曖昧トルマリン

graytourmaline

夢の浮橋

 ゆっくりと、ドアが閉まる。
 部屋を出て行ったのは、魔法省の人間と、数人の闇祓い。
「今の時期に軟禁解除だなんて……まったく、嫌な予感ばかり当たるものね」
「……」
「貴方を自由にされたら予定が狂うから色々と面倒なんだけれど」
「……申し訳ありません」
 役人たちが去った後、早々に隣の席から立ち上がった女性から浴びせられた言葉。正面に座っている女性教師が非難めいた視線を向けた。
「ミス・。ご自身の孫にそのような事を……」
「お黙りなさい、ミネルバ。でも……まあいいわ。今回は先手を打たなかった私の失態でもあるし、まさかウチの本家と両国の魔法省に直接働きかけてこの子を闇祓いなんかに就かせるなんてね。やる事が力任せな上単純且つ外道過ぎてこれからが楽しくなっちゃうじゃないの、ねえアルバス?」
 言葉に偽りなく、楽しそうに鈴を転がすような笑い声を含ませながら初老の女性は遠くの席にいた老人の前まで歩いて行って、でも確かにそうなのかもしれないわねと耳打ちした。
 はその様子を、ただ黙って眺めていた。目の前の書類には、自身が闇祓いとなった事を証明するサインの控えがあった。
「貴方と反発しあっているこの子を貴方の騎士団に入れるには逆に危険、けれどヴォルデモート対策も完全ではないし、総括するとどこに隠しても一緒。ならいっそ正当防衛の権利をつけて本家の監視下で僻地に飛ばしてしまう方が貴方にとっては楽で安全なのかもしれないわね。わたしたちはとっても嫌なのだけれど」
 言外にやりたい事があったのにまた監視者にされるのが億劫と言っているようなものだが、それに気付いているのは軟禁されるだけだった。
 少年は、自分の所為で祖母にまで迷惑をかけてしまい、その後ろ暗さから俯いてしまう。
「……でもね、アルバス、貴方はあの子が最も忌み嫌っていた職業に強引に就かせたのは大分戴けないわ。まあ、この子には変則要素があって試験も訓練も意味がないくらい優秀だからきっと貴方が思っているよりもずっとイイ結果が出る筈だけど。私にとって」
 渋い顔をして何も言わずにいるダンブルドアにの祖母は慈母のような笑みを浮かべて、孫を見やった。
 の頬が紅潮する。たとえどんな言われようでも、産まれて初めて祖母に努力と才能の結果を褒められ、そして将来を期待されたから。
「わたしですら恐れ多くて避けて通っていた……土地と、屋敷と、沢山の命無き命を盾にするという卑怯で姑息な手を使ってくれてありがとう。とても嬉しいわ、これでわたしも人道を憂慮する事なく専横な振る舞いができるもの」
「わしは……」
「これでまた、貴方の罪が増えた。今まで犯した沢山の罪を身を以って贖いなさい」
 変わらぬ優しげな表情のままそう言うと、の祖母は杖を取り出し部屋に居る三人の人間を見渡した。
「それでは御機嫌よう、アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア」
 それだけ言うと、彼女はいとも簡単に姿を晦ましてしまう。
 ホグワーツの常識も、の祖母の常識に比べればただの規則に過ぎない事を無言で証明した。その様子を、彼女の孫は黙って眺めていた。
「……ミスター・
 最初に口を開いたのは、マクゴナガルだった。
「必要な事はすべてこの書類に書いてあります、質問等があれば」
「一つだけ」
 必要な書類を全て詰め込んだ鞄を肩に下げ、感情が読めない表情では自分の祖父に視線を向けた。
 目の前の老人が、頷く。
「ダンブルドア……おれが今、何に対して最も怒りを覚えているのか判るか?」
「……お前の自由を、奪ってしまったことは後悔している。けれど」
「もういい」
 静かに、耳を塞ぐでも目を瞑るでもなく、は目の前の人間たちを睨み付けた。開いていた、あるいは開きかけた口を噤ませたのは、激しい憤怒によく似た哀れみの瞳。
「もういい、お前たちが人間しか見ていない事は理解できた」
 ローブを翻し、無言で部屋を出ようとする。
 困惑した二人の視線。ドアの前で少年の体が一旦停止し、唇が歪められた。
「ここまでおれを育ててくれた恩人を人質に取られていた事を今更知った、愚鈍で無力な自分にだよ。お前の罪は、おれの罪にもなった」
 振り返りもせず、ただそれだけ言っては音もなく部屋を立ち去った。
「畜生……覚悟も頭も力も、何もかもが足りなかった」
 俯いたまま速足で廊下を歩く。
 暗い、人の気配のない廊下を曲がり、誰もいない小さな中庭の前で立ち止まる。
 鞄を重力に任せて石畳の上に落とす。それをしばらくの間呆然と眺めていたが、やがて背中が石の壁に凭れ掛かり、そのままずるずると小さな体が床の上に崩れていく。
 青空から光が差し込んだその庭を眺めながら、指先が風を撫でた。
 触れた柔らかな感触に、は深く目を瞑り、そしてそれを握り潰す。
「あの男を殺せるほど、強くなってやる……脆弱なことはそれ自体が罪だ」