階段
雨も降っていないのに真っ赤な傘をさして、魔法界の中でも奇妙に思える服を着て、変な靴を履いて、幅の広場に通じる広い階段の隅の方でぼうっと曇り空を見上げている。
道行く大人の魔法使いたちは、そいつを一瞬見て、すぐに視線を逸らす。
親に連れられた子供がそいつを指して笑っていた。
そいつは身動き一つしなかった。
おれはずっとそいつを、広場のベンチから見ていたけれど、そいつが余りにも気になって、気付かれないようにゆっくりと階段を上って近寄ってみる。
年齢は弟と同じか下だ、真っ赤な傘に阻まれて顔は全く見えない。けれど、それはあいつも自分が見えないという事だと思っていた。
「わたしに、なにか用?」
だから、いきなりそんな事を呟かれて、おれは二三段階段を下りてしまった。けれど、よく考えてみれば空を向いているこいつが階下にいるおれに話しかけるはずなどないと思い、更に進んでみる。
そして、また同じ台詞。辺りを見回しても、あいつに近付いている人間はおれ一人。
……バレてる?
「おれ?」
「あなた以外に誰がいるの? あそこのベンチから、ずっとわたしの事見ていたでしょ?」
確かに見てはいたけど、何でわかるんだ! だってこいつは空を眺めていたから、おれが視界に入るはずはないのに。
「あれだけ熱心に長時間見られていたら、嫌でも気付くよ」
「……!」
こいつおれの心を読んだのか!
「あなたも、考えたことがすぐ表情に出るんだね」
そいつは傘みたいなものを畳んで、おれの方をじっと見てきた。
真っ黒い髪に真っ黒い瞳、アジア系の女の子。
「……女の子じゃないよ?」
「え! 男!?」
「そう、こんな格好してるけど男」
女にしか見えない男がおれの所まで階段を下りてくると、乾いたカランカランという音がした。この靴がその音を出しているらしい。
「わたしは、がファミリーネームでがファーストネーム。あなたの名前は?」
「え……ああ、シリウス。シリウス・ブラック」
「素敵な名前、光り輝くものって意味だね」
「……それだけ?」
魔法界でブラック家といえば悪い意味で有名なんだけど、驚いた様子がない。でも、弟と同じくらいの年齢でこっち側に居るんだから魔法族なんだろうし。
こういうのは初めての反応だ。
「もしかして、ブラック家の事を言ってるの?」
「……有名だろ」
「イギリスではそうみたいだね。わたしはよく知らないけど」
ああ、そうか。こいつはイギリスの魔法使いじゃないのか、てっきり中華系だと思ってたけど。きれいな英語喋るから。
「中国人?」
「日本人」
「ああ、トヨハシ・テングか」
「豊橋天狗って鬼祭の事?」
「なんだそれ。日本のクィディッチ・チームに決まってるだろ? 知らないのか?」
「豊橋で天狗だったら鬼祭でしょう? そっちの地方だと儺追神事や豊年祭が有名だけど……あ、でもちょっと待って、確か実業団があるって聞いたことがあるような」
「いいよ、もう」
アジアは箒よりも絨毯の方が普及してるっていうからな、知らなくても無理ないか。
おれたちは階段に腰を下ろして、広場を見下ろした。
さっきから空ばかり見ていたも、広場に行き交う魔法使いが珍しいのか微笑みを浮かべてそれを眺めている。おれはどちらかと言うと、道行く魔法使いよりもの方が見ていて楽しい。
霞んだ白い服に、真っ赤な傘。よく見てみると、白い服の内側にくすんだ緑の服も着ている。なんだか服装の細かい所まで気を使っているみたいで、まるで女の子だった。
カラン、と階段に変な形の、サンダルみたいな靴を打ち付けて、はおれを見る。
「この服、そんなに気になる?」
「ああ、珍しいから」
「結構目立つよね、この年頃の女物は派手だから」
「はあ!? お前女装趣味!?」
自分は男だって言ってるくせに! 妙に似合ってて違和感はなかったけど!
「お前じゃないよ、名前を教えたんだから名前で呼んで」
「って、そーゆー趣味とかあるわけ?」
「別に女装癖なんてないよ、家の皆が似合うからって着せらてるの」
なんて家だ。危機感を抱いてない辺り、十分に女装癖が現れる前触れじゃないのか?
「あ……じゃあね」
「もう行くのか?」
もしかして、怒らせたかな?
「うん、お祖母さまが来たから」
「そっか、じゃあな」
また赤い傘を差したは祖母だという女性と、隣に居る背の高い男の所へ走って行ってしまった。
多分、三人で旅行に来たんだろう。
「おれもそろそろ帰るか」
あいつとは、二度と会える気はしなかった。