祈りて揺らぐ
うつ伏せの状態で頭を枕に押さえ付けられ、息が詰まる。肉欲を押し付け、やる事は一通り終えたのでそろそろ仰向けになりたいなとは思ったが、顔を見せたら今のを直視できない続による暴力が再発するので、どっちもどっちかと胸中で呟いてからうつ伏せのままシーツの上に転がった。
行為の最中に殴られた痕は徐々に変色してきている。真っ先に殴られると思っていた顔は未だ無事で、服に隠れる所ばかり痣が増えるのは続なりの気遣いなのだろう。
愛のないセックスだったが、それでも、久し振りのセックスだ。幸い今まで相手にしてきた変態と違い、今回に限ってはどのようにすれば続が、少なくとも彼の雄が悦ぶのかをは体の芯から知っている。
ゼロから全てを仕込んだのは続なのだから当然だと枕の中で笑い肩越しに振り返った。視線が合う前に、力が入り過ぎた腕によってシーツに埋められ、掴まれた肩には圧迫された痕がくっきりと残る。
これだけ明確に拒絶しても、それでも続は抗う事が出来ず、流されるままを抱いてしまっていた。元々、は見知らぬ他人に陵辱されるくらい性的魅力の高い少年である事に加え、抱けずにいた期間があまりにも長く否応なしに体が反応してしまい、何よりも、自身が異常なまでにセックスに対して積極的だった。
「何で、こんな」
「なんでって、何が?」
ようやく絞り出された言葉はどこまでも平凡で、は体を反転させてベッドに寝転がって続を見上げる。
今度は、殴られる事はなかった。ただ、目の前の光景と、自分自身の行動に絶望したような表情の続が、の血で僅かに汚れた手を握り締めて震えている。
「君……どうして、こんな事を」
疑問を口にしながらも、欲求に勝てず自分を抱いている青年の姿を見つめ、少年は美しく見えるような仕草で微笑する。
ここで嘲笑なんてしようものなら、今以上に手酷く犯されるのは目に見えていた。続相手ならばどれだけ吐き気を催しながらも耐えられるのだが、一応他の変態と同じように抱かれてやると言った以上はそうもいかないと、は誰もが不幸になるような自重をする。
どっち付かずの中途半端な行為は逆に面倒臭い、相手を傷付けるのならば徹底的に行う方が面白いに決まっているではないか。何処か他人目線で今の状況を評したは、仕方なく続の問いに答えることにした。
「これはね、全部演技。幼稚園児や小学生の顔が気に入ったから、なんて笑える理由で誘拐して犯すイカれた連中が相手だったからな。抵抗して殺されでもしたらどうするんだよ」
この間のは殺すなって命令されたから、抵抗しまくったけど。そんな言葉を心の中で付け足して、上半身を起き上がらせる。
「初めて誘拐された時、泣いて暴れて嫌がって、それでも無理矢理口で奉仕させようとした馬鹿のを噛み切り損ねて、逆上した馬鹿にケツの穴がズタズタに裂かれながらレイプされた挙げ句に散々殴られて死にかけた。で、おれは学習したんだよ。命が大事なら何もかも麻痺させてでも、ご機嫌取って受け入れろってね」
「君、止めてください」
「続ちゃんが聞いたんじゃん、聞けよ。さあ、おめでとうございます、だ。今日からそいつ等の仲間入りした気分はどう? おれとヤりたかったんだろ? 好きなだけ、満足するまで犯せよ、今のおれなら何でもしてやれるぜ。首輪と鎖で床に這わせて犬や奴隷みたいに扱いたい? お兄ちゃんって呼ばれて恥じらいながら股開いて欲しい? 体の自由奪ってレイプごっこしたい? それとも、お互いどろっどろになるまで恋人ごっこしてあげようか」
「止めてください!」
首に絡めようとした腕を払われ、白い肌にはまた赤い痕が浮かび上がる。
の変貌ぶりに取り乱し、力加減が出来なくなっているのか、指先が痺れて上手く動かせない。手の平を何度も動かしていると、そのうち感覚も戻ってきて、数十秒後にはきちんと動くまで回復していた。
続はその間に、床に散らばっていた服を着て、目の前にある現実を拒絶するかのように早足で自分の部屋を出て行ってしまう。ドアが大きな音を立てて閉まり、はベッドの上に一人残された。
「……あーあ」
何の意味もない言葉を吐き出しながら悲鳴を上げる体を立ち上がらせて、汚れたシーツと着替えを持ち、とにかく綺麗にしなければと風呂場に続く脱衣所へ向かった。
続が出たまま放置してあった部屋のドアに鍵がかかっていなかった事に今更気付き、本当に家に誰もいなくてよかったと胸を撫で下ろす。
「そういえば」
続を逆レイプしてい最中、己が快楽に呑まれる寸前に呼んだ名前を思い出してみると、上から二番目の従兄弟がそこにはあった。
生理的に受け付けられないが、それでも自分は彼の事が好きなんだなあ、と相変わらず他人目線のは、汚れたシーツを洗濯機に突っ込み適当に洗剤と柔軟剤を入れてからスタートボタンを押す。
「でも、始ちゃんの方が好きなんだよなあ」
脱衣籠に綺麗な服を投げ込み、バスタオルを用意してから浴室に向かった。
湯船には湯が張っていなかったので、仕方なくシャワーで済ませようと熱いお湯を頭から浴びる。直に浴室は白い蒸気に満たされたが、曇った鏡の中の鏡像も締められ殴られた跡までは消してくれなかった。
「痛ってえ。つーか、これ、誰かにバレたらマズイよなあ」
その誰かの筆頭に始の顔が浮かんでしまい、少年が苦笑する。
冗談抜きで東京を中心に関東全域が焦土と化す兄弟喧嘩が勃発しそうで、その場合2人の弟はどうするのだろうか、などと暢気に考えた。
「なんで始ちゃんなんだろーねえ?」
そう言いつつも、自身この感情が始に向かったことを半ば納得はしている。
思い返せば、初めて誘拐され手酷く殴られ犯された時、助けに駆け付けてくれたのも続ではなく始だった。我を忘れて怒りに感情を染めた始が見せた強大で異常な能力に、は幼いながら驚き、その力への恐怖よりも、誰に何をされても必ず自分を助けてくれる人だと強く印象付けられたものだ。
あの時は、本当に彼にべったりだった。とにかく、にとって自分と始以外の男は全て敵だったのである。きっと診てもらう医者も、女医でなければ相当暴れたに違いない。
母と祖父が訪れるまではずっと始がいなければ不安で仕方なく、けれど2人が会いに来たと同時には彼を離れて2人の腕の中で泣きじゃくった。
「……うん? いや、違うな」
蘇り、久し振りに吟味した記憶に齟齬がある。少なくともその次の朝を迎えるまでは、始以外には自分の体を触らせようとしなかった。男だけではない、女も、母ですら拒絶した。
そして、朝方になってようやく深い眠りにつき、起床と同時に母と祖父の方へ駆けて行ったのだ。
「って事は、アレか? おれ、始ちゃんに迷惑かけたし礼言ってねえ……そもそも、今回助けてくれたのも始ちゃんだし。何だかんだで半々くらいで助けて貰ってるし?」
記憶の発掘が成功した途端、は音のよく響く浴室で絶叫する。
「うっわ。おれ酷い男じゃん! 今更だけど!」
一度はあれだけ全てを委ねたのに、今はこれだ。一体彼はどんな気持ちで過ごしてきたのだろうか。きっと始も、自分のトラウマを引きずり出したくないからこの話題に触れなかったのだろう。
いや、そもそもあの従兄弟は恩着せがましく礼を言えなんて事は言いそうにない。それでも、幾らなんでも、これはあまりにも酷過ぎる。
「あとでちゃんと礼言おう、それでもって」
自分と付き合わないかと誘ってみよう。
その言葉は、声に出す前に消失した。鏡の中には、痣だらけの体で不気味に笑っている少年がいる。続にまで怯えられ、拒絶された、自己の命を守る為にそれ以外を意図的に狂わせた精神構造を持つ自分の姿だった。
「始ちゃんが好きだ。でも、付き合うなんて絶対無理、だって、そうだろ?」
始では支えることなんて出来ない、けれど、自力で生きていくのは依存癖のある精神構造上ほぼ不可能だと矯正を放棄したのは随分前の事。
彼が今まで続と付き合っていた理由はそこにある。の暴走を止められるのは消去法で我の強い続くらいで、そして何よりも彼を愛しているという感情が確かにあった。
だから、たとえ続に向いていた感情が始に向かおうと、続を好きであり続けるよう努力していたのに。彼が、好きだった気持ちに偽りはなかったのに。
「どーすっかな」
その続を傷付けて、どこかに家出させてしまったは、自分が今後何をするべきなのかを思案しながらシャワーを止めた。
用意していたタオルで体にまとわりついた水滴を拭いながらもそうしていると、その行き着いた先の結論に大きな溜息を吐く。
「やっぱ、どーにかしてこの頭をマトモに戻すっきゃねーな」
それで続が戻って来てくれるのかは正直言って微妙だが、それくらいしか方法がないと諦め、未だ動き続けている洗濯機を黙って見つめていた。
そこに用の済んだタオルを突っ込み新しい下着を手に取ったところで、背後から扉の開いた音がする。普段ならば全力で巫山戯られる状況なのだが、言葉にならない嫌な予感がして振り向く事を躊躇った。しかし、時間は止まらないし、元にも戻らない。
「……?」
「えーと。おかえり、始ちゃん」
錆び始めた機械のような動きで鏡越しに侵入者の姿を見ると、目を丸くしたまま固まっている従兄弟が確認出来た。
視線の先は、当然ながら体中に作られた痣がある。真新しいそれが、誰に付けられたものなんて考えなくても理解出来て、始は目の前の傷だらけの体を抱き締めた。
「何で……お前ばかり、こんな目に」
「ちょっ、始ちゃん。苦し」
全裸のまま始に抱き締められてしまったは、取り合えずこの現場に実の姉が不在で本当に良かったと、どこかズレた事を考える。
それを現実逃避と呼ぶ事くらい、彼は知っていた。