竜の牙
一体何なんだ、とは思わなかった。確実に起床した脳は思い出したくもない昨日の出来事を事細かに覚えている。スネイプが隣で寝ている事は疑問に思いはすれども、害はないので取り立てて驚くような事でもない。他の誰かであれば確実に永眠させるが。
「とけいうるさい」
スネイプが用意したに違いない時計は今も主人を起こすために頑張っている。しかしその主人は起きる気配がない。試しに毛布を剥いでみたがその程度で起きる学生ではない。
「……」
仕方がないのでは更に次の行動を起こした。
杖を使うのはさすがに何が起こるのか分からないので、そっとスネイプに顔を近付け天使のような微笑みを浮かべる。
「……ねていてもみけんにしわがあるな」
これだと将来絶対普段の顔が気難しい顔になる、とか勝手にスネイプの将来を決定しておいてはそっと耳元に唇を寄せる。
「……ふっ!」
「……!?」
耳に息を思い切り吹きかけられ勢い良く上半身を起こしたスネイプは片耳を押さえて、物凄い早さで呼吸を繰り返しながら平然としているをギッと睨んだ。
「……っ!」
「おはよう。すねいぷ」
「何のつもりだ、!」
「とけいがなっていた」
「……そうだった、すまない」
スネイプも昨夜の記憶を思い出したようで、まだゾワゾワする腕を擦りつつスネイプは枕元の時計を覗いた。
「これなら間に合うな」
「なにがだ」
「ぼくの個人用の薬品棚にドラゴンの牙の粉末がある」
「でもそれはすねいぷのものだろう」
「ぼくの物だからぼくがどう扱おうが自由だ」
目を擦りながら欠伸をするスネイプには申し訳なさそうに感謝の言葉を述べた。
「あとでちゃんとれいをする」
「そんな大した事をしているつもりはない」
「しかしな」
「だったら、朝食でも作ってくれ。それで充分だ」
それ以上の事をされても困ると言うスネイプに心の中で感謝しながら、は彼の後を小走りに付いていくのだった。
所変わって地下にある教室の一角、コトコトと音を立てながらキャラメル色の液体が小さな鍋の中で煮えていた。
「あとはこれを火から下ろして、冷めれば完成だ」
「さすがすねいぷだな」
「褒めて貰って何よりだ」
ごく自然に言ってのけたスネイプを見上げ、は何やら首を傾げてから頷く。
「すねいぷはきょうしにむいているのかもしれないな」
「そうか?」
「ああ。だがとくていのせいとだけをきにかけるきょうしになりそうだ」
「それは贔屓をするという事なのか、それとも逆の意味なのか?」
「りょうほう」
「……」
相変わらず歯に衣を着せないというか、空気の読めない言い方をするに、スネイプは数秒間だけ眉を顰めた。
どうせこれ以上何を言っても噛み合っているのかどうかも判らない会話が続くに違いないので口を噤むと、丁度いいタイミングでテーブルの上にバスケットが置かれる。中からパンケーキのいい匂いがしていた。
「ちょうしょくのかわりくらいにはなるだろう」
「十分だ」
の好みなのか、野菜がふんだんに入っていそうな一口大のパンケーキを皿に移し、薬をテーブルの端に寄せていつもより少し早い朝食にありつく。
「しかしお前程の人間が何時あんなものを飲まされたんだ?」
「ほんをよんでいたんだ」
「本……? ああ、そういう事か」
それだけでスネイプが納得したところを見ると、彼も以前同じ目に遭ったらしい。
至極簡単な事で、もスネイプも本に夢中になると周囲の物が見えなくなるどころか聞こえなくなるので、適当に相づちを打って用意していたカップの中身を擦り替えられて普通に飲む、という単純な方程式から弾き出される結果だった。
結構間抜けであるがこればかりは気を付ける事も出来ないので仕方ない。
「おたがいたいへんだな」
「ああ、そうだな」
同じような方法で薬を飲まされ頭から大量のヒマワリが咲いた時にはさすがにあの四人に殺意すら覚えたスネイプである。実際それを目撃したの雷が落ちたのでいい気味だとも思ったが。しかし本当に、苦労しっ放しで泣けてくる。
「ところで。元の姿に戻るのはいいが、服はどうするつもりなんだ?」
「すねいぷのをかってにはいしゃくさせてもらった。あとであらってかえす」
用意周到なはスリザリンのスネイプの部屋からローブにシャツにその他諸々一式を勝手に拝借してきたのだ。何故かネクタイまであるけれど、気にしないでおく。
「いいのか? サイズが合わないだろう」
「せいけつで。きることができればなんでもいい」
「……意外に適当な奴だな」
「そうか?」
そろそろ冷えただろうかと鍋を覗き込むは新たなマグにそれを少量移し、鼻を近付けて香りを嗅いでみる。触れた器も随分温いので飲んでも大丈夫だろうと判断した。
そのまま薬を机の上に戻すと服のボタンに手を掛け、小さな指でそれを外し始めた。
「何をしているんだお前は!」
「ん?」
「何をしているんだと訊いている!」
「ふくぬがないとやぶけるだろう。いちおうもらいものだからぬいでおかないと」
「だからといっていきなり目の前で脱ぎ出す奴があるか!」
真っ赤になりながら地下室を出て行ってしまったスネイプに、はやはり首を傾げながらもうほとんど湯気のたっていない鍋を背に普通に色気なく服を脱ぎ始めるのだった。
一方地下室の扉の外で待機するスネイプはというと、
「い、いい加減こっちの気持ちも察してくれ……!」
鼻を押さえながら呟いている。覗き見すらしないあたりが、この男と、同室者約二名の違いであり、それがそのままの信頼度にもなっているが、それが果たして喜ぶべき事なのかどうかは判断がつかなかった。
「……何か聞こえた気がするんだが、気のせいか」
そんなスネイプの気持ちも知らず、ローブを羽織ったは思っていた以上の身長差で余ってしまった袖や裾の長い服をどうしようかと悩み、地下室の扉を開けてそこで待っていたスネイプに話しかける。
「悪かった、色々と手間をかけさせたな」
「あ、ああ。いや……」
ブカブカのサイズの合わないシャツを着込んだにスネイプは顔面を赤くしながらしどろもどろに答えを返す。
安堵と微かに笑みを含んだ大きな黒い瞳が下から見上げる、シャツの隙間から鎖骨や白い首筋や胸板が見える、微妙に隠れていない指先が胸の前で組まれている、っていうかサイズの合わない自分の服を着ている。
端的に言えば、スネイプはそういった格好が好みであった。が、そんな事をが知る筈なく、人一倍強い理性で本能とか血液とかその他を色々抑えていた男に首を傾げる。
「じゃあ、この服は後で洗って返す」
「え……あ、ああ……」
「色々世話になったな」
「だ、だから、当たり前の事をしたまでだ」
視線を逸らし理性を総動員させる。そんな涙ぐましい努力をしながら、スネイプは早くこの場からが去る事を祈っていた。
「それより寮に戻った方がいいんじゃないか」
「……そうだな、色々仕出かしてくれた馬鹿共を揃って血祭りに上げて簀巻きにした後尖塔から吊るし上げないといけないからな」
可愛い顔に凶暴な笑みを浮かべ、責めるという意味ではなく物理的にそうする事を公言したは、小さいながらも男の背中をスネイプに向けて地下室の扉に手をかける。
「ああ、そうだ」
「どうした」
何か忘れたのかと続こうとしたスネイプの言葉は、光溢れる花を背負って振り返ったの姿に掻き消された。
「ありがとう。セブルス」
「……!?」
「じゃあ、また後で」
ニッコリと笑いながら自分の寮へと歩いて行ったの背中を見送り、スネイプはずるずると壁伝いにゆっくり座る。
「幻覚だ……今のは幻覚に決まっている」
あの格好に、あの仕草に、あの笑顔。とどめが「ありがとう」に滅多に呼ばれない名前。
こういう所で素直に喜べない、また喜ばないからこそに信頼されているスネイプは、頬を石壁に寄せてその熱を少しでも冷まそうとしたのだった。