雲間の月
少年はそう言って真新しい傷の出来た腕を縫合する。
慣れた手つきで傷を塞いでいるその手の主は、まだ小さな少年だった。
月明りの下で針と糸が光り、少ない光の中でも彼は滞りなく傷の処置を行う。
「出来た……って。リドル、まだ動かしちゃ駄目だよ」
「がやったんだ。大丈夫だろう」
「今は麻酔が効いてるだけ」
包帯を取り出しながらは腕を動かしているリドルを軽く睨んだ。
「大体、私はヤブなんだから。安心しちゃ駄目なんだから」
幼い口調で大の大人を叱り付ける姿が愛しくて、苦笑しながら腕を下げると満足したのかその腕に包帯を巻いていく。
リドルが怪我をした日のは、いつもに比べて随分厳しい。
がこれよりもまだ小さかった頃に血をダラダラと流して目の前に姿を表した時など、彼は怯えたり狼狽えたりすると思ったら何をしているのかと一喝して治療した揚げ句、しばらく安静にとまで宣告された。
可愛らしい面ばかり見ていたリドルにはかなり新鮮な出来事だったと、今もその時の事は鮮明に記憶に残っている。
「ヤブなんて言葉、どこで覚えたんだ?」
「知らない、猫又さんが言ってた」
「またあの猫か」
綺麗に巻かれた包帯を眺めそう言うと、は上目使いでめっ! と言ってきた。
「猫又さんは全然悪くないよ。猫又さんが居なかったら、今よりもっと世間知らずだったもん」
「……私がいるだろう」
「リドルは……お仕事あるから、いつもは、側にいないもん」
俯いてボソボソと喋ったにリドルは少し眉を寄せて、無傷の片腕で膝の上に座らせてそっと抱き締める。
「寂しかったか?」
「ううん」
「じゃあ何でだい?」
即答で否定され、少し落ち込みながら尋ねると少年は困ったように苦笑して広い胸に小さな体を預けた。子供の体温が背中を伝って感じ取れる。
冷えてしまった手が抱き締めていた手の上に乗ると握り拳を包み込んだ。
「心配だったの」
「……」
「今は私でも治せる怪我だけど、これからは分からない。リドルが大怪我してここに来た時、私が子供だから助けられませんでしたなんて言い訳したくないの。でも、私にもどうしても、限界があるの……でも、その限界を見て諦める自分なんて絶対に嫌」
「は、私を助けたいのか?」
その問いに、再びは首を横に振る。
「そんな事をしなくても、リドルは強いもん……だけど心配なの。怪我は治るけど、傷を受ければ痛いでしょ。リドルが痛いおもいをするのは嫌なの」
「痛くないよ」
「痛いよ」
「痛くないよ」
「……どうして痛くないの?」
不貞腐れたように、声を窄めて尋ねるは体を前屈みに丸めた。
それにリドルが覆い被さると小さな体が子猫のように鳴いたような気がする。
「が、心配してくれるから」
「……何で?」
「それだけだよ」
「よくわかんない」
腕の中でおとなしく丸くなっているの頬にキスをしてこちらに視線を向けさせた。
「リドルは、嫌じゃないの?」
「何が?」
「リドルは強いのに、子供の私に心配されて嫌じゃない? 私、失礼な事してないの?」
「しているはず、ないじゃないか」
怯えている子猫のような子供をそのまま抱え上げて、薄明るい廊下を歩き始めると小さな手がしがみついてくる。
あまり感覚のない包帯の巻かれた方の腕で背中を撫でると、は頬を赤く染めたように見えた。
「心配しておくれ。私は必ずの元に帰ってくるから、だから、心配した後に……安心したの顔を見せてくれ」
しがみついたままの体を連れて、障子戸の向こうの寝室へと姿を消す。
灰色の月光を一瞬だけ見上げ、リドルはすぐに戸を閉めた。