オレンジ色の猫
2月第2日曜に入ってからまだ一時間も経っていない、は古ぼけたアンティーク時計を見て神妙な顔つきで窓の方を見つめる。
窓際にある机に並べられているのは、傍から見ればただの棒が不規則に並んで見えるだけだった。少々、ほこりも被っているのを見ると、数ヶ月かまえに置きっぱなしの状態で放置しているのだろう。
「……」
暖炉の炎はチラチラと燃えていて、部屋の明かりは一切消されていた。赤と黄色とオレンジの光が薄い暗闇から全身闇色をしたをぼんやりと浮かび上がらせた。
火が爆ぜ、精緻な装飾が施された時計の針がコチコチと秒針を刻む。時刻は日付が変更されてから1時を過ぎていた。
「今日か」
1ヶ月ほど前に、はダンブルドアの元へ占いの結果を記した手紙を出した。
内容はお粗末な物で、如月の二度目の大安の日、丑寅の刻に姿を現すという、英国人に馬鹿みたいな手紙を出した。しかし、そうでもしないと手紙が他の第三者に見られたときに困る。あまりに詳細な内容だと、最悪自身がシリウス・ブラックと内通しているという方向に事態は走りかねない。
ダンブルドアの出した指示は待機であったが、破り捨てられるよりましかと思い深い溜息を吐いて新しい酸素を全身へ送る。
「内通者、か」
呟いて、手元の資料を捲る。誰にも言ってはいないが、はシリウスがアズカバンへ投獄される原因となった事件に違和感を覚えていた。
あまりにもシリウスらしくないのだ。主を亡くして復讐に燃える事はあっても自暴自棄になるような男ではない、関係のない人間を道連れに獲物を狩るような品のない真似もしない、その行動の全てがシリウスらしくない。スマートさも、軽快さもなにもない、死んだ人間の人数以外は三下が足掻いたとしか思えないような事件。
そもそも、ピーターに追い詰められるという設定に無理がある。精神論で才能や力の差を凌駕出来るならば、今頃ダンブルドアはの手で墓の下に眠っているはずだった。
闇の陣営の誰かがシリウスを疎ましく思ってピーターを使い罠に嵌めた、この辺りが妥当だろうかと思おうが、矢張り納得行かないのがピーター・ペティグリューという男の存在。そして何故今このタイミングなのか。
「ブラックがペティグリューを追い詰めたのなら、まあ、前者は納得できなくもないが」
とにかく今はシリウス・ブラックに会って事の真相を吐き出させるつもりでいく。そう心に決めて、暖炉の方を向く。
すると、また火が爆ぜる。が、今度はそれで終らなかった。
急に炎の色が変化し、奥から聞き慣れた声が聞こえてくる。
『、彼が現れた』
「……当たったな」
資料をテーブルの上へ投げ捨てて、は暖炉の中へと姿を消す。振り回されて辿り付いた先には、ダンブルドアと知らない顔の教師。
「今し方グリフィンドール寮にシリウス・ブラックが現れた」
「捜索は?」
「先生方でやっておる」
ホグワーツ魔法学校の校長室の暖炉から現れた全身黒ずくめのは祖父の顔を見るなり挨拶もせず、ローブの埃と灰を払って落ちてきた前髪をかきあげる。
「全員見当違いの方向を探しているな」
「もう見つけたのか」
「吸魂鬼も足手纏いも必要ない、一人で行かせて貰う」
暖炉から現れるなりシリウスの居場所を見つけ、部屋を出て行ってしまったを見て傍に控えていた若い教師は目を丸くする。そんな教師にダンブルドアは少し悲しそうに笑いかけた。
「あれが、誰よりも闇祓いに適した能力を所持した人間じゃ」
そう評価されたは最後までダンブルドアと視線を合わせることは無く廊下を歩き出した。
コツ、コツ、とブーツの底が石畳を叩く音が凍えた空気に響いた。
何処からともなく忙しない足音が何処からともなく聞こえる。静かな城内だからこそ聞こえるような距離で、誰かが血相を変えてシリウス・ブラックを探しているのだろうか。
そしてまた、何処からともなく猫の鳴き声がした。
今度はそんな遠い位置ではなかった、のすぐ後ろからだ。
もう一度鳴き声を上げての方に歩いてきた大きな猫に彼は柔和な笑みを浮かべて、恭しく頭を深く下げた。
「失礼。そこの雄猫さん、少々お時間いただけますか」
の言葉にその猫はお辞儀をし返して、足元に擦り寄ってきた。その猫はオレンジ色の毛をフサフサさせて気持ちよさそうに足首に絡み付いてくる。
その猫を抱え上げてくすぐってやると、甘えるように咽喉を鳴らし始めた。
「気難しい顔をした雄猫さん、少々お尋ねしたい事があるんですが。大きな真っ黒い犬、それでいて犬ではない存在が何処に居るのかご存知ありませんか?」
に抱えられて気持ちよさそう目を細めていたその猫は、腕の中からスルリと抜け出して音もなく石畳の床に着地した。ブラシのようなオレンジ色の尻尾をフリフリと振ってに着いてくるように促した。
そのフサフサの尻尾を頼りに外へ出て、禁じられた森へと入っていく途中、何体かの吸魂鬼を見たが、どうやらシリウスはまだ掴まっていないようだ。小さく息を吐き出すと、オレンジ色の猫がぴたりと立ち止まり、親しげに高い声で鳴く。
「ありがとう雄猫さん、正確な位置を教えてくれて。とても助かった」
その言葉を理解したのか、猫はの足に体を摺り寄せてオレンジ色の毛を擦り付けてる。二三度そうして甘えると、それで満足したのかもう一度だけ鳴いてからその場を去っていった。
「さて……」
茂みの方向に視線を寄せては闇色の瞳を軽く伏せる。
獲物である知った気配は、すぐそこにあった。
「出て来い、ブラック」