名前
彼の本名は知らない。ただ昔リドルと教えられて、そう呼び続けているし、彼を呼ぶのに不自由したことはない。
リドルの部屋は、彼がいつ帰ってきてもいいように綺麗にされている。一度帰ってくると、それなりに、リドルはこの家にとどまった。
ただ、またふらっと知らないうちに消えると、今度はいつ帰ってくるのかわからない。短ければ3日、長くなると半年くらい、いなくなる。
「せめて長いのか短いのかくらい言ってくれればいいのに。あ、それともわからないのかな」
今、この家にリドルはいない。
お祖母様もしばらく家を空けるとだけ言っていなくなった。相変わらずわたしは、家事をしてくれている妖怪たちを手伝いながら、毎日のようにリドルの事を考えていた。
「会いたいな」
コロンコロンと下駄を鳴らす。
それを合図にするように、座敷童や、小さな子の幽霊が周りに集まってくる。何でも、最近はリドルの事でわたしをからかうのに精を出している。
怒ってるわけじゃないんだけど、彼等の言っている事は正しいから。
「焦がれてるね」
「コガレテル!」
でもやっぱり腹は立つ。
「あんまりからかわないでよ」
「だって焦がれてる」
「会いたいんでしょう」
「それは、そうだけど……」
だからって四六時中からかわなくったっていいと思わない?
第一リドルに会いたくても、会いに行けるはずはない。どこにいるのかすらわからない人の元になんか、行けるはずはない。
「……会いたいよ」
リドルに会いたい。
急に心の中が淋しくなった。
ここにはお祖母様以外の人間はいないけれど、淋しくなんてなかった。神様や妖怪や幽霊がいつだって側にいてくれて、淋しいなんて感じたことはなかった。
「会いたいよ……リドルに会いたい」
少しずつ小さくなる声に、みんなは心配したようにわたしを覗き込んだ。
「……大丈夫、ちょっとだけ淋しくなっただけ」
「淋しかったのか?」
「え? リドル!?」
振り向くと、相変わらず真っ黒いローブを纏ったリドルが、静かに立っていた。
「ただいま、」
「リドル。あの、お帰りなさい……」
多分、わたしの顔は赤いに違いない。何だかリドルが見下ろして笑っているみたいだった。やっぱり、リドルに会いたいって聞かれたみたいだった。
いつの間にか座敷童たちはいなくなっているし。もしかして、わたし嵌められたりした?
「……すまない」
「リドル?」
「すまない、淋しい思いをさせて」
「リドルのせいじゃないよ。それに淋しくなんてないもん、平気だよ?」
だけどリドルは心配した顔で、わたしを見下ろしている。
「あの、えっと……リドル、わたしね、淋しくなんてないよ? でも、リドルに会いたかった」
「私も、に会いたかったよ」
「うん。ね、リドル。名前呼んで」
「名前?」
リドルは不思議そうにわたしを見下ろした。大人の男の人の手が、頭を撫でてくれている。
「」
「ありがとう、リドル。わたしね、名前呼ばれると安心するんだ」
「安心?」
「だってこれはわたしだけの名前だもの。大切なわたしの名前。大切な人に付けられた、大切な人に呼ばれるための、大切な名前」
リドルと手を繋いで、わたしたちは家の方へ足を向けた。リドルの靴がコツコツと飛び石に鳴って、それより少し早い調子でわたしの下駄がカランカランと鳴る。
「名前、か」
「どうしたの?リドル」
「トム、という」
トム?
「リドルの名前?」
「そうだ。トム・マールヴォロ・リドル」
……でも、なんだかリドルは呼ばれたくなさそう。わたしの場所から見える表情が、とても曇っている。
見ていて、哀しい。
呼びたくない。
「リドルは、リドルだよ」
「?」
「わたしはリドルって呼びたいな。それじゃあ、駄目?」
「……いいや」
リドルの表情がもとに戻る。
「じゃあ、リドル!」
「なんだ?」
え? ただ呼んでみただけなんだけど。
「お風呂入ろう、背中流すよ」
「……そうだな」
家に上がって、リドルはお風呂へ向かった。わたしは着替えを用意するからと、リドルの部屋にまで取りに行くために途中でリドルと別れることにした。
「お風呂の場所、覚えてるよね?」
「ああ」
「先に入ってていいからね? 着替えとか用意して、すぐに行くからね?」
「……ありがとう、」
ありがとう、って当たり前のことしているんだし。
「いや、何でもないよ」
「変なリドル」
わたしは廊下を駆け出して、急いでリドルの部屋へと向かった。