曖昧トルマリン

graytourmaline

真昼の月

 月齢は13、窓の外から見えた白昼の月がもうすぐ満月だと告げている。
 時間なんか止まってしまえばいいのにと、月なんか満ちなければいいのにと思った。
 仲間外れには慣れていて、それはすべて人狼であるぼくが悪いと思っていた。
 公園の片隅にうずくまって、時を過ごすのが酷く辛くて、気付いてみれば家の中から一歩も外に出ようと思わなくなっていた。
 両親もあまり外に出したがらなかったから丁度良かった、ぼくはもうこれ以上誰も傷つけたくないし傷付きたくなかった。
「こんにちは」
 窓ごしに、幼い声が聞こえた。けれどぼくは窓を開けようとは思わなかった。窓の外から聞こえるのは、いつも外で楽しそうに笑う子供の声だった。
「ごめんなさい、リボンを取って戴けませんか?」
 窓から見える塀の向こう、黒い髪がちょこんとだけ見えた。
「そこのリンゴの木に引っかかってるんです」
 相変わらず窓の外には黒い髪が見える。木には確かにマリンブルーのリボンが引っかかっていた。
 居留守をしよう。係わり合いになりたくない。
 ぼくは厚いカーテンを引いて部屋の中を暗くした。
 黒い髪の子供は、まだそこに居る。まるで死神犬みたいだ。ああ、でも、その方がいいかもしれない。24時間してぼくが死んだら、両親も肩の荷が下りるだろう。
「あの……」
「君は死神? それとも死神犬?」
「人間だよ。神様なんて恐れ多い存在じゃないし、犬っていうよりうさぎみたいだから」
「うさぎ?」
「うん、うさぎ」
 窓の外の気配が笑った。
「あなたは、おおかみ?」
「……!」
 何で、何で知ってるんだ。バレたのかもしれない。だめだ、もうここに居られない。
「おおかみは好きだよ。勇敢で貴くて優しいし、古くから山と森を管理してる」
「……どういうつもり?」
「どうって?」
「そんな言葉でぼくを惑わすつもりならいっそ殺してくれ!」
「惑わすつもりなんて無かったんだけど……ああ、そうか。こっちはおおかみに対していい感情がないんだっけ。きつねでも虎でも、獣憑きなんて珍しくもないのにね」
 別に人間が獣になっても、獣が人間になってもいいのにねと黒い子供がぼくに同意を求める。まるで違う世界から来た存在みたいに思えた。
 違う世界、そうなのだろう。ぼくの正体を一瞬で見抜いても蔑まず、受け入れている。人間だけどうさぎと言っていた。
 それでなければ、とうとう気でも狂って幻覚を見ているんだろう。
「ぼくを殺すの? それともどこかに連れて行くのかな」
「ええと、さっき言ったと思うんだけど、リボンを取って欲しいだけなんだ」
 そういえば、そんな事を言ってたかな。
「リボンを取ったら、ぼくを楽にしてくれる?」
「楽に?」
「殺してくれる、って訊いてるんだ」
「殺人を犯す気には……なれないんだけど。ああ、ごめんなさい、もう行かなきゃ」
「なんだ」
 ああ、がっかりだ。
「だったら、勝手に取って行けばいいのに」
 ぽつりと呟いてみても、あの子供から返事はない。もう行かなきゃと言っていた。どこかに行ってしまったのだろうか。
 カーテンを開けて窓の外を見る。リンゴの木に引っかかっていたリボンは、影も形も消え失せていた。
「あの子なら、ぼくを苦しみから解放してくれると思ったのに」
 昼の空に漂う薄く青褪めた満月の下で幻覚を見た。やはりぼくは狂っているのだろう。