曖昧トルマリン

graytourmaline

望月

「リドーさん暑いの?」
「ああ…」
「じゃあが涼しくしたげるね!」

「……は?」
 上記の会話のすぐ後、何故かリドルは鏡の前に座らされていた。
 が一体何をするつもりなのか理解できないまま大人しく座ってはみたものの、内心彼はせめて何をするか位聞いておけばよかったと激しく後悔していた。
 というのも、以前も何度かに嬉々として案内された先で恐怖を味あわされた苦い経験がいくつもあるからだ。
 特にが自分をパーセルマウスと知らなかった頃に蛇を何匹か生け捕りにして、目の前で生きたまま捌き始めた時は生まれて初めて自分の能力を呪った。
「……」
 リドルはちょっと、いや、かなり、自分は本当に闇の魔法使いなのだろうかと自信を失いかけていた。鏡に映った彼の赤い瞳はかなり虚で涙さえ浮かんでいた。
「リドーさん、どーしたの?」
 気付くと、隣でちょこんと正座をしていた
 ふにゃんと首を傾げて可愛らしい小動物じみた行動をするこの幼子が、素手で蛇を捕まえ生きたまま捌くような人間に見えるだろうか。
 見えない。見えるはずがない。
「きぶん悪いの?」
「いや、何でもないよ。大丈夫だ」
 頭を撫でれば嬉しそうに笑う
 ふと、その手を止めてリドルは彼をまじまじと見つめた。
「今日はポニーテールじゃないんだな」
「ぽにーのおっぽ?」
 ポニーとは何ですか? と少年の目が問いかける。
「小型の馬の事だ。今日はそれではないんだな」
「うん! 今日はね、幽霊のおねーさんたちにお団子にしてもらったの!」
「そうか、よく似合っているよ」
 微笑しながら言うと、も嬉しそうに微笑み返す。
「にあってる?」
「ああ、とても」
「みんなもね、そう言ってくれたんだよ」
「ああ、そうか」
「でね、いつもよりすずしーの」
「ああ、そうなのか」
「だからリドーさんにもしてあげるね!」
「ああ……は?」
 思わず頷いたあとに聞き返す。が、時は既に遅し。
 右手に櫛、左手に簪を持ち、にっこりと無邪気に笑ったにリドルの血の気が引く。
 教えてもらってちゃんと出来るから鏡で見ててね、と笑顔で地獄の宣言をかます幼子に、彼は本気でこの場から逃げ出したくなった。お団子姿の自分を想像して。
 無論、この屋敷内に居る限りから逃げ切れるはずはないのだが。それでも逃げたかった。心理的に。せめて彼が自分が嫌がっていると気付いてくれるまで。
「い、いや、私にはきっと似合わないから」
「でも、すずしーよ?」
 どうやらにとって、似合う似合わないは二の次で、純粋に暑がっているリドルをどうにかするのが先らしい。
 もっとも、リドルにしてみれば既に涼しいと通り越して心身ともに冷え切っていたのだが、そんな事を理解できるではない。
「それとも、髪切っちゃう?」
 シャキン、とどこからか布裁ち鋏を取り出した少年にリドルは勢いよく首を横に振る。
こそ切らないのか?」
「……切ったほうがいいの?」
 逆にそう問われ、鏡の中のリドルはしばらく考え込むと、再び首を横に振る。
 リドルの中では髪が長いほうが可愛いと判断された瞬間であった。
は長いままの方が、私は好きだな」
「このまま?」
「ああ、今のままのが可愛いよ」
 そう言われて、はこれ以上ないくらいにはにかむ。
 それにつられて微笑んだリドルだが、自体は一向に改善されていないことに気付く。
 それどころか、悪くなっている。絶対に。
 それでも小さな手が鏡の中でリドルの髪を団子状にしていき、仕上げの簪が挿されるまで彼は結局逃げ出すことは出来なかったのは、鏡に映ったの瞳が、あまりにも真剣で、完成した後に簪がお揃いな事に彼がとても喜んでいたので。
「……」
 髪留めの道具を片付けに行ったを見送って、一人部屋で溜息をするリドル。
 その背中は、とても哀愁が漂っていた。
「情けない」
「あらそう? とっても似合ってるじゃない」
「似合ってるとかそういう問題ではないんで……って、先生?」
 背中に声をかけられ振り返れば部屋の入り口で美しく微笑んでいる屋敷の主。別称リドルの先生、またはの祖母。
 しかし、その笑みを見た瞬間、リドルはとてつもなく嫌な予感を覚え咄嗟に逃走経路を探した。勿論、そんなものはない。そんなものを残しておくような恩師ではない。
「でもまだ何か足りないと思わなくて?」
「いえ、これで十分です。これ以上はもうなにも必要ありません」
「やっぱり暑いと汗をかくから着替えが必要よね」
「今は身も心も冷えているので結構です」
「あら不思議。こんな所に貴方の新しい着替えが」
「……先生。女物に見えるのは私の気のせいですよね?」
 迫られている訳でもないのにじりじりと壁際まで後退していくリドルは、未だに必死に逃げ道を探していた。でないと未来永劫恥が残る。
 魔法界に居る味方だろうが敵だろうが、知られれば威厳も恐怖も何もあったものではない。
「おばーちゃん?」
 彼女の背後から聞こえた声。
 ひょこりと姿を現したに祖母が気を取られた一瞬、リドルは杖を持って逃走を試みた、が魔法が発動しない。
 見れば部屋全体に結界が張り巡らせてあり、いつの間にかどうやったって逃走不可能な状況に陥っている。今更ながらリドルは彼女に勝てる気がしなかった。
 しかし当たり前と言えば当たり前である。彼女はこのの祖母であり、少年時代のリドルの師であるのだから。
「どうしたんですか?」
の鏡忘れたの。おっきいの」
「あらそうなの、でも今はそれで結界を張っているから後にしましょうね」
 その瞬間リドルは目の前に鎮座するかなり硬そうな和鏡を叩き割りたい衝動に駆られた。が、すぐに思いとどまってしまう。
 この鏡は、あそこで微笑んでいるように見えて実はほくそ笑んでいる女性の物ではない。その隣でリドルを心配そうに眺めている少年のものだ。
「大丈夫よ、貴方が神様から戴いた大事な大事な鏡はリドルがこの結界から出なければ絶対に壊れることはありませんからね」
 笑顔で更に追い討ちをかけるの祖母。リドルの中で自分の自尊心との鏡が天秤にかけられた瞬間でもあった。
「おばあちゃん、リドーさんはどうしたの?」
 何か真剣に悩んでいる様子のリドルを祖母の影から眺めながら訊ねる。すると、祖母は胡散臭いほど爽やかな笑みを浮かべての肩を掴んだ。
「リドルはね、汗をかいたから今から着替えるの。さんの着替えをお部屋に用意しておいたから着替えなさい?リドルとお揃いの着物よ」
「うん!」
 リドルとお揃い、という台詞に心惹かれたのか、普段はすぐに気付くはずのリドルの助けを求める視線をは完全無視して自分の部屋へと走っていってしまった。
 頼みの綱の少年が目の前から消え、絶望の色を濃くした紅色の瞳に映るは女物の着物を持った一人の女性。その顔は限りなく笑顔なのに、背後には腐女子という名の修羅が見える。
「さ、リドル。逃げ場なんてないに決まってるんだから男らしく覚悟しちゃいなさい」
 軽いノリで彼女が言ったその日の昼下がり、屋敷に男の悲鳴が響き渡ったそうだ。