曖昧トルマリン

graytourmaline

コインロッカー

 縁側にコロンと転がって目の前の黒猫となにやら話していたが、少し潤んだ瞳でリドルの元に現れたのはその日の午後だった。
 ぐずるように小さく身体を丸めて、何も言わずに飛白模様の袖を掴んで離さない。
「どうした、猫になにかされたのか?」
 リドルのを気遣う柔らかい言葉の裏に、殺気に似た感情が込められていることを、は知る由もない。
 小さな身体は抱き上げられ、膝の上に乗せられるとよく紅葉のようだと形容される可愛らしい手がキュっと胸元を掴む。
「ひっかかれたのか?」
「ううん」
 ほんの少しだけ涙声で否定すると、小さな口からは、お話聞いたのと聞こえた。
「お話?」
「えと、都市、伝説? の、お話」
「ああ、マグルの物好きがよく話す……それで、恐い話だったのか?」
「悲しいお話」
 膝の上からリドルを見上げたの髪を梳いてやりながら柔らかく笑う。
 しかし、リドルの記憶では都市伝説という類に悲しい話などなかったはずなのだが……幼児いや特有の、感性の違いだろうか。
「どんな話だったんだ?」
「えっとね、コインロッカーの赤ちゃんってお話」
「……」
 そのタイトルだけでリドルは、大まかな話の内容が掴めてしまった気がした。
 リドルの想像が正しければ、この話で涙を誘う言葉はどこにも出てこない。
「ある大きな国にお母さんがいたの、お母さんは男の子を生んだんだけど育てれる自信がなかったの。だからね、大きな駅のコインロッカーに赤ちゃんを預けて、鍵を捨てちゃったの」
「それで、そのあとお母さんと赤ちゃんはどうなったんだい?」
 このままリドルの考えている言葉がの口から出てこればそのまま出てこれば、確実にこの話で涙腺は緩まないはずである。
 それなのに、再びは小さく俯いて丸い背中をリドルにもたれさせてふっと息を吐いた。
 少しだけ落ち着くように呼吸をすると、話の情景を思い浮かべるように続ける。
「5年後にね、そのお母さんだった人が駅のコインロッカーの前を通ったの。そしたらね、迷子の男の子がいたの、お母さんだった人は可哀想に思ってその子のところに行ったの」
「……」
「その子にね『お父さんはどうしたの?』って聞いたら、もっと泣いちゃって……それから『お母さんは?』って聞いたらね、その子は『お前だ!』って」
「……これで、全部か?」
「うん、全部」
 一言目から全てが予想通りの、どこにでも転がっていそうな有り触れた話だ。
 どこが悲しいのか判らない。心当たりと言えば、も同じように母親に捨てられたという事くらいだろうか。しかし、どこか違う気がする。
「悲しかったのか?」
「だって、赤ちゃん、お母さんだった女の人が来るまで、そこでずっと待ってたんだよ?」
「……」
「それって、とっても辛いよね? もね、リドーさんに会う前はちゃんといい子になったら、いつかお母さんやお父さんがの事お迎えに来てくれるって……思ってたの」
「……今はもう、いいのか?」
 リドルにそう言われ、は笑って頷いた。
「リドーさんがいるもん、それに……知ってるもん」
 リドルの身体にしっかりと抱きつきながら、それ以上は何も言わなかった。
 両腕でを向かい合わせにして膝に座らせて、何度も頭を撫でる。
「全部知ってるから、大丈夫だもん」
 急に子供っぽい口調になるの頬に唇を落とすと赤い顔をしても恥ずかしそうにリドルにキスを返した。
 ついこの間初めて教えられた、知らない国の親子のコミュニケーションに少々戸惑い赤くなりながらも素直に従う。
「そうか」
「うん」
「大丈夫だよ、私はお前から離れたりしない。ずっと傍にいるから」
「うん」
 くしゃくしゃと撫でられた髪を整えながら笑い、それからは強く頷いて、リドルの首に強く抱きついた。
「リドーさんがいる」
 自分に言い聞かせるように言うはりドルから体を離すと、お茶を用意すると言って部屋を出て行く。途中、あの黒猫と擦れ違うと猫はぺこりとお辞儀をして庭のほうへ飛び出していってしまった。
 もしばらくぼうっとしていたが、やがてその見えなくなった小さな後姿を考えながらぺこっと頭を下げるのだった。