曖昧トルマリン

graytourmaline

朝日に輝く軒の玉露

 裏の林で一人で散歩をする。まだ誰も起きていない中で、着物の裾が微かに濡れた。
 それは、彼の日課といえば日課なのかもしれない。
 まだ日は顔を出したばかりで辺りは薄暗く、林の中には動物たちの気配がまだ薄い。
 透明な空間の中で独りを感じることは寂しくはなかった。柔らかい水のような空気が肺に溢れて身体の中の穢れが落ちていく感覚がある。
 先日、また祖母やリドルと共に普通の人間のいる街に下りた。
 そんな事があるとはしばらくの間身体が重く、汚れているように感じて湯浴みをしてもそれは直らない。
「おはよう」
 雀が肩に止まった。
 名前は付けていないが、朝こうして散歩に来ると必ず挨拶をしてくるこの雀。少し大きくて他の者より力強い印象を与えているがきっと女性だと小さな少年は思っている。
「今日はねえ、リドーさんにご本を読んでもらうんだよ? それからマホーもちょっとだけ教えてもらうの。ステキでしょ?」
 ちゅん、と鳴いてひょこひょこと跳ねる雀には笑いながら言った。
 肩から肩へと移動したその雀は、高めに結い上げられた髪を結ぶ布を嘴で咥えると衣擦れの音をさせて解いてしまう。
 音もなく広がった烏羽色の髪が風にとけて、少年は宙を飛ぶ雀に可愛らしく頬を膨らませて見せた。
「返して」
 ぷくっと薔薇色に膨らんだ表情で彼はどこかへ飛んでいく雀を追いかける。萌黄色のリボンが蝶のようにを誘い、薄黄色の朝日がちらちらを視界に舞った。
「かえしてー!」
 短い乳白色の脚を急かせて雀を追うが、到底幼児に追いつけるはずもなく声が震え、涙目になりながら目印のリボンをじっと見上げる。
 双眸に溜まってきた涙が瞳を潤ませ、今にも溢れ出しそうだった。
「かえしてよ……っ」
 涙が溢れそうになる瞳を必死で抑えて短い腕を精一杯伸ばして枝の上に止まっている雀に向かって飛び跳ねる。しかしそれで届くはずもなく、山間から差した日の光は先ほどより高く感じられて、気温も少し暖かくなっていた。
 もう家に帰らなければならないのに、なのにリボンは戻らない。
「うー……」
 泣いても仕方がない事くらい、にだって判ってはいる。それでもまだ感情を制御できるほど彼は年を重ねておらず、思わず泣きそうになってしまう。
、どうした?」
「リドーさん?」
 背後から声のした瞬間、はらりとリボンが落ちてきた。
「あっ!」
「何かされたのか?」
「あっと、んとね。もういいの」
 そう言って背の高い青年、リドルに振り向いたはリボンを抱きしめて潤んだ瞳を擦る。
 赤くなるぞ、と頭上から声をかけられ大丈夫と答えると正面の男を見上げて、思わず胸が高鳴った。
「……」
「どうしたんだ?」
「リドーさん、キレイ」
 朝日を受け、柔らかな光で縁取られたリドルが手を伸ばし紅い瞳が微笑する。
 今までが見たことがない、初めて人間と言う生き物が美しいと思った瞬間だった。それに、その輪郭に触れたくて、思わず手を伸ばすと知った体温が小さな手の平を優しく握る。
 はっ、とした。
「私がかい?」
「うん。キレイ」
 見上げなおしてみると、見えていたはずの光の輪郭は消えていて二人して朝の光を浴びていることに気付く。緑に輝く露が眩しく見えた。
「そうか……ところで、は何故こんな場所に?」
ね、いつも朝はここでおサンポしてるの。でもね、今日は雀さんにリボン取られちゃってここまで走ってきたの」
「そうだったのか、リボンは返してもらえたか?」
「うん! 返してもらった!」
 元気に返事をする少年の手を引いて、青年は柔らかく笑う。
 二人は穏やかな笑みを浮かべながら光が差す林の出口に足を向けて今日一日は何をして過ごす約束をしたのか、楽しそうに話ながらやがて姿を消した。