曖昧トルマリン

graytourmaline

祈りて揺らぐ

 の記憶混在発言から半月が経ったが、事態は一向に改善されていなかった。
 相変わらず姉と一緒に竜堂家へ遊びに来るものの、続とのスキンシップは辛うじてキス止まり。時間が取れれば常にしてきたデートも、一切出来ていない。
 しかしが始に懐き始めたかといえばそうでもなく、彼は自分自身の感情に戸惑いながらも必ず恋人の傍にいようとしていた。
「なあ、続ちゃん。この店ってさ、続ちゃんがうっかり予約しちゃった例の店?」
「そうですね。今度こそ、一緒に行きましょうか」
「行きたい。すげー行きたいけど、今は無理。料理に悪い事する予感でいっぱい」
「そうですね。気長に待ってみます」
「つーかさ、何でおれ等、勝者不在の愉快な精神的我慢大会なんかしちゃってんの」
「それでも隣にいたいからでしょう」
「そりゃそうだけどさあ……なんつーか、なあ?」
 ソファに座っていた続の脚に頭を乗せ、肘掛に裸足の脚を投げ出して仰向けに寝転がっているはわざわざ家から持ってきた雑誌のページを捲りながら不満を漏らす。
 2週間前まで彼が左腕にしていたギプスもようやく外され、拉致の痕跡は、少なくとも見た目の上では完全に消えていた。
「こら、。行儀が悪いわよ」
「Aye aye ma'am.」
 始を連れてリビングにやってきた茉理から注意が飛ぶとは大人しく脚を正しい位置に下ろし、4人分のショートケーキがテーブルに並ぶ様を黙って見届けた。
 恋人の隣に座り直し、姉の隣でティーカップを並べている従兄の横顔を黙って眺めた。その視線に気付いた始が視線を絡ませる。
 途端にの瞳が落胆の色を見せて、それを自覚すると口元を引き締めた。自分の感情に振り回され、後に続こうとした大きな溜息を誤魔化そうとした結果だった。
も続さんも、そんな顔するくらいだったら少し距離を置いてみたらどう?」
「あー、ソレも候補にあったんだけどさ。続ちゃんが大好き過ぎるおれの感情とおれを大好き過ぎる続ちゃんの下はん……機嫌が持たないだろうって事で却下になったんだよ」
「今の言い間違いは一体どういうつもりですか」
「ゴメンナサイ。今度からは姉ちゃんの前でも濁さずはっきり下半身って言い切るので許してください」
「謝るべき箇所が間違っています」
 半ば以上演技で怒っている続に、も冗談交じりの謝罪をする。
 茉理が呆れた様子で歪な恋人達の会話を聞き、始は無言で紅茶を飲んでいた。視線を彷徨わせる度に、最後には従兄弟の長男に視線が行ってしまう自分に軽く絶望して、は感情を掻き混ぜる為に話題を振り続ける。
「あと、付き合い始めたばかりの小学生低学年風味とか候補にあった。平たく言うと交換日記から始めましょう的なヤツ」
「……流石にちょっと古いわね、せめてメールならどう?」
「だってメールだと味気ないし、予測変換とか定型文が我が物顔で入り込むから嫌い。おれ続ちゃんの字も、続ちゃんの言葉も全部好きだから、綺麗な形のまま欲しい」
君、何か悪い物でも食べたんですか」
「続ちゃんの耳に頭の悪いモノが詰まってんじゃね? 今の続ちゃんとはメールしたい、機械が選んだ言葉と文字は罵詈雑言用だから、適材適所みたいな? おれの字汚いし語彙が死んでるから日記も却下した。でも我儘ばっかり言うのも駄目だと思って一応代替案としてコレで交換日記なら面白いからチャレンジしよーよ、って誘ったら今度は続ちゃんに大却下された。酷いよね」
 そう言ってが鞄から取り出したのはピンク色をした薄っぺらいノートだった。針金で綴じられたそれの表紙を見て、惚気話に苦笑していた茉理が固まる。
 印刷されていたのは異常なまでに目が大きく体の線が細い5人の少女だった。恐らく、10代に入る前の少女が見るような所謂勧善懲罰アニメの主役達だろう。
 震える指先で表紙を捲ると、ピンク色のインクが目を刺した。大きなハートマークの中にはメンバーという文字。そこにはラメの入ったオレンジ色のペンでと続のフルネームが年齢や誕生日と共に書かれていた。
 ページを更に捲ると、統一感のない意味不明のポーズをした5人の少女達が、不必要なまでに丸いフォントで「今日は○○○○○だよ」とか「今日あった事を書いてね」とか「次は○○○○○ちゃんだよ!」等をふきだしの中で宣言している。
 茉理は、印刷された紙をそこまで確認して、重苦しい溜息を吐いた。
……どうしたの、これ」
「続ちゃんが二十歳前にもなってこーゆー交換日記付けてたら過去の汚点の一つとして残るだろうなーって想像したら面白くなって、買いに走った」
 実の弟には勇気が過剰なのか、羞恥心が皆無なのか判断の付けられなかった茉理は、それ以上は何も言わずにその薄いノートを返す。
「あ、やっぱ皆同じ反応するんだ。ところで続ちゃん、このノート、続ちゃんの鞄にこっそりと誰が見ても分かるように忍ばせていい?」
「いけません。第一、それは前に燃やすように言ったでしょう」
 捨てるのではなく燃やすとまで言われた不吉なノートは、の手によって再び鞄にしまわれた。
 その間に続が別の話題を振る。
「茉理ちゃんは兄さんと出かけるんですよね」
「ええ、も続さんと2人きりになりたいみたいだから」
「うん、いたいんだけどさ。ちょっと始ちゃん」
「どうした?」
 今まで無言だった始が、の問いかけによって口を開く。
 少年の瞳が青年を見据え、先程止めた代わりだとでもいうように盛大に溜息を吐いた。
「たまには姉ちゃんをエスコートしよーよ。せめて続ちゃんの問いかけが、姉ちゃんじゃなくて始ちゃんに行くのが当たり前になるくらいの頻度でいいからさ」
 思わず咽る始を観察する弟に、姉が苦笑しながらフォローする。
、それが始さんの魅力の一つなのよ」
「うそだー。そんなのみりょくじゃないー。ただのかいしょーなしだー」
 フォークをくわえたまま棒読みで語尾を延ばし、は後ろへと大きく身を反らし戻る反動に合わせてソファの上に胡坐をかいた。
 行儀が悪いと今度は続から指摘を受けるが、聞こえないふりをして半分食べかけのショートケーキを分解して食べ始める。
「続さんへの感情が始さんに向いている割には、始さんに対して攻撃的なのよね」
「攻撃的と表現するよりは感情を持て余しているんですよね」
「……まあ、続ちゃんに対してはそーゆー不満は無かった訳だからね。むしろ色々根回しされてウザいって思ってたし」
「それなら仮に、ぼくも兄さんみたいだったらはどうするつもりだったんですか?」
「それでも好き、って答えるに決まってる事を知っている続ちゃんは、頭がか弱い男子中学生の意思をそこから論破するつもりだろ」
「好きだと自白している時点で論破する必要がなくなっていますよ」
「そこを論破すれば逆に嫌いの局地に行くかもしれないじゃん。そこから再論破すれば永久機関が完成するかもな! 今から試してみようぜ!」
「お一人でどうぞ。不毛な実験に巻き込まないでください」
 巫山戯ながら絡みつつ、ショートケーキのイチゴだけを先に食べきったは、次はスポンジに取り掛かりながら始を上目遣いで眺めた。
「まー、戯言は置いておいてだ。別に続ちゃんみたく異常なまでに構わなくてもさ、たまには素直になってみたらいいと思うんだけど。姉ちゃんと始ちゃんが正式にくっつけば、おれの感情も諦められるかもしれないし」
「その仮定はともかく、兄さんと茉理ちゃんに付き合って欲しいという点は同意しておきましょう」
「おい、続」
「って事で始ちゃん。今日のデートで男を見せろ! 主におれの為に!」
「いつも思うんですけれど、どうにも君は色気がなくて一言多いんですよねえ」
 最後に皿に残ったクリームを食べる恋人を、続は奇妙な生き物を見るような目付きで呆れがちに見下ろす。
 これ以上何か言わない為か、言われない為なのか、は空になった皿とティーカップを台所に下げに行く前に姉と従兄に挨拶をして居間を出て行った。
 向かった先はいつもと同じ、恋人である青年の部屋。ドアを開けたまま、そのベッドに飛び乗ると今まで自分の隣に座っていた男の匂いがする。
 この匂いを纏う男が、竜堂続こそが自分を安心させる存在だ。は自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりと目を閉じて夢の中へと落ちていった。