曖昧トルマリン

graytourmaline

横雲

「もうすぐ卒業だな」
 呟いたのは、窓枠に座っている少年だった。
 その言葉に、同じ部屋にいた少年たちは顔を見合わせて一瞬で意思疎通完了。鳶色の髪と黒色の髪のが少年との距離を早足で詰めて両肩を掴んだ。
、大丈夫! 卒業してもぼくは定期的に会いに行くからね!」
「そうだぞ! いや、いっその事おれの家に一緒に住まないか!?」
「いや、おれは別にそう言う愁傷な事を言って欲しかった訳でもないし、そんな傍迷惑極まりない誘いを受けたかった訳でもない」
 ただの独り言にここまで反応する犬二匹を軽くあしらって勢い良く窓の外に足を投げる。不安定にぐらついたの背中を見て、ピーターが悲鳴に似た小さな叫び声をあげた。
 それを見て、今度はシリウスが豪快に笑う。
 のこんな危なっかしい挙動は今に始まったことでもない。一応リーマスが慰め程度に彼のローブの裾を掴んでいた。
「でも、確かにの言う通り……あと少しで、ぼくたちは卒業するんだよね」
 そんな三人に随分遅れて、部屋の真ん中で本を読み耽っていたジェームズがしみじみと言葉を放つ。シリウスが振り返りながら言った。
「なんだよ、ジェームズまで」
「いや、だってだよ? 卒業したらぼくとリリーは結婚する予定なんだからさ、可哀想なシリウスが更に可哀想な独り者になるなって」
「ああ。まあね、片割れがいなくなるわけだしねえ。可哀想さ加減に磨きがかかるよね」
「(それって今のシリウスも可哀想って意味、だよね?)」
「なっ……なんだよ! 三人共そんな哀れな人間見るような目でおれを見るんじゃねえっ!」
 表情が面白いくらいに変わって行く様子を、友人達は微笑ましく眺めては遊んでいた。
「いや、ぼくは別に哀れな人間を見てたつもりはないよ」
「そうそう、ぼくらは哀れな犬を見ていたに過ぎないんだよ!」
「ジェームズ! リーマス! ピーター! てめえらあっ!」
「なっ、なんでぼくまで入ってるの!?」
「うるせえっ!」
 この年になっても相変らず子供っぽさが抜けない言動をしでかす友人達を背に、が一人でぽつりと笑う。
 空を見上げると雲が散らかっていて、弱くない風が吹いた。
 視線を足元へ。綺麗な芝生と石畳、生徒が黒い点々で歩いている。
 少し先へと伸ばしてみた。山と湖、それに森。ハグリッドの小屋も見える。
「もうすぐ、卒業……なんだな」
 また、呟いた。声は背後の爆音に掻き消される。
、この馬鹿止めてー」
「語尾を伸ばすお前も含めて十分目障りで阿呆だ。大体鹿なら半分同属だろう、そのくらい自力で止めてみせろ。30秒で出来ないのなら四匹ともおれが生きたまま刺身にしてやる」
「シリウースっ! 今すぐ止めろ! 止めないと死ぬ! 死ぬっていうか、殺されるっ!」
 冗談のつもりだったがどうやらジェームズには本気に取られたようで、奇声珍声が木霊する。外の通行人の何人かが流石に足を止めたが窓に腰掛けるの姿を確認するとなにやら納得したようで止まっていた足を動かしていった。
 居る所に悪戯仕掛人の影あり、というよりも仕掛け人二名がにくっつき、そのまま芋づる式に他の二人もくっついてくる、というのが今ではホグワーツの常識となっていた。
 だからと言って悪戯を仕出かした彼らの所在を毎回尋ねられても判るはずもないのだが。
「……小さい手」
 仲間内で一番小さな自分の手の平を見つめ、短い足をぶらつかせる。
 その足元の方向から視線を感じて身を乗り出してみた。途端にその視線の張本人が慌てふためく。やれ馬鹿者危ないだの、部屋の中に入れだの、落ちたらどうする気だだの。
 今も昔も周囲の視線もお構いなく、入学からずっと、常にの身を案じてくれた人間。瞳が優しくなり、口許が自然と綻ぶ。
「スネイプ」
 聞こえないことがわかって名前を呼び手を振ってみると、窓枠から手を離すな! と思い切り絶叫された。そんな様子が見るに耐えれなくなったので、仕方なく窓から降りることにした。
 外に向かって。
 当たり前のように、スネイプは叫んだ。絶叫マシンに乗ってもこんな叫び声をあげる人はいないんじゃないかと思われるくらいの大絶叫で。
「な、っ……何を考えているんだ!?」
「いや……今丁度もうすぐ卒業だな、としみじみ考えていたんだ。だから少しくらい腕白なことをして思い出を作ってみようかと」
「そんな心臓に悪い思い出はいらんっ! 年齢相応の思慮分別をしろ! ああもうお前は昔から無茶ばかりやりおってどこも怪我はしていないな!?」
 叱っているのか心配しているのか、多分混乱しているのだろうスネイプに向かって、は問題ないと普通に返す。
 その返答が一体どの問いに対してのものだったかは誰も理解できないでいたが。
「そうだ、スネイプ」
「……なんだ?」
「いま、何時だ?」
 唐突にそんな事を聞かれ、一瞬で怒る気を喪失させてしまったスネイプは、肺の中の空気がなくなるのではと思うくらいの深い溜息を吐き出しながら現在時刻を告げた。
「そうか……もうそんな時間か」
「何かあるのか?」
「いや、もうすぐ……卒業だな、と」
「話が繋がっておらん」
「そうでもない」
「……もういい、がそうなのは今更だ」
 が何を言っているのか追求するのを諦めたらしいスネイプは、何かあるなら遅れないようにしろと保護者のようなことを言って城の入り口の方へ歩いていってしまった。
 その後ろ姿を最後まで見届けると、は斜め上を見上げて背の低い木に手を伸ばす。
 青い紅葉を一枚手折り、指で摘んで回してみた。小さな風が起こる。
「……さよなら」
 空は青く、晴れていた。