曖昧トルマリン

graytourmaline

雨垂れ

 今日も、いつもと変わらない。
 数日に一度妖怪が封書を運んできて、其処に名の乗った人間を消す。それが魔法学校を卒業し、闇祓いの権限を得て帰国したに与えられた仕事だった。
 英国にいる義理の祖父、両国の魔法省、そしてその頃はまだ存命であった実の祖母が取り決めたその仕事は、凡そ彼の望んだ将来で無かったが、それでも祖母が、彼が唯一敬愛している女性から与えられた職務だった。
 亡くなってから、霊魂となり呪縛から解放された祖母は孫の手を血で汚してしまった事を嘆いたが、は頑なに大丈夫だと言った。生きる為の、人間を殺す為の術は幼い頃から教えられている。どうやれば人間が死ぬかなんて判りきっている。何よりも、屋敷の妖怪達が力を貸してくれた。
 屋敷に身を寄せる妖怪達は皆人間の所為で行き場を無くし、頼みの綱である祖母の元を訪ねた存在ばかりであったから、が人を殺そうとしても誰も止めない。寧ろこの程度にが手を下すまでもないと自分を行かせてくれと言う始末であった。
、久方振りに封書が入っておったぞ。上の連中と、もう一つは別の場所から』
「八咫烏様。貴方また勝手に外に出たんですか」
『そう言うな。皆お前の為に力を使いたいのだ』
「人間に肩入れしている等、同族の方に聞かれたら殺されてしまいますよ」
だからだ、人間になど肩入れするものか』
 冬近い空に小雨が降る中で飛んできた巨大な一本足の烏から封書を受け取ると、屋敷の内から血の気の多い妖怪がぞろぞろとやって出てくる。遅れて呪殺を得意とする陰鬱な妖怪達が現れ、そういったものと縁のない妖怪達も屋敷の主に仕事が来た事を知りお勤めの用意に走る。
 背後では誰がを乗せて人間の所まで行くかという討論が始まり、其処へただの人間であれば呪殺した方が手っ取り早いやら、自分が現地に行って殺した方がいいやら、好き勝手な主張が飛びかっていた。
 座敷童たちが他人顔で大変だねえ、と呟きながらの膝の上に乗り、二つの封書から手紙を取り出す。お前はこいつ等に甘いと隣に居た八咫烏の目付きが険しくなるが、それは昔からだからと返して中の紙を受け取った。
「……ああ、皆。済まないが、今回はおれ一人の方が良さそうだ」
 書かれていた名前に目を通し言うと、一斉に不満の声が上がる。名の知れた術者でも書かれていたのかと、普段標的の場を占い、透かし見ている者たちが尋ねてきた。そんな奴等こそ殺してやると豪語する妖怪達を宥め、外着を用意してくれていた山童達も一度下がらせる。
 猫又がの手の中の文字を覗き見て、なら仕方ないねと煙管に火をつけて煙を辺りに撒いた。その白く漂うものを指先に巻きつけながら、空を見上げて目を眇める。
「イギリスに行かないと。向こうのお偉い様もお呼びだ」
『えー、。またお外行っちゃうの?』
「ちょっと時間が掛かるかもしれない。でも、標的を殺したら、すぐ帰って来れるはずだから」
 座敷童の膨れた頬を撫でながらお土産買ってくるね、と告げると子供達の歓声が上がる。きらきらと輝いて見える子供の影が躍り、口々に約束ねと可愛らしい言葉が投げかけられた。
 不満そうな顔を並べている他の強面の妖怪達に向き直り、留守を頼むと頭を下げると不承不承と頷かれる。それでも、付喪神や動物から昇格した妖怪は自分だけでも連れて行ってくれないかと食い下がってきた。
「気持ちは嬉しいけれど、イギリスは日本と違うから。妖怪が人間を殺したら人間式の裁判にかけられて殺されてしまう。おれは家族をそんな目に遭わせたくない」
『でも普通は人間が人間を殺しても、裁かれると思うがねえ』
『日本じゃあ呪殺は裁かれんがね。確か英吉利は違うのだろう』
 猫又が煙管を吹かしながら言うと、隣の天狗も大きく頷く。何故か合唱される同意の嵐にが困惑気味に笑った。
「イギリスで人を殺せる権限も、あの時に持たされた。だからこれが来たんだ」
 ひらり、と差し出した白い紙に書かれていた文字は「Sirius Black」と、ただそれのみ。
 幾つかの妖怪の表情や目付きが代わり、首を傾げる他の妖怪達の肩を突いてあの夏の、と其処まで言って口を噤む。
「いつもと一緒だ」
 軒下から滴る雫の音すら聞こえそうな不気味な静けさを平然と破り、は封筒ごと手紙を燃やした。
「いつもと同じ仕事だ、何の違いもない」
 柔らかい笑みを浮かべ言い切ったのその頭を、屋敷の妖怪たちは代わる代わる優しく撫で、もう頭を撫でられて嬉がる歳でもないと言いながらも少しだけはにかんだ。
 こんな風にしか笑えなくなってしまった主の姿に胸を締め付けられる痛みを覚え、その全てをこの場に居ない人間達にぶつけて、一人残らず八つ裂きにしてしまいたかった。