曖昧トルマリン

graytourmaline

バレンタイン in 図書室

 騒がしい城内でもこの部屋だけはいつも静かだった。
 この日、ここに来る人間なんてたかが知れている。その知れている人間の一人がセブルス・スネイプだった。
 直接日光の当たらない一角を完全に占拠し、何やら難しい本を積み上げて完全に空間を隔離している。これに近付ける人間はそうはいない。
「何だ、随分息を切らせて……ああ、あの馬鹿から逃げてきたのか」
「スネイプ、スリザリンの後輩がお前を探していたぞ」
「そんなことを言いに来たのか?」
「そんなはずないだろう。ついでに決まっている」
 すっぱりと言い切ったにそれもそうだとスネイプは同意した。
 壁のように積まれた本を横目にみながら、は辛うじて空いていた一脚の椅子に腰を下ろしてスネイプが読んでいた本を一冊失敬した。
「そういえば、は魔法薬学は得意だったな」
「……いや、そうでもない。あれは苦手だ」
 冗談じゃないとスネイプは顔をしかめた。
 総合的には首席のジェームズに負けるとはいっても、の魔法薬学の点数はもはや伝説的な点数まで上り詰めている。ジェームズが全ての教科を高い点で守っているなら、は幾つかの教科を頭一つ抜けた点数で首席を脅かす存在だ。
 正直いえば、魔法薬学が得意なスネイプでさえ、に勝ったことはない。
 それが人並みだと言えるだろうか。
「実技が好きではない」
 スネイプの心を読んだかのようには無表情のままそう言った。
「紙の上の人間だ。それでは何の意味もない」
「そうか」
 ぱたん、と本を閉じてスネイプも軽い話をすることにした。
 人はいないし、たまには司書にも目を瞑って貰っても罰は当たらないだろう。
「お前さえよければ、ぼくが教えるが?」
「いや、調合はいいんだ。問題は材料で」
 の可愛らしい顔の中心に皺が寄るとスネイプは、教室の生徒用の棚の中にあるトカゲや蜘蛛を思い浮かべた。
 確かにグロテスクかもしれないが、もそんなものが怖いのかとスネイプは感心した。
「あの萎びイチジクとか熟れ過ぎレモンとか、触るとグチャッとなる感覚が大嫌いだ」
「……植物系統が、駄目なのか?」
「昔、箱入りの林檎に無謀に手を突っ込んでな。第二間接辺りまで中に食い込んだ時は……」
 思わずは身震いした。
「とにかくあの感覚だけは駄目だ」
 ギシ、と椅子に体を預けたは窓の外でひた走る犬を発見し、本の影に身を寄せた。
「……そうか」
「そうだ」
 溜め息をついたはスネイプの脇に寄せられていた羊皮紙を一枚一枚捲り、なにが書いてあるのかと興味津津の態で眺めていた。
「おい、誤字がある」
「直しておいてくれないか?」
「判った」
 スネイプはというと、本を片付け始め帰り支度をしている。の視線がそちらに注ぎ、本の影に隠れていた小さな箱を見つけた。
 ご丁寧にスリザリンカラーのベルベッドを惜しげもなく貼ってあり、銀のリボンで飾り付けまで施されている。
「スネイプも隅に置けないな」
「ポッターのような台詞を吐くな」
「いや、悪い。からかうつもりはない」
 トントンと羊皮紙を揃えて丸めたはそれをスネイプに手渡しながら微笑んだ。
「……別に、気になるら開ければいい」
「何を言っているんだ。スネイプ宛だろう、おれが開ける訳にはいかない」
「いいから開けろ」
「嫌だ」
 本日二度目のスッパリ言い切ったは真面目そうな顔でスネイプの瞳を見上げた。身長差があるのでスネイプは彼を見下ろさなければいけなく、若いのに既に眉間には年中皺が寄っている。
 今日はそれが一段と深い。
 しばらく経って、根負けしたのはスネイプの方で舌打ちをしながら銀色のリボンを解き、に向かって蓋を開けた。
『親愛なるへ』
 蓋の裏に貼られたベルベットに銀の刺繍がそう文字で施されていた。
 スネイプはから視線を外し、真っ赤に頬を染めながらだから開けろと言ったんだとかブツブツ言っている。
 中に収まっているのはクリスタルの瓶に入った液体だった。その上に一輪のユキノシタが香りを放っている。
「スネイプ」
「……」
 に名前を呼ばれようとも、スネイプは決して視線を彼に向けようとはしなかった。
「スネイプ」
 パタン、と蓋の閉じる音がして、手の平から箱の重さが消えた。
「セブルス」
 いきなりの事で、に呼ばれたことがなかったファーストネームを呼ばれ、スネイプは驚きの余りの方を振り向いてしまう。
 瞬間、口の端に柔らかい感触がした。
 それが、椅子に上ったにされたキスだということが分ったのは5秒ほどした後で、現実処理をし終わった途端、スネイプはパニックに襲われた。
お前!?」
「静かにしろ、人が来る。おれだって恥ずかしいんだ」
 コソッと耳打ちされた耳まで真っ赤に染まっていて、心拍数など爆発するかと思うくらいドキドキしっぱなしだった。
 頬を朱に染めたの顔がすぐ近くにあって、口を利く事も困難な状態に陥っているスネイプは自分を落ち着かせるために何度か深呼吸する。
「……。いきなり、なにを」
「いや、まさかスネイプからプ貰うとは思わなくて……お返しなんて用意していなかったから」
「ぼくは見返りを望んだ訳じゃない、ただ」
「秘めたる思い」
 ぼそ…と呟くように言ったにスネイプは身を引いた。
「っ!?」
「ユキノシタの花言葉。おれが知らないとでも思ったか」
「……思った」
 真っ赤になった顔を俯けて片手で口を覆ったスネイプに、は照れ隠しでもするように曖昧な笑みを浮かべた。
「いや、それで合っている……今さっき知った、スネイプ、自分のレポートはむやみに人に見せる物ではないぞ?」
 羊皮紙の束の中から一枚引き抜いたはそれをスネイプに渡した。
 書いてあったのは、香水の調合方法と、ユキノシタの花。そしてメモ程度に書かれた秘めたる思いという言葉が二重で囲ってある。
「……」
 もしかしたら首まで赤くなっているんじゃないかと思うくらい、スネイプは入り交じる恥ずかしさに体温を上昇させていった。
 が椅子の上から降りて、スネイプの横を小走りに駆けて行く。横目で確認したが、彼も耳まで真っ赤になっていた。
 机の上に置かれたままの羊皮紙を拾い上げ、ふと裏に文字が綴ってあることに気付くと彼はそれを目で追った。
 もう一つの花言葉、切実な愛情。
……」
 椅子に凭れかかりながら、当分はに会う度に赤面することは必至だろうとスネイプは頭を悩ませた。
 しかし、それも悪くないと思う、自分がいた。