溺れる魚
「ペティグリューの奴、あれほど返せと言ったのに」
ブチブチと不満を言いながら、城の門を潜って風の強い外へ出る。
先程、二階の窓から城の裏の方に駆けていくピーターを見つけた。声を掛けても、一向に気付いた様子もないので少々、腹が立った。
「大体人のレポートを持ち歩くな」
ピーターの小脇に抱えられていた非常に長ったらしい羊皮紙は、すでに確認した。ピーターが提出範囲が1mのレポートを3mも書き込むわけがない。
今回のレポートは自身、かなり満足のいく物だと思っている。だからこそ、あまり長い間人の手に渡したくないのだ。どうしてもと泣き付いてきたピーターと、リーマスの口添えに根負けして、ようやく譲ったレポートだというのに。
「確かこっちだな」
ピーターが駆けていった方に、も足を向ける。今日はいやに騒がしく感じる風の音が耳の中にまで入ってくる。
雨上がりのぬかるんだ土に、小さな足跡が転々と城の裏の方まで続いていた。
「それにしてもこんな所に何の用があるんだ?」
はしばし一人になりたい時にやって来るが、日中陽が当たらないせいで、一人でいても塞ぎ込むだけの気分のいい場所ではない。
変な茸や魔法生物が現れる以外、特にこれといたメリットはない。
人目を憚ってするには適した場所だが。
「私刑という訳でもなさそうだったがな……」
べちゃべちゃと足跡を残しながら、は城の裏まで辿り着いた。しかし、ピーターの姿はない。よく見てみると、森の方まで足跡が続いている。
「……一体なんなんだ?」
勝手に森に入る事は校則違反だったはずだ。自分自身はよく破っている校則の一つだったが、悪く言えば臆病、良く言えば他人からの評価に神経質なピーターが一人で森に入る理由が全く見当たらない。
森の方へ近付いてみると、木の根元に一枚の羊皮紙が引っ掛かっていた。
「風に飛ばされたのか?」
ピーター・ペティグリューと名前の書かれた羊皮紙を拾い上げ、は首を傾げた。
しばらくここで待っていようかと思ったが、そんな事をしているよりも直接本人に会いに行った方が早いと考え森へと足を踏み入れた。もしも自分のレポートが風によって紛失していたら半殺そうと物騒な決意をして堂々と校則を破る。
森の中は薄暗く、枯れ葉や苔が泥土の上に散らばっていた。小さな足跡は、その上にしっかりと残っている。
付けられて、まだ数十秒もしていない跡だろう。
はぐるりと辺りを見渡し、すぐにピーターの後ろ姿を見つける。その傍らには黒い影。
薄明るい、少し開けた場所だ。ピーターはに後ろ姿を向けたままその影と話しているようだった。
あまり人事や揉め事に首を突っ込まないだったが、さすがに目の前の奇妙な光景は無視する事ができなかった。
ピーターの顔は少々引きつり気配が怯えている。話している相手の姿は見えないが、ピーターの視線から考えると少なくとも頭二つは背の大きな人間らしい。
「……鼠がいる」
男の声がの耳に届いた。
次の瞬間、青い閃光が草むらを突き破りの目の前に現れ、上半身を軽く動かしてそれを避ける。ローブの端が、少し焦げて燻った匂いを放っていた。
「避けたか……」
は杖を取り出し、草むらに身を潜めようと思ったが、視野が狭い自分の分が悪い事を悟り場を移動する。
「・か」
まだ顔も知らず、声すら発していないのにの正体を突き止めた男が、出て来いと静かに言った。手には杖、感知した魔法の発動範囲は広範囲で少なくとも男を中心に十数メートルは吹き飛ぶ程の威力。
それを一瞬で作り上げた相手の技量に眉を顰め、時間が経てば経つほど不利に立たされる事を理解したは大人しく二人の目の前に現れる。
を見たピーターの顔は青く、逆にピーターと対峙している男性は余裕を持った笑みから無表情へ、そして憤怒の表情で彼を迎えた。
どこかで見た事があるような気がする。はそう感じた。
「あの男め……細工をしたな」
「……?」
出直しだと呟いた男性に、は眉根を寄せた。
一体何のことだ、それを問おうとする前に相手の呪文が発動した。閃光が襲い掛かる一瞬の合間、反対呪文を唱えようと腕を上げるが、に襲い掛かった予想していたものとは異なった呪文だった。
「(忘却呪文?!)」
攻撃性のある呪文ではない。ただの、普通の忘却呪文だ。
一体何の為に、その疑問すら忘れさせる光に包まれて、は気を失う。泥の上に倒れたの体を抱き起こそうとして、倒れた体を中心に爆風が巻き起こり軽く吹き飛ばされる。
触れさせる気もないのか、気持ちの悪い老いぼれだ、そう吐き捨ててからの体に異常がない事を確認したヴォルデモートは口端を歪めた。
「行け、じきダンブルドアが現れる」
「し、しかし、ご、ご主人様……」
と主人を交互に見ながら、ピーターは落ち着きのない声で意見を述べる。
「こ、殺さなくて、よろしいのですか?」
「を殺すだと?」
不快そうにピーターを見下ろした赤い視線に、彼は慌てて許しを請うた。慌ててその場を立ち去るピーターを蔑み、今は傷一つない体を大地に投げ出しているに視線を移した。
殺して、死体を手に入れて、それで満足するのならばそうしていた。リドルは気を失っているを見てそう言う。
抱き締めることすら叶わなくなってしまった少年に近付いて、伸ばした手が宙で止まる。人の足音が近付いてきた。
「私は、間違えた」
風を掴む鳥のように、水を泳ぐ魚のように、あの日までは誰よりも簡単に出来た。
それが今では命懸けの行為となってしまった事に、後悔が募る。今更ながら、リドルは、彼と共に歩む事を拒んだ自分を殴りに行きたかった。