バレンタイン in 保健室
は医務室に逃げ込むと同時ににこにこした青年に話し掛けられた。
「ぼくの事は知らないだろうね、ぼくは君のこと知っているよ」
やたらと爽やかに言われ、ついでに抱きしめられたはまた変な野郎に付き纏われるかもと嫌な想像をしてしまった。
何よりも、男に抱きつかれることに精神的にも肉体的にも慣れてしまった自分が嫌だった。
「初めまして、ぼくはフランク・ロングボトム。グリフィンドール寮の7年生だよ」
「どうも……それでは失礼しました」
「待って待って、今外に出ると鳶色の髪の彼に見つかるよ?」
律儀に礼をして医務室から出ようとしたにフランクはにっこりと笑いかけた。
「さっきね、彼がこっちに向かって走ってくるの見たんだよ」
「……」
「こっちには来ないかもしれないけど、下手な賭けをして見つかるのは嫌でしょ?」
そう言ってフランクは紅茶を宙に浮かせたまま一息ついた。
甘い香りが部屋の中に香り、フランクはまだ無邪気に笑っている。
「それに、こんなところで騒ぎ起こしたらマダムに怒られるしね」
の手を握って紅茶を勧めるフランクに結構ですと答える。
「おや、窓から逃げる気かい? 薬品棚に靴の汚れが付くとぼくが拭き取らないといけないんだよなあ」
薬品棚を踏み台に、高い位置にある窓から逃げようと目論んでいただったが、フランクの一言ですごすごとベッドの上に腰を下ろした。
有無を言わさず紅茶を差し出すフランクに負けて、一緒にティータイムを過ごす羽目になったはしばらく無言の茶会のまま時を過ごした。
「ミスター・?」
「……」
「何故君はそんなにつまらなそうな顔をするんだい?」
「は?」
「世の中は楽しいものだよ。特に君の周りにたむろする後輩たちは群を抜いて楽しい」
「……まあ、楽しそうではありますけど」
「ミスター・スネイプも君も、もっと楽しそうに時を過ごせればいいのに」
紅茶の香りが医務室に漂う。は無言でフランクの言葉を聞き流した。
「うん、でも、それが君なりの楽しみ方なのだろうね」
は顔を上げてフランクの正面を見据えた。
今度はフランクが視線をはずして窓の外を見ながら微笑んでいる。
「ミスター……ロングボトム?」
「はいはい、何かな。っと、怪我してるね」
「え?」
指差された左の頬には軽いかすり傷ができていて、血がじわりと染み出ていた。
「なんで気付かなかったんだろう。ほら、治療するよ」
「え? あ、あの」
「マダムならしばらくの間帰って来ないよ、今薬草学の先生と一緒にちょっとした薬の調合をしているんだ。偶然通りかかったぼくが留守を頼まれてね、怪我人を見過ごしたなんてばれた日には雷が落ちるよ」
薬品棚から草を磨り潰したような色をした薬品を取り出して、清潔な布にそれをあてた。
「紅茶を堪能しているところ悪いんだけど、いいかな?」
「あ、はい」
フランクが杖を一振りすると紅茶は陰も形もなくなって、変わりにアルコール臭が紅茶の香りにかぶさった。
「目を瞑って、あと口も閉じてね」
「……」
「そんな睨まないでよ。その隙にキスなんてしないから、誓うよ」
苦笑するフランクには仕方なさそうに大人しく目を瞑った。が、フランクが彼の頬に布を当てるより早く、医務室のドアが開いた。
「「! ここにいたのか!?」」
「……何の用だ、ブラック、ルーピン」
「何って……! 怪我したの!?」
「そんな……まさか、おれのせいで!? 大丈夫か! !」
いきなり来て騒ぎ立てる犬と狼には青筋を浮かべてアッパーカットを食らわせ、彼らは簡単に気絶させられた。
面白そうに、けれど呆れたようにフランクが腹を抱えて笑った。
「ミスター・。困るなあ、怪我人増やしちゃ」
「別に看護しなくても結構です」
「おや、それは酷い。大切な親友だろう?」
くすくすと笑いながらフランクはもう一度。薬を布に当てた。
「まあ、君がいいと言うならぼくが看護するまでだけどね。さ、そこに座って」
ベッドに座って大人しくするにフランクはデスクの上に薬品瓶を置き、その布を頬に当てて行った。
「やっぱり、少ししみるみたいだね。シャワー浴びるときは気をつけるんだよ」
頬を伝って流れてきた液体を拭って薄いガーゼを貼り付けると、フランクは自分の行った作業に満足そうに頷いた。
は静かに目を開け、治療されてから痛むようになった擦り傷に軽く触れて、すぐに手を離した。そんなを見てフランクはまた微笑む。
「さ、マダムが帰って来るまで、ぼくはもう一仕事しないとね」
床にダウンしたまま動かない後輩を眺め、フランクは呪文を唱えてベッドへ寝かせる。ついでにデスクにおいたままの薬品も元の位置に戻し、代わりに別の薬を取ってきた。
はしばらくの間ボンヤリとその様子を見ていたが、医務室にマダムが帰ってきた事に気付くと慌ててフランクに礼を言って廊下へと逃げようとする。
「ちょっと貴方たち、動いてはいけません!」
マダムの声が医務室に響き、扉付近にまで来ていたは思わず振り向いてその光景を見てしまった。
……フランクとマダムにベッドに縛り付けられるシリウスとリーマスの図。
何も見ないことにした。
「「先生! でもが……」」
「ミスター・。早くここから出なさい」
「はい、失礼しました」
「「!?」」
医務室からが立ち去ろうとすれば叫ぶわ喚くわの大騒ぎ、呆れ返るマダムを見兼ねたのはフランクが先だった。
「うん、よし。では可愛い後輩のために、ここはぼくが一肌脱ぎましょう」
彼が浮かべた笑みは、ジェームズ・ポッターのそれと似ている。は本能的にそれを悟り、逃げようとしたが、しかし掴まってしまった。
「……何する気です?」
「いや、ライバルだろうとなんだろうと利用できるものは利用しようと思ってね」
掴んだ腕を引き寄せるとの体はフランクの腕の中にすっぽりと収まってしまった。抵抗しようにも、腕を抱き込まれて振りほどくことはできない。
「大丈夫、怖がらないで」
はフランクがシリウスとリーマスの方をチラリと確認した事に気付いた。けれど、その後はそれどころではない。
低い声で耳元に囁かれると首筋まで真っ赤になって、反論すらできなくなってしまった。整った顔があるように、人を惹きつける声というのもあるのだと混乱する頭で考える。
「そんなに強張らなくてもいいよ、力を抜いて……そう、それでいい」
シリウスやリーマスの声が、随分遠くで聞こえる気がする。
頭の中にまで響いてくるフランクの声には言われるままに力を抜くしかない気がした。頭を撫でられるのが心地好くて、自然に微笑みが漏れた。
フランクの視線が自分と揃っていると言うことをぼんやりと考えながら、ふと唇に暖かいものが触れたことが分った。
「、君にこの花を贈るよ。無理はしなくてもいいけど、楽しい時には笑った方がいいよ。笑った君は綺麗だ」
フランクが腕の中に納めたのはシネラリアの鉢だった。可愛らしくリボンとフリルでラッピングがしてある赤紫の花だ。
「花言葉は『常に快活』と『喜び』ぼくの好きな言葉だ。あ、もう行かなきゃね、二人とも、彼を口説く時は優しく大人の男性を演じるんだよ? じゃあね、」
ぽふぽふと頭を叩かれると、フランクはそのままどこかへ走りだそうとした。
「あ、フランク」
「なにかな?」
「その、またな」
気恥ずかしそうに花に顔を埋めながらはフランクに挨拶をした。フランクもニッコリと笑ってまた会おうねと言うと、後ろから駆けてくる二人から逃げるように走り去ってしまった。
残されたはシネラリアの花を持ったまま、シリウスとリーマスに大丈夫かとか何て事するんだとかいう言葉を聞いていた。
「、平気?」
「どうしたんだ? 、黙って?」
「いや、なんでもない……」
医務室を後にするにシリウスとリーマスは不安そうに顔を見合わせて、耳まで真っ赤にしたままぼうっとしたの後ろを心配そうに付いて行った。
「なあ、リーマス。まさか、は……」
「シリウス、君が何を言おうとしているのか、ぼくには分るよ、でも、それはとても不吉なことだって……分ってる?」
「ああ、でも……ん?」
「どうしたの?」
無造作に突っ込んだポケットからメッセージカードが現れた。格好は普通にバレンタインデーに贈られるような可愛らしいものだったが、問題は内容だった。
はじめまして
今し方、君達のプリンセスの唇と心を奪っていったフランク・ロングボトムという者だけど、ぼくもぼくなりに本気で行くからその辺よろしくね
「「……」」今し方、君達のプリンセスの唇と心を奪っていったフランク・ロングボトムという者だけど、ぼくもぼくなりに本気で行くからその辺よろしくね
シリウスが読み終えた途端、リーマスがそれを粉々に粉砕して燃やし始めた。
彼等の瞳に宿る炎は尋常ではなかった。とりあえず眼力で軽く人間を二桁は殺せそうな程に恐ろしかった。
「フランク……」
真っ赤になってカードの主の名を呼ぶについに犬と狼はキレたようだ。
その日から、フランク・ロングボトムと悪戯仕掛け人の壮絶なる鬼ごっこが展開されたりして、結局フランクが卒業するまで彼等から逃げ切った事はグリフィンドールの伝説となったりもした。
当時、某蛇寮の某氏が大嫌いだったシリウスでさえ、それをはるかに上回る勢いでフランクの事を嫌っていたと言う事が、今でも鮮明に思い出されるよ、とドス黒い笑みを浮かべた鳶色の髪の彼は親友の息子に後々語ったそうだ。