曖昧トルマリン

graytourmaline

熱海

 と、その祖母と、リドルは、ある温泉宿に来ていた。
 の祖母曰く、家族内親睦会だそうだ。
「ここは古くからの知り合いが経営していますから、安心してもいいですよ」
「はあ」
 車に押し込められ半ば強引に連れてこられたリドルは、これ以上親睦を深める気が更々なさそうなの祖母にそう言われ複雑な気分になった。
 知らない内に事を運び込んで己の気分のままに計画を遂行するのは一体どこの寮に似たのだろうか。いや、彼女は元教師であって、ホグワーツに在籍したことはないのだが。
「そう言うことですから、さんはリドルさんと同じ部屋で。私は隣に居ますから」
「……え?」
 有無を言わさずにをリドルに押し付ける形で隣の部屋へと消えてしまった彼女の背中を見送ってから、既に荷物の整理を始めている少年に目を留める。
 出会って、本当にまだ間もないがは思慮分別のある子供だと判っていたので、不快感はそれ程強くはない。
 言うのならばこれは、子供らしくないというべきなのだろうか。
 人見知りするという訳でもない。聞き分けがよく、癇癪もまだ一度も見たことはない。リドルだからこそ判ることかも知れないが、この年で他人とは一線引いていて、触れ合うことを拒んでいるようだった。

「はい?」
 理想とされる子供を演じているような雰囲気がある。
 何かきっかけがあるとすぐに破れてしまうような、まだ安定していない薄いものだ。
「君はこれから、どうするつもりだ?」
ね、おふろはいるの」
「こんな時間から?」
 まだ3時を少し回った時計を見て、リドルは不思議そうに首を傾げた。
「うん。おふろ好き」
 移動に疲れたのだろうか、の言葉が断片的にしか出てこない。
「リドーさんは、はいるの?」
「そうだな、此処にいつまでもいても仕方がない」
「じゃあね、おきがえはこれね」
 そう言っては旅館に置いてある浴衣をリドルに渡し、自分は持参した可愛らしい襦袢とタオルを持って部屋の明かりを消した。
 大人用のスリッパが掠れた音を立て毛足の短い絨毯の敷かれた廊下を歩く。
 シーズンオフという訳でもないのに客はほとんどいないのか、宿の人間やそうじゃない生き物と数人擦れ違っただけだった。
「ここ、だいよくじょう。おとこのひとようの」
 行き着けなのか、は迷う事無くリドルを案内し漢字で何事か書かれた暖簾をくぐって脱衣所にはいる。
 小さな脱衣所の向こうの曇りガラスは湯気で何も見えない。
「外に浴槽があるのか?」
「おんせんなの。ろてんぶろ」
 リドルを見上げる眠たげな瞳はなぜそんなことを訊くのかと、そんな風にも見えた。
「……リドーさん、それ、どーしたの?」
 服を脱ぎ始めたリドルの背中をじっと見つめたは顔を歪め、涙声になってしまう。
 そんな表情をされる理由が見当たらないリドルは困ったようにの前に膝を付き、一体どうしたのかと聞いてみる。
「リドーさんの、せなか」
「背中?」
 そう言われ、思い出した。
 まだ完治していない、背中に出来た火傷のことを言っているのだろう。
、これはもう痛くないから」
「でも、でもっ!」
 脱衣所の中は、幼い泣き声に支配され確かに何の痛みも感じなかった背中の傷が、急に疼き出した。
「私は大丈夫だから。慣れている」
「なれっ、なれるまで、ずっといたいおもい、してきたの?」
「ああ……痛かった、かな」
 血の流れ、肉が焼かれた感覚を背中が思い出す。
 火傷以外の傷は全て当の昔に治っていて、そんなことはありえはしないのに汗が滲み出た。この傷だって、痛みは無かった。そのはずだった。
「リドーさんの、いたいの」
 目の前で腰をかがめているリドルの首に抱きつき、尚も泣き続けるは小さな手で背中を撫でて大きな瞳を涙でいっぱいにしている。
、いたいの、きらい」
「嫌いなのか」
「きらいっ」
 感情を先行させた、子供じみた表情。
 子供の内にだけ言える素直な言葉を吐き出す姿を見て、リドルは初めて安心した気がした。
「……そうだな。痛いのは、嫌だな」
「いたいのも、ひどいのも、きらい」
「ああ。でも、もう大丈夫だ」
 笑って見せるリドルに落ち着きを取り戻したのか、まだグズグズと涙を流しながらもは小さく頷いた。
「もう大丈夫だよ」
「ほんとう?」
「ああ、もう痛くないから。大丈夫」
 の背中の撫で、薄らいだ痛みに微かに目を瞑りながら額にキスをする。
 少し驚いた表情をするに笑いかけて立ち上がった。
「だいじょーぶ?」
「ああ」
「……リドーさん、いたくないなら、も、もーいーの」
 赤い目をしてリドルを見上げ不器用に笑うの姿は、年相応のものだった。
 本当に幼い少年の姿をした、幼い少年が涙を拭って花咲くように笑っている。
「だってね。リドーさん、ほんとうに、いたくなくなったからね」
 そう言い、嬉しそうにするを見て、痛みの幻覚が治まる。まだ火傷の傷はそこにあるままだというのに、本当に傷が癒えた気がした。
「でもきこえたんだよ? いたいって、きこえたんだよ? うそじゃないよ?」
「そうか……」
 避けて通っていた痛みを素直に受け止めたを見つめ、リドルは祈るように目を閉じた。