きょうだい
推定三歳児の体力で温室を抜け出すことは相当の試練だ。
はそう思った。
こんなに疲れるなら嫌でもルーピンを引きずってくるんだったとすら思っている。
「いつのまにかよるになっている」
まだ夜の早いうちだろう。西の空が微かに赤い、しかし、このままだと夕食を食いっぱぐれる事は間違いない。
おまけに三歳児のせいですでに体がオネムの態勢に入っている。
このままでは、確実に死ぬ。
「しっかりしろ。もうあとすこしなんだ」
自分に言い聞かせて無理して体を動かし、なんとか出口へ向かおうとするだが、行く手には巨大な気味悪いオレンジ色のカタツムリ。
はっきり言っても言わなくても気持ち悪い。普段なら杖で一発だが、今の状態ではどの呪文が正しく効くのかも判らない。最悪増殖、もしくは更に巨大化する可能性もあるのだ。
「だいたいなんでがいちゅうがおんしつないをかっぽしているんだ。きちんとくじょをしないからけがにんがでるというのに」
悪態をつきながら巨大カタツムリが通り過ぎるのを待ち、粘液を避けながら慎重に出口の方角へと歩いて行く。なんだかアクションゲームのようだが、違う事と言えばゲームオーバーが人生終了と直結している事だった。
「すこしやすむか」
脚の痛みが失せて感覚が無くなって来た事に危険を感じ、近くの花壇に腰を下ろしてしばらく休憩をいれることにしたは欠伸をして無害な魔法生物を死んだ目で観察していた。
眠い、だるい、疲れた。でも寝たら死ぬ。
「……なんでこんな所に子供がいるんだ?」
ふと聞こえた頭上の声には眠い目を擦って入り口の方から現れた少年を見上げて、心の底からその人物に感謝した。
「名前は? どこから来たんだ?」
「すねいぷ、おれがわからんのか?」
「……? というか、以外であって欲しくないんだが」
「めがくさっていないようでなによりだ」
「……何があった」
「よそうはつくだろう」
「ああ、まあ。そうだな」
むっとした表情のまま立ち上がったはスネイプを見上げながら、小さな手でローブを掴み一部始終を話す。
「お前も大変だな」
「おまけにどらごんのきばのふんまつがないからもとにもどれない」
小さな頬を膨らませて、は憎たらしげに腕を組んだ。
スネイプのおかげで何もせずに入り口までたどり着くことが出来たはすっかり暗くなってしまった空を見上げながら、思い出したように自分の窮地を救った人間を見上げありがとうと頭を下げる。
「当たり前のことをしたまでだ」
「そんなあたりまえのことをしないあほうしかいなかったからな」
どこぞの狼の姿を思い浮かべながらは城の入り口の方へと顔を向けた。
スネイプが頭上から声をかける。
「それで、この後どうするんだ。まさかと思うが部屋には戻らないだろう」
「あたりまえだ。あんなへんたいどものいるばしょなんぞにだれがいくか」
ポッターといい、ブラックといい、ルーピンといい、二人の表情はそう物語っていた。
ダンブルドアに頼めばいいというスネイプの案は、が毛嫌いしているという理由で却下。医務室に行こうにも、きっと既に手を回された後だと思うのでこれも却下。
は可愛らしい眉間に皺を寄せて空を仰ぎ、重く溜息した。
「てきとうなあきべやですごす」
「それが妥当だな。お前さえ良ければ食事でも運ぼうか」
「だれにみられるともかぎらん。きもちだけうけとっておく」
それだけ言うと、の視線が城の方を向く。一つの人影がこちらに歩いて来ている。
ジェームズ・ポッターでもなく、シリウス・ブラックでもなく、リーマス・J・ルーピンでもない。見覚えはあった、確かバレンタインの時に何か言ってきた生え際ハゲだ。
「セブルス、こんな時間まで何をしている?」
「マルフォイ先輩、実はどうしても採取しておきたい薬草があって」
「そうか……おや、その子は?」
棒の足で逃げるわけにもいかず、これ以上誰かに見られるのを面倒臭がってスネイプの後ろで隠れていたを見つけたルシウスが問うと、薄暗闇の中で二人の視線が交差する。
「どうした」
「本当は隠しておきたかったんですが。新薬の実験台にしていたうさぎが、何処を間違ったのかこうなってしまって。地下室に放置してあらぬ噂になるよりはと連れて来たんです。元がその所為なのか吠えたりしないだけマシでしたが、とにかく失敗作を見られたく無かったので」
「成程、お前らしいな」
が何か言い出す前に嘘を並べ、ルシウスを納得させたスネイプは「そういう事なので今日は寮に帰れません」と、ドサクサに紛れて何か言っていた。
元はうさぎという設定にされたので喋る事の出来ないは恨みの視線をスネイプに投げるが、スネイプにだって言い分がある。
ルシウスがに好意を持っている事を知っていて、この子供はが縮んだ姿です、等と正直に話す馬鹿は居ない。強引な事で有名なルシウスは絶対拉致るに決まっている。
では自分はどうなのか、というと、そこは不器用なりにも恋する男だ。それはそれ、これはこれと心の棚の高い場所に置いておく。
「そういう事なら空いた部屋を一つ用意しよう、これ以上誰かに見られる心配もない」
「お気持ちはありがたいのですが、先輩の手を煩わせるなんて……」
「そう言うな。失敗作とはいえこんな可愛らしい顔をしているんだ、地下室でお前と二人きりにさせるのは惜しい」
冷たい指がの肌に触れて、頬を撫でてから唇をなぞる。スネイプが出来るだけ無表情を装いながら隣の子供を見てみると、目だけが殺気立っていた。
近い未来、が元の姿に戻った日がルシウスの命日になってもおかしくないそれに、心の中で冷や汗を流す。
「よく見てみるとに似ている。彼に妹が居たらこんな感じだったかもしれないな」
「先輩、それは雄です」
「なら弟か……どうだ、セブルス。これを私に譲らないか、悪いようにはしない」
「お断りします。失敗とはいえ面白い実験体です、元に戻るまで色々試したいことがあるので」
「例えば?」
男の顔で笑っているルシウスに対し、スネイプはあくまで表面上は平静を装いながら淡々と理由を述べた。
「神経毒の効き具合や痛覚の有無を調べたいと思っていますが、興味がおありですか」
「いや、遠慮しておこう」
思っていたよりもあっさりと諦めたルシウスはそう言って身を翻し、数歩歩くと、思い出したように立ち止まって「ああ、そうだ」と呟いた。
「せめて服くらいは用意してやろう。セブルス、お前の服の趣味は私と合わないようだ」
言い終えて、さっさと城へと帰ってしまったルシウスの背中にそうじゃないとも叫べず、口だけを空しく動かしているスネイプに、は自業自得だと半ば冷めた視線を投げてやった。