門に向日葵空行く月
初めは女の子かと思ったが、それを話すと怒るでもなく照れていた。可愛いという単語はの基準で褒め言葉らしい、変な子供だ。
子供は好きではないが、は特別だ。一緒に居る事を苦痛とは思わない。
決して私のことについて深くまで入り込んでこない、いや、来ようとしない。そういえば子供特有の果てを知らない疑問の応酬も、やった覚えはない。
しかしそれでも、何を考えているのかまでは判らない。
「……」
今もこうして隣り合って何をするでもなく庭を眺めているが、会話の一つもなく、互いにただ黙っているだけ。むやみに話しかけられるのは嫌いだが、こうして黙っていられても、どうしようもないではない。
『おや、二人して日向ぼっこかい』
そう言って、尾の二本ある二速歩行の猫が私たちに話しかけてくる。名前は知らないが、そう言えば学生のとき何度か会った覚えもあった。
「ネコマタさんはお散歩なの?」
『ああ、そうだよ。こんな気持ちのいい日には散歩の一つでもしたくなると言うもの。しかし二人してそんなのんびりと縁側で伸びていると、こっちまで一緒に和みたくなるじゃないか』
「でもね、でもね、はもうすぐオヤツの支度をするんだよ?」
『そうか、毎日ご苦労様だねえ』
そうしてその猫は憎たらしいほど大きな欠伸をして立ち上がったの背中を見送る。
『……さて、確かリドルとかいったね。一体あの子の事で何を悩んでいるんだい?』
「なぜ判る」
『伊達に何百年も人間を見て来ちゃいないよ。それにあの子はとてもいい子だが人に慣れていなくてね、差し詰めどう接していいのかわからないのだろう』
たかが猫の癖に……確かに合ってはいるが。
私が渋い顔をするとそいつは口端を上げて笑う、その笑い方が非常に癪に障る。
「子供は嫌いだし、苦手だ」
『あの子は俗世を知らない、純粋で優しい子だよ。少々、優し過ぎるがね……だから何も嫌いにも苦手にもなる事はない、あの子だけはアンタの知る人間という種族じゃないんだよ』
「私は自分の目で見たことしか信用しない」
『ならばその目であの子を正面から見てみるといい。年寄りの言う事は聞いておくものだよ』
そう言うと猫は空気に溶けるように何処かに消えていった。
そういえば昔からあの猫は何時の間にか現れて知らないうちに消えていた気がする。
「あれ、ネコマタさん。いっちゃったの?」
その声に振り向いてみるとが丸いトレイを持って首を傾げていて、不思議そうに私を見ている。
「ああ、つい今」
「そっか……いっちゃったんだ」
しゅんと俯いたは先程まであの猫が座っていたところにそれを置いて、それを挟んで私の隣に座った。
「寂しいかい?」
私がそう尋ねるとこの子は驚いた表情をして、それから首を振る。
「ダイジョブ、だもん。みんな、いるから」
「なら、なんでそんな顔をするんだ?」
「だって、またねって言えなかったから」
熱いお茶のはいった小さめの茶碗を静かに吹いたはそれでも悲しそうで、その姿がひどく不安に思えた。こんなことは、初めてだ。
他人の事を心配する事に、意味はないと思っていたのに。
あの猫の言葉を気にしているのか、この私が?
「……あのね、リドーさん」
「どうした?」
「ネコマタさんに、何か言われたの?」
「なぜ、そう思う」
見上げられた視線を、私は躊躇して外した。
子供は勘がいい、それが私が子供が嫌いな理由の一つであるのかもしれない。
「だって、に話かけてくれたもん」
「……」
「ね、おばあちゃんじゃない人とこうやってお話するの、初めてなの」
「初めて? 今まで誰とも?」
「だって、お外出たらダメって……言われたもん」
「じゃあ、今までずっと一人で?」
あの猫は俗世を知らないとは言っていたが、本当にこんな広い屋敷で、誰とも触れ合う事もなく今まで一人で過ごしてきたというのだろうか。
大勢の中での孤独を知っているから、誰もいない中での孤独が哀れに思えた。もっとも、彼は自分が孤独と言う事を知らないで来たのだろう。
「リドーさん?」
「いや……」
同情、しているのか……私が。
こんな、一つの小さな命の為に。
それが馬鹿馬鹿しくなって席を立つと、の口から小さな言葉が漏れた。
「……なんだ?」
「なんでも、ない」
伸ばしかけていた手を引いては一つに束ねられた長い髪を揺らした。その瞳には、影があるように思える。
なぜか、気持ちがぐらついた。
「……おいで」
なぜそんな事を言ってしまったのかわからない。
伸ばした手をじっと凝視するの瞳はしばらく躊躇いの色を見せた。小さな手がおずおずと宙に伸ばされて私の指先に触れる。
「……あったかい」
「?」
「リドーさん、あったかいね」
不覚にも、私はその笑みに安心した。
確かに、この子供は今まで会ってきたどの人間とも違う。孤独を知って、闇の部分を持っているのに歪みのない瞳を持っていた。
ただ、それに触れてみたいと思っただけ。
「生きてる」
は私の指先をぎゅっと握る。決して、離そうとしなかった。
「?」
「うれしい」
の頬が濡れている事に気付いて、その手を振り解くことが出来なくなる。
元々こちらから差し出した手を振り解くことなど出来はしないが、しかし何かが違う。普段の私ならこんな弱々しい小さな手などすぐに振り切ってしまうと言うのに。
「……」
「リドーさん?」
「なぜだろうな……と一緒にいても、嫌な気持ちにならない」
あの猫の言うように、は私の知る普通の人間ではないのだろうか。
「もね、リドーさんといっしょにいると、うれしい」
そう言って恥ずかしげには笑った。
その時、私は笑い返していたのだろうか。ひどく心の中が穏やかになった気がする。
しばらくの後、楽しそうに後ろについてくるとそれを笑いながら眺めている私がいる事はまだ知る由もない。