曖昧トルマリン

graytourmaline

バレンタイン in 禁じられた森

 必死に走って、更に走って、どこまでも走って、窓から飛んで走って、がむしゃらに逃げていたら、は禁じられた森で迷った。
 なんとか抜け出そうと太陽と感覚を頼りに歩いていると、声がした。
「まさか? か?」
 名前を呼ばれた。
 誰よりも黒いローブを纏った、背の高い青年。
「あなたは?」
「……」
「……おれは、確かに、です」
「そう……か」
 安堵したように男性は腰を下ろしてを見上げた。
「あの、名乗りたくなければ結構です。無理に聞くつもりはありませんから」
 男性は驚いたように目を開き、そして細める。
 別に嫌な視線ではなく、にはそれが暖かい視線だと感じた。しばらく互いを見つめ合ってから、は膝を折って芝生の上に腰を下ろす。
 男性と同じ高さの目線になって、はじめて気付いた。
「綺麗……」
 髪の艶は失われ、痩せこけてはいたが、元はとても綺麗な男性だとは直感した。血の色より明るいその瞳だけが、それだけで若々しさを感じさせた。
 男性は手をヒラヒラと振って、を隣に呼び寄せる。
「あの、あなたは……おれのことを知っているんですか?」
「……昔に」
「お会い、したんですね……すいません。覚えていなくて」
「いや……それより、何故ここに居る? 立ち入り禁止だろう」
 男性の問いには今までの出来事を説明した。
 最後にあれはあれで、面白くはあるんですけど、と付け加え苦笑する。
「迷惑しているのか?」
「いえ……楽しい、の、かな? 変ですか?」
「……いや、楽しんでいるのか。そうか」
 微笑んだ男性には心臓が脈打つのが分った。
 細い腕が自分の肩に回され、強引でない程度に引き寄せられるとは座っていた位置を少しずらして、男性のすぐ隣に座った。
「暖かいな……は」
「……?」
「少し、話をしてやろうか。私と、お前の祖母の事を」
「お祖母様をご存知なんですか?」
 梳かれるように髪を撫でられ、は少し嬉しそうな表情をした。
 男性は相変わらず柔和な笑みを浮かべていて、の方を見ている。
「……私も昔、ホグワーツにいた。の祖母と、ダンブルドアに変身術を習った」
「はい。祖母は、確か一時期だけ変身術の助手をしていたと聞いています」
 の言葉に、男性は頷いた。そして言葉を続ける。
「お前の祖母は、他の教員とは違った」
「違う?」
「当時私は猫と被っていた。裏では色々やっていたが、表では教師にとって理想の生徒だ。見破れたのはダンブルドアと、お前の祖母だけだ。けれど彼女は、優等生を演じていた私を見抜いても尚……彼女だけだ、彼女は私の支えだった」
 それが、普通ではないのだろうか、はそう考えたが、男性の話をまだ聞きたかったので、口を挟むのを止めた。
 風が吹き抜けていった。
「孤児だった私は、夏休みは孤児院に帰らねばならなかった。帰りたくはなかった……あんな場所に、そんな私を預かってくれたのが、彼女だ」
「祖母が? じゃあ、あなたはおれの家にいたんですね?」
「ああ、しかしそれが叶ったのも1年だけだった。マグルの間で戦争が起こって……いや、彼女を責めてはいない。彼女は私を理解してくれた」
 感謝している。そう言って男性はを引き寄せた。
 男性の腕の中に抱かれ、は何だかとても気恥ずかしくなりながらも、体を預けた。もしかしたら、心臓の鼓動が伝わっているかもしれない、そんなことも考えた。
にも……何度か、会った。まだほんの小さい頃だ。あの頃から、少しも変わっていない、さっきも、すぐにお前がだと分かった」
「おれ、そんなに変わってないんですか?」
「気配で分かった。優しい、暖かい空気がお前のまわりには付いている。、お前は幼い頃から惹きつける……」
 男性の声が甘くの耳に響いた。
「私だけではない、他の人間も、動物も、植物も……闇さえも、お前は全てを惹きつける」
「闇?」
 その言葉には違和感を覚える。男性は自分自身が闇だとでも言っているようだったが、には、そう感じなかった。
「そうすると、おれは本当に大事な物をひきつける魅力はきっと……ない」
「それはまだ、お前がその大切なものを決めていないからにすぎない。お前は、私でさえも、魅了させる」
 をきつく抱き、男性はの顔を上げさせる。
 黒瞳は赤い瞳を捕らえ、その瞳の上にかかる瞼を下ろしながら男性は頭を振った。
……私は、本当は」
 カサカサした唇がの額に触れて、ゆっくりと離れていった。
 深淵のような漆黒の瞳が見開かれると、一度だけゆっくり瞬きをして儚く笑った。
 涙は流していないはずのに、涙を拭うように指を払った男性は金色に染まってきた空を見上げてお別れだと言った。
「私は、お前に憎まれる事が、きっと耐えられない」
「憎む? 何故、憎まなければいけないんですか?」
 もう一度愛しげに、名残惜しげに額にキスを落とした男性は杖を一振りして紫色の蕾の付いた花の球根をの手の中に入れた。
「いずれ、判る」
 男性は微笑みを浮かべている少年に向かって耳元で呪文を囁いた。
 の意識が遠のき、彼はを森の入り口まで魔法で飛ばした。あとは、森番が彼を見つけて何も彼も忘れて、は普通の日常へと戻っていく。
「……お前は弱過ぎる。強がりが過ぎる」
 男、ヴォルデモートはなにもない、雲一つ見えない空を見上げていた。
「私が、強くならなければならない」
 杖を握り締め、ゆっくりとローブの中に戻す。
 彼は、金色から夜に支配されていく空に愛した少年の名を微かに呼んだ。