マヨヒガ
シリウス・ブラックが逃走したという連絡をダンブルドアから受け取ったのは日付が変わってすぐの事だった。
逃走場所はホグワーツ、夜明けまであと6時間ほど、ヒッポグリフに乗って飛んでいったとの事だった。それではそう遠くに行けるはずはない。
居ても立ってもいらず、すぐに着替え、奴が今どこにいるのか、正確な位置を占った。
これで一応、学生時代は占い学の成績は誰にも負けたことが無かった。百発百中とは行かない。けれど、全身全霊をかけた占いは草々外れることがなかったのもまた事実だ。
手持ちのカードでは余りにも頼りなさ過ぎた。水晶玉もあまり愛着がなかったせいか、結果が外れる事が多い。窓の外の月が明るい、満月だ……一瞬ルーピンの顔がよぎった。
数十本の棒の束を取り出し、雑念を祓う。混ぜ合わせ、引き抜かれ、並べられたその束から必要な情報を読み取り、髪を束ねる。
「南……こちらよりはまだ北か、家……小屋か? 小さな、古い。森、深くない……駄目だ、まだ足りない……距離は」
焦る心を抑えて、並べられた棒の言葉を読んでいく。
「車で夜明け前までに辿り着かなければ……杖を使えば、ヒッポグリフも保護できるか」
車のキーを握り締めながら、おれは一人部屋の中で大きな独り言を言った。
「何であの馬鹿は、何時だって詰めが甘いんだ」
車に乗り込んで、アクセルを思い切り踏む。静かな夜を走る中で、鼓動だけが異様に早く脈打っていた。
吸魂鬼から逃げて、夜明けが近くなって、森の中にヒッポグリフと共に身を隠した。少し歩くとボロボロになった山小屋があり、人の住む所からそう離れていない事を知った。
もっと遠くへ逃げなければいけないことは判っていた。けれど、おれも、ヒッポグリフも心身ともに疲れていて、少しでも休息が必要だった。
「悪いな……食べ物は持っていないんだ」
じっとおれを見るヒッポグリフは、その言葉を理解したのか、小さな山小屋の隣に身を寄せて眠る事を決めたらしい。
空腹で思考はまともに働いてなかった。
ただ漠然とした物が心の中に居座り、やがておれは眠りについた。
夜明けまであと2時間ほど。
それまでにブラックを見つけ出さなければならない。夜が明ければ魔法省が動き出す、その前にどうにかしなければ。
こんな広大で根気の要る隠れんぼ、学生時代にだって経験していない。
今のおれには無限に等しい森林の中からたった一つの山小屋を発見しなければならない。余りにも範囲が広大過ぎる。
任せられるのは、自分が導き出した占いの結果と、勘と、本能。こうして並べてみるとあまりにも空虚な言葉ではないか。
おれはアクセルを踏んで、目的の場所付近にまで車を走らせた。
妙な不安に駆られ、夢も見ずに起き上がる。
粗末な毛布が一枚だけのベッドから抜け出し、辺りを見回してみる。
まだ薄暗い。あれからほとんど時間は経っていないようだった。
借りた杖がない。これでは何も出来ない、ヒッポグリフと共に逃亡するには夜を待たないといけない。けれど、それまでに誰かがここに来たら?
ハリーと親友の誤解を解いたとはいえ、おれはまだ犯罪者として世間では見られている。
「……っくそ!」
どうしようもない憤りだけが募る。
それが酷く空しい。
「ジェームズ、リリー、リーマス……」
……。
に、会いたかった。
逃亡中に一度だけ顔を合わせることの出来た親友であり、未だ片想いの人。
顔つきも、体格も、声も、随分変わっていた。けれど、性格は以前のままで、おれへの接し方も、昔のままだった。
人殺しをしていると言われて悲しかったけれど、それでも会えた事は嬉しかった。
「会いたい。……」
「……ここに、いる」
「え……」
声を聞いた。
振り返ると、彼がいた。
信じられなかった。
夢であって欲しくて、夢なら覚めないでくれと願った。
思わず涙が出てしまって、こんな時なのにカッコ悪いと思ってしまっている自分がいた。
車を停めて、二本の脚でひたすら森の中を走った。
普段から鍛え上げている肉体と、追い詰められた事で鋭さを増した勘が自然と体を動かして目的の場所へと案内してくれる。
薄く靄のかかる森の奥地へと足を踏み入れる。
結果を言うと、一人の人間を捜すより、一匹のヒッポグリフを探す方が楽だった。一度だけ道を尋ねに話を聞いたマグルが「今はもう誰も使っていない小屋」の有りかを尋ね、その場所を手に入れた。
この場所でなければ、恐らくもう時間はない。
「……見つけた!」
見つけた。霧の向こうに微かに見える魔法界の生物。
「ヒッポグリフ……」
ぬかるんだ地面に足跡を残しつつ、おれはその魔法生物と視線を合わせた。
おれの気配を悟ったヒッポグリフは、視線を合わせるとすぐにおれにお辞儀をして嘴で扉のない小屋の入り口を指し示してくれた。
ゆっくりと小屋の中を覗いて見る。
ブラックは、ガラスのない窓をぼんやりと見上げている。こちらに気付いた様子はない。酷く落胆して、疲れた様子だった。
「会いたい。……」
「……ここに、いる」
「え……」
息が弾んで掠れた声でも、ブラックは聞き取って、こちらを向いてくれた。
ボサボサの伸びきった髪。
痩せこけた頬。
以前とほとんど変わらない格好だったけれど、とにかく、どうしようもなかった。
先に行動を起こしたのはだった。
泥だらけの靴で距離を縮め、水気を含んだ服で、シリウスの胸倉を掴み上げて小屋から引き摺りだす。一体何事かと驚くヒッポグリフも二人の後に付いて来る。
「……? なんで、何故がここにいるんだ?」
「へまをやらかしたと連絡を受けた」
自らの足で立ち、歩き出したシリウスは、震える腕をの肩に置いて掠れた声で言った。
「そう、か。ダンブルドアが……」
「夜が明ける前にここを離れるぞ、急げ」
「……、済まない。おれは、行けない」
「どういう事だ?」
「しばらくすれば追っ手が来る。に迷惑はかけたくない」
「前言撤回する、今すぐ殴ってやろう」
「――っ!」
の右ストレートがシリウスの頬を捉え、その体が宙に浮いて泥の中に沈む。
「お前も大概馬鹿だが、それ以上に手の負えない馬鹿な魔法省の奴が家に来ることはない。お前が『死喰い人』として扱われた時も、脱獄してからも、一度もおれの元には来ていない」
「しかし今度もそうだとは限らない!」
「今度も何もない、来たら来たで幾らでも手段はある」
シリウスの不安を他所には淡々と言った。
「お前らしくもない、囚人生活で度胸まで無くしたか。魔法悪戯仕掛人シリウス・ブラック」
「……」
微かに笑みを漏らしたにシリウスは変わったなと呟いた。
「そうだな。でも、あれから十年以上経っているんだ、変質ぐらいする」
「変質って違う気がするけど」
泥の中からシリウスを引き摺り上げ、背後のヒッポグリフを縮めるとは再び歩き出す。
「その姿だと目立つから変身していろ」
腕の中にすっぽり入ったヒッポグリフとアニメーガスに変身したシリウスをつれて、はまだ薄暗い森の中を足跡を残しながら早足で歩いた。
「帰ったら、土産が遅くなると家に電話をしないと」
柔らかいトーンで言葉を綴るに大きな黒犬は言葉が通じているのかいないのか、一度だけ吠える。
まだ残る朝靄の中、彼等の視界からは廃屋は消えて無くなった。