曖昧トルマリン

graytourmaline

マルボロ

 気兼ねなく座って欲しいと椅子を勧められ沢山の視線に晒されながら腰を掛けると、何十年か振りに顔を会わせた二人の同級生と目が合った。
 相変わらず、片方は何かを誤魔化すような笑みを浮かべていて、もう片方は陰鬱な空気を孕んでいる。記憶の中の二人とはあまり違っていない気もしたが、自身の内部が変質したように彼らの内側もきっと当時とは違うものとなっているのだろうとはゆっくりと目を伏せて自然と組んでいた手の甲を見つめた。
「さて、今日集まってもらったのは他でもない。脱獄囚、シリウス・ブラックの件で話がある」
 と丁度向かいの席に座っているダンブルドアは、薄い青色の瞳を輝かせ省と学校の方針を説明し始める。
 中身のない言葉がつらつらと挙げられる中、は遠くに見える湖をじっと見つめ微動だにしなかった。
「以上が、今最もベターな案だと、わしは思っておる。しかし、先生方の中にはもっと優れた案を持ってみえる方もいらっしゃるはずじゃ。どうかね」
 ダンブルドアが一度辺りを見渡すが、誰もが口を噤む。しかし、中の一人、一番歳若い青年がの方を見てこの人は誰なのかと表情で問いかける。
「おお、そうか。若い先生方はを知らぬ者か。ではこの子を知らぬ者に紹介しておこう、彼はわしの……」
、シリウス・ブラック追跡班として先日召集された闇祓いだ。日本国及び英国魔法省の要請によりホグワーツ警護の補佐を務めさせて貰う」
 忌々しいという感情をあからさまに表情に出し、正面のダンブルドアを見据える眼光に若い教師陣が竦み上がる。
 名目上はホグワーツに侵入したシリウスを殺す為に召集されたはずだった、にも関わらず、いざ英国へ来てみるとダンブルドアたっての希望との理由で、今こんな場所でぬるい議論に参加させられているのである。
 予想していた事とはいえ配属先を知ったその日の夕方、日本の自宅に電話をかけた際の混乱は筆舌に尽くし難い。今までの仕事から、長くても数日だと思っていのだろう。
 それでも、影ながらは努力した。シリウスの居場所を占いで突き止め、その後の行動も昔の経験を元に大体割り出して、それを提出した。だというのに、その資料が生かされている形跡はない。
 引退したベテランを引きずり出すか、自身を前線に出すかしろと提案したが、ダンブルドアの横槍の所為もあって却下されたという事もある。本当にシリウス・ブラックを捕まえる気があるのかと問いただしたくなるようなやる気の無さだった。
は相変わらず言い方がちと硬いの。わしの孫です、どうぞよろしく、くらいは言っても罰は当たらんと思うが」
「宜しくされるつもりは毛頭ない。話の続きを、ミスター・ダンブルドア」
「やれやれ、お主は本当に変わらない。しかし話の続きとは言ってもの……、お主はこの警護をどう思う。シリウス・ブラックを凌駕し続けたお主なら」
 全員の視線がの方向を向くと、今までにないくらい表情が冷たくなり眉間に皺が寄る。成程これではお飾りだろうが何だろうが英雄ハリー・ポッターの存在が必要不可欠だと納得行った。
「隙だらけで不十分、城内に侵入して蹂躙してくれと言っているようなものだ。質がこの程度なら幾ら増員しても無駄だろう」
「何処が不十分なんだ、城の全ての出入り口に吸魂鬼が居るのに……」
「全て?」
 すっとが身動きしたかと思った瞬間、椅子に座っていたはずのの姿は発言した男の背後まで回り込み、男の目の前に散らばっていた書類をナイフでテーブルに縫い付ける。
「貴方は本当に魔法使いと呼ばれる存在か? 我々は才能さえ有していれば入口も出口も好きなように作れる存在であることを忘れてはならない。吸魂鬼なんて、ただの気休めだ」
「そんな。姿晦ましも、姿現しも、ホグワーツでは不可能なはずなのに……何で」
「ハウスエルフが行っているあれは? 人間の行動を妨げない為に音もなく現れ、音もなく去っていくあの魔法が、彼等に出来て人間に出来ないはずがない。そうは思わないか?」
 冷や汗を流し震えている男の背から離れ、はテーブルの隅に座っているホグワーツの管理人を見据えた。
「例えシリウス・ブラックに今のおれと同等の能力が無くても、侵入する方法は無数に存在する。城への隠し通路、結界の抜け穴、あの男の技術ならば変身術を駆使する事だって可能だ。今回もそのどれをか使ったのだろう。が、おれはそんな事をしにここに来た訳ではない」
 テーブルからナイフを引き抜いて続ける。
「水際対策で止めれる気だと本気で思っているならば考えを改めろ。もう一度言う、シリウス・ブラックはこの城に侵入できる技術を幾つも有している」
「じゃあどうすれば……」
「代案は? 何かないのか?」
「その前に見つけ出して首を刎ねてしまえばそれで終わりだ。が、しかし、生憎此方はそれが出来る立場に居ない。おれと、おれの背後にくっついて来ているものは誰からも歓迎されていない。そうだろう、ミスター・ダンブルドア」
 静かにそう問いかけると、ダンブルドアは首を傾げるようにも見える仕種をしてから笑い、明確な返答は避けた。一切変わらない表情の下で、は嗤う。
 闇祓いになりながらも、ダンブルドアの加護を受けさせられ最前線に出なかったはイギリスの魔法省内でも疎まれていた。その男が、突然外からやってきて獲物を攫えばそれこそ長年積もらせ続けた不満に火を投じる事となり、特に若い闇祓い達は爆発するだろう。
 を呼んだのは魔法省の意志ではなく、ダンブルドアの意志が魔法省を通じて来たに過ぎない。恐らくは最終防衛線にする算段なのだろう。シリウス・ブラックと直接対峙させて高い勝率を得られる現役の魔法使いは、残念な事に一握りもいない。
 静まり返った室内では、さて、と一言放って空気を少し揺らす。
「其方は一体、何をどうしたい」
 雇い主はお前だと突き放し、漆黒の瞳が白い老人を射抜いた。常人ならば竦み上がってしまいそうなそれも、微風程度に受け流してダンブルドアは髭を撫でながら考え込む。
 それは早急に何とかしなければと呟くと、皺だらけの指先が二度テーブルを叩いた。
「ふむ、防戦が嫌いなお主に頼むと過激な案しか出なさそうじゃな……それについての対策はわしの方で考えておこう。他にはどうじゃ?」
 尋ねると、教師達だけの視線がランダムに交差して、やがて皆が首を横に振った。それを確認すると、ダンブルドアは少しの間考え込んでから、連絡事項はこれで終わりだと告げる。
 次々と教師達が席から立ち上がる中、今思い出したように少し急いだ口調で再びダンブルドアが口を開く。
「そうじゃ、。お主、普段は自宅で待機していて欲しい」
「……どういう意図でそう言っている」
「そのままの意味じゃ。何、今までの生活と大して代わらんじゃろう」
 その言葉の意味を理解した瞬間、部屋の窓全てにひびが入り、粉々に砕け散った。
 何事かと振り返った教師達にダンブルドアは大丈夫だと言って、少しの間二人きりにして欲しいと頼み込む。非友好的な目付きをしているは表情を殺したまま口を噤み、感情を制御するために奥歯を噛み締めた。
 二人きりになった部屋の中、腹の底で煮える感情を抑え、何度か深呼吸したあとでゆっくりと言葉を口にする。
「それで、おれを怒らせて、一体なにがしたい」
「怒らせるつもりは無かったんじゃ、ただお主が心配で」
「10年以上、人殺しばかりさせておいて、今更何が心配だと?」
「人殺し?」
「屋敷の妖怪達と、おれの居場所と引き換えに、お前達が課した勤めだ」
「……待て、わし等はそんな事は一言も言った覚えはない」
 伸ばされた皺だらけの手を払い除け、ならば日本側の独断かもしれないなとどうでもいいような口調で言った。事実、そんな事はどうでもよかったのだ。
 後悔の表情を浮かべるダンブルドアを一瞥し、制止の声も無視して部屋を出る。歩きながら煙草に火を点けようとすると、ドアの近くで待ち構えていた人間に捕まる。
、久し振りに会えたんだから三人で一緒にお茶しようよ。色々な事がありすぎて、君と話さないと気が滅入りそうなんだ」
 左手でスネイプを捕らえ、右手での肩を掴んだリーマスが疲れた表情で笑いかけて来た。久し振りに触れた人間の体温に煮え立っていた怒りが幾分か収まり、溜息と一緒に紫煙が吐き出され宙に溶ける。
 同時に部屋のドアが開いてダンブルドアの手が左肩を掴む。驚いたリーマスが手を離すが、肩を掴まれている事に変わりはない。
「彼女は、お前の祖母は、どうしておるのじゃ?」
「お祖母様なら、おれが成人してすぐ亡くなった」
「何故言わなかった!」
「問われない限り、おれの事を一切伝えるなというのが、お祖母様の遺志だからだ」
 目の色を変えるダンブルドアを見下ろして、は今までそこに在った怒りが嘘のように冷めていくのが判った。
、何故そうまでして彼女を慕う。彼女はお前を」
 欠片も愛していなかった。
 言葉で心臓は凍るものなんだと、は半ば感心する。
 亡くなる前の祖母から何を言われても気にしては駄目だと言われていなければ、目の前の老人の心臓を抉り出して頭部を踏み潰していた所だった。煙草を吐き出しながら、せめてもの抵抗として肩にかかっていた手をそっと外す。
「何故お祖母様だったんだろうな、お前が死ねばよかったのに」
 そう告げると、三人分の視線から背を向けては己の手の平を見つめる。
 たった一人で祖母の墓穴を掘ったこの手は、何時からか血と煙草の匂いが染み付いて離れなくなってしまっていた。