱処理されている果実をテーブルに置くと同時に大人と子供の二人分の人影がキッチンに入ってきた。大人の方がリーマス、子供の方がハリー。
 リーマスとは縁がないが、ハリーには処刑されかけた私を救ってくれたという事もあり、少なからず恩がある。
 二人はとシリウス、そして私にも挨拶をすると、甘い匂いがすると笑顔を見せた。バナナ、何度も連呼されている鳴き声はバナナと聞こえる。それがこの果実の名らしい。
 は先に余り物を片付けさせる気なのか、甘ったるい匂いのする黒茶色の液体のかかったバナナをリーマスの前へ、砂糖と一緒に熱処理されたバナナをハリーの前に置いて、干乾びた茶色の雑草にボコボコと泡立っている水を注ぐ。
 バナナの香りが充満する部屋をぼんやりと眺めて、はた、と私は気が付いた。
 何処かで嗅いだ事のあるこの甘くねっとりした香りは、私が今朝ほど食べた甲虫を誘き寄せる罠によく使われている。
 無論、礼節を弁えた私はに餌付けされつつある男達と甲虫みたいだとは微塵も思わなかった。