奥山の一羽烏
それをご機嫌に見つめている小さな体。
そんな様子に興味を持ったのが、今日のリドルの運の尽きだった。
「……、これは何だ?」
「いなご」
「これは?」
「へぼ」
「これは?」
「どち」
「これは?」
「いもばち」
「今更で済まないが、これらは何故瓶詰めにされているんだ?」
「食べるの。おいしいよ?」
これは何かの試練なのかと強い疑問を覚えたリドルは悪くない、ついでに誰でもいいから答えてくれとも強く願っていた。
「美味しいというが、私には……これは、幼虫や成虫に見えるのだが、気のせいか?」
魔法薬の材料も大概だが、しかし、原型を留めたまま食べるという事はまずない。基本的に粉末かペーストになっていて、しかも薬になっている時には見る影もない。しかしこれはない、ありえない。
背筋に大量の嫌な汗をかきながら、それでも辛うじて笑顔を保った状態で、リドルは目の前の幼子から否定の言葉を待つ。
何処をどう見てもバッタが茶色い液体と共に瓶に入っている現実を無視して。
「虫だよ。えっとね、さっきも言ったけど、これはイナゴって言ってね」
「いや、いい。それ以上言わなくていい、イナゴも知っているから説明はいい」
「それじゃあへぼは……」
そう言って今度は何かの小さな幼虫がぎっちりと詰まっている大瓶を片手で掲げてみせる。
この子は相変わらず見かけに反して力持ちだな、などと現実逃避をしようとしたリドルの思考に理性がストッパーをかけた。
目の前でがへぼの説明を始めようとしたので。
「いや、いいんだ! 、頼むから何も言わないでくれ!」
「リドーさん、へぼ知ってるの?」
「知っている! 知っているから説明はいらない!」
「そっか、知ってるんだ。さすがリドーさんだね!」
とっても可愛らしい笑みで蜂の死骸が大量に入った、がいもばちとか言っていた瓶を抱えている様子は、もう嫌とか嫌じゃないとかよりもシュール過ぎて涙が出てきた。
「そ、それより、。それは食べ物……なのだろう?」
「うん」
「なら早くしまわないと、痛まないか?」
「あ! そうだね!」
何の為にそれを出したのかは知らないが、とにかく一秒でも長くその物体を見たくないリドルはにそう言ってグロテスクな瓶詰めを床下に仕舞わせ始めた。
嫌なら別に台所を出て行けばいいだけなのだが。
「あ、それはしまっちゃダメなの」
「……この、どちとか言う瓶のことか?」
「うん、それはね。今日のお夕飯のおかずなの」
今、この場でこの瓶を土間に投げつけ再生できないよう燃やす事が出来ればどんなにいいだろう、と彼は心の中で号泣した。
「おばーちゃんがね、食べたいって言ったの」
「……っ!」
彼の脳裏に、とてもとても楽しそうに笑っていらっしゃるの祖母の顔が浮かんで、消えなかった。それどころか何故か高笑いの幻聴まで聞こえる気がした。
暇になったら孫を使ってリドルで遊ぶ、これは最近彼女のお気に入りらしく、先日もリドルは彼女に女装させられた記憶がある。
早くその記憶を思い出に昇格させ、忘却の彼方に投げ捨てたい、とか彼は思った。
「今日はおばーちゃんね、とリドーさんと三人で食べたいって言ってくれたの!」
「そうなのか……それは珍しいな、いつもは一人で食べているのにな」
「うん! だからおばーちゃんとリドーさんと一緒で嬉しい」
前回のの鏡に続き、今回盾に選ばれたのはの笑顔。断ればは泣きはしないが絶対に悲しがる。そんなどうでもいい自信が彼の中にはあった。
リドルの弱点を的確に突いた素晴らしく単純な手段だと涙ながらに賞賛するしかない。
「夕飯が、楽しみだな……」
「うん! どちはね、カイコのサナギで、煮付けにするとおいしいんだよ」
「そうか……」
蚕の蛹か、私は今日中に絶対蚕の蛹を食べる運命にあるのか。
「少し、心の準備をしておく。彼女との食事は私も久しぶりで、突然だからな……」
無我の境地に達しないと今日という日から生き残れないと感じたリドルは、一人きりになれる場所を探しに旅へと出て行った。
行ってらっしゃい、夕飯までには帰ってきてね、と新妻みたいなことを言って笑顔で送り出してくれたの視線が、とてもとても痛いものに感じたのだった。
ちなみに本日の夕食時、結局我を捨て切れずの祖母に「私に鼻を摘まれて無理矢理口の中へ詰め込まれるのと、この子に『あーん』して食べさせて貰うの、どちらか選びなさい」と笑顔で奈落の二択を出題という当身から、
「明日はへぼが食べたい気分になったわ」
という追い討ちのコンボを決められて、残り少ない精神力を総動員して勘弁してくださいと土下座しながらマジ泣きする闇の帝王を夢見る青年の姿がそこにはあったそうだ。