曖昧トルマリン

graytourmaline

祈りて揺らぐ

「たっだーいーまー!」
 ベルも押さずに竜堂家の玄関を勢い良く開けたは、靴も整えず一目散に居間へと駆けて行き、お目当ての従兄弟の後ろ頭を確認した。
「あっ、まっ、るっ、ちゃーん!」
 そのまま速度を緩める事無くソファにダイブして、驚いた表情をしたまま固まっている2人の従兄弟を巻き込みながら床に墜落する。
 3人と呼ぶよりも3匹と呼んだ方が適当な少年達が床に転がる様子を疲れた表情で眺める始と続が呆れがちに顔を覗かせるが、その視線を背中で感じながらも気付いていないふりをしては同い年の従兄弟に目一杯抱きついた。
「うわー、なんか久し振りな感じがする!」
「……?」
「この世界にこんな美少年が他にいるか? いるなら教えてよ、そいつ消しておれ様だけが銀河で唯一無二の美少年になってやるからさ」
「あ、間違いなくだ」
 呆然とする余と、何処か納得した表情をする終に砕けた笑みを向けるが、向けられた方は未だ現実を受け入れきれておらず、何処かぎこちなく固まっている。
「記憶、戻ったの?」
「ちょっとね! 保護者同伴でショック療法してきた! あーもー、やっぱり余ちゃんと一緒にいるのが一番落ち着く!」
「おれは?」
「終ちゃんは一緒にいると楽しい感じ! あと2人は知らない、つか要らない」
 そう言うと、後ろから異なる腕が2本伸びてきて、片方は少年の頭を軽く叩き、もう片方は襟を掴んでその体を宙に浮かせた。
 首が絞まらないようシャツに手を入れ、子猫のように宙ぶらりんになったが見たのは仁王立ちしている始と、危険な笑みを浮かべている続。
「幾らなんでも要らないはないだろう」
君、ちょっといらっしゃい。君には従兄弟と恋人の在り方というものについてを徹底的に叩き込む必要があるようです」
「いやだー! おれは余ちゃんと一緒がいいんだー! 腹減ってんだー!」
「すぐ済みますよ」
「何そのおれまで巻き込んだ不名誉早漏宣言!?」
 恋人に向けるには随分不吉な笑顔を浮かべている続に襟を捕まれてどこかに引き摺られながら、捨て台詞のつもりなのか終にピザを全て食べたら殺すと残したを、他の兄弟たちはそれぞれの表情で見送った。
 一方、続に引き摺られて少年が辿りついたのは、彼の部屋ではなく洗面所であった。不思議そうに首を傾げるに続が呆れたような表情をする。
「返り血が付いたままの服で夕食にするわけにもいかないでしょう」
「おお! 流石続ちゃん、気が利く……って、このサイズ続ちゃんのじゃん」
「後で脱がすつもりですから、ぼくの物でいいでしょう」
「えーっとさあ、おれまだ左腕怪我してるんですけど? 見えてないけど肋骨もね? それにメシ食ったら家族を安心させる為に帰宅する予定なのですが?」
「ほぼ治っているんでしょう、迎えが来る前に終わらせますよ。無理させるつもりもありません、悪化させない程度に留めますから。君、いいでしょう?」
「ちょっ、駄目……やめっ」
 不承不承といった様子の幼い恋人の顎を掴み、唇を重ねてそれ以上の不満と抗議の言葉を塞いだ。
 自由に動かせる右腕が続の胸板を叩くがそれを無視して強引な口付けをしていく。酸素を求めて開かれた口内を貪り、舌を絡ませ久し振りの恋人同士のキスを味わっていると、何の予告もなく邪魔が入った。
 その名は、腹の虫。が先程から自分の腹具合を叫んでいたが、彼の口が塞がったので腹が直々に空腹を訴える作戦に出たらしい。
「君は本当にムードの演出よりも破壊の方が好きですね」
「向こういた時から腹減った言ってんじゃん! 昼飯食いっぱぐれてんだよ!」
「はいはい、分かりましたよ。食欲を満たすのが先決のようですね」
「忠告しとくけど、その後満たすのは睡眠欲だからな?」
「三大欲求の一つが抜けていませんか?」
「相手が異性か自分の利き手なら正答だけど、続ちゃんだった場合は不正解どころかマイナス点が付くから気を付けろ。此処テストに出すからノートに取っておけよー」
 巫山戯半分で誰もいない方を向いてそう解説するのシャツを続の手が脱がせ、代わりに自分の服を着せていく。
 血が乾き黒くなった右手をどうにかして洗いながら、少年が鏡越しに恋人の姿を眺めた。その視線に気付いて続が目を合わせると、何故か盛大に溜息を吐かれる。
「何ですか、その不満そうな顔は」
「不満っつーか、まあ、うん」
 そこまで言って、は肩を竦めた。
 水を止めて濡れた手をタオルで拭き、今度は正面から続を見据える。その瞳に何か嫌なものを感じ取ったのか、続が手を伸ばした。
 目元、頬、鼻先、唇との滑らかな肌の上を指先がなぞると、少年の瞳が揺らぐ。
君、どうしたんですか?」
「続ちゃんの消化に悪い話になりそうだからメシ食いながら話してやるわ」
「普通逆だと思いますよ」
「えー……じゃあ続ちゃんの消化にいい話って例えば何よ?」
「聞きたいですか?」
「ごめん、やっぱり聞きたくないわ。おれだけは聞いちゃいけない気がする」
「相変わらず失礼な子ですね」
「違うもん。失礼じゃないもん。碌でもない事になるって勘に正直なだけだもん」
 大人しく触れられていたは明るい声で巫山戯たようにそれだけ言うと、続の手から逃げるようにして食堂へと向かう。
 少年の背を追って、続も食堂へ向かうと、そこにはいつものように末弟と抱き合うの姿があった。余はそれぞれの席に取り皿を置いていたので、邪魔をしているようにしか見えなかったが。
、いつにも増してくっついてるな」
「なんだよ、終ちゃんもおれの愛という名の熱烈な抱擁が欲しいのか? しゃあねえなあ、一肌脱いでから着込んでやるか。今度はこの前よりも入念に女装して高等科に遊びに行ってやるから始ちゃん共々期待しておけよ」
「洒落にならないテロ予告するなって!」
「何でおれまで標的にされているんだ。来なくていい」
「ちょっと続ちゃん今の聞いた酷くない!? 始ちゃんも終ちゃんも、おれの好意を秒で断りやがったよ!?」
「間違っているは君の方ですから拒絶されて当然です、それは好意ではなく嫌がらせというんですよ。君も教師を目指すのなら日本語くらい正しく覚えて使いましょうね。それはそうと終君、ぼくを見ながらテロとはどのような意図を持った発言なんですか?」
「いや、だって……」
「始ちゃんと終ちゃんは駄目、と。余ちゃん推奨?」
「何故そう思えるのか言ってご覧なさい。いいえ、そもそも何故ぼくだけ対象から飛ばされているのかを先に言いなさい」
「だって続ちゃん女装より学ラン派じゃん。それとも間取ってセーラー着る?」
「ごめん、。ぼくも巻き込まれたくないから離れて」
 流れ弾を回避する為に余の手で剥がされ、続に引き渡されると同時に両頬を引っ張られ、の口からいつも通りの謝罪の言葉が飛び出してくる。
 久し振りに見た恋人達の心温まるやり取りに、色々物騒な会話が間に挟まれたものの、痛い目にあっている少年以外は嬉しそうに目を細めながらそれぞれの定位置についた。
「続、ほどほどにしておけよ」
「分かっています」
 始の言葉でようやく解放され、右頬を押さえて涙目になったが余の隣、続の向かいの席に座る。全員で手を合わせ、いただきますと言った後、思い思いの速度で手や口を動かし始めた。
 あれだけ空腹を訴えていた少年は当然、口を喋る事ではなく食べる方に利用して、手始めに空っぽの胃袋にピザを1ピース分だけ送り込む。
「で、続ちゃん。さっきの消化に悪い話なんだけどさあ」
 手に垂れた卵黄を舐めながらごく自然に話を振ると、続以外の彼の従兄弟が不思議そうに首を傾げた。
「戻って来たの、記憶だけなんだよ」
「どういう事ですか?」
「大事な部分が変質したまま戻ってないの。具体的に言うと続ちゃんに対しての感情とか」
 先程自分が食べたものとは違う種類のピースを咥え、さほど深刻な表情をしていないに対して、続は怒りとも焦りとも付かない顔をして固まっている。
 否、続だけではなく、その兄と弟も従兄弟の発言に動きを止めていた。
「記憶を無くす前のおれはさ、続ちゃんの事が……まあ、多少アレでも心の底から全力で愛しちゃってた訳よ」
「何ですか、その多少アレというのは」
「変態の類義語を2種類以上使用して15文字以上20文字以下の条件で埋めておいて。で、記憶無くした後のおれは、続ちゃんの事を何この人気持ち悪いとか毎日思ってた訳だ」
「そうだったの?」
「そりゃそうさ、余ちゃん。あん時のおれは自分を含めてみんな他人だったし、幾ら続ちゃんが三千世界随一の美男子でもあの世話焼き加減は常人から見たら許容不可能なレベルの異常事態だって。今のおれから見れば、あんなの異常でも何でもない当然の行動だし、寧ろかなり我慢と譲歩してくれてたなって思うけどさ」
 グラスにささっていたストローから液体を吸い、口の中を綺麗にしてから更に続けた。
「だから、今のおれは続ちゃんの事が大好きで愛しちゃってるけど、同じくらいの割合で、気持ち悪いし近寄って欲しくないという、誰の得にもならない感情を持っている訳だ。難しいね。ついでに適度な距離保ってた所為で逆に興味が沸いた始ちゃんには、どーでもいいけど傍にいて欲しいとか、これもまた非常に不愉快な感情がコンニチワしているという大問題が発生中」
「……おれも巻き込まれているのか」
「そ。前、というか記憶忘却中のおれは物静かで大人っぽい始ちゃんの方が好みだけど、今のおれは断然続ちゃんの方が好きというしょーもない理由からプチカオスがお目見えしました。以上、ホーレンソー終わり。報告連絡相談してだから何になるってんだよ、マジやってらんねーから放置プレイの方向でいい?」
 出来る事ならそうしたい、とその場の全員が思ったが、放置したところで事態が改善されるわけでもないので四兄弟、特に年長組が頭を抱える。
 現在の恋人である続はともかく、今は単に従兄弟という間柄でしかない始は本当に困ったような表情を浮かべていた。大した演技力だとはその様子を黙って眺める。
「具体案ないなら、手っ取り早くおれが努力してみよっか」
「努力って、どうやってだよ」
 の倍のペースでピザを食べていた終が従弟の方を見ると、少年は肩を竦めて持っていたピザを平らげた後で返答をした。
「始ちゃんへの感情をありとあらゆる力で捻じ伏せる」
「……それが出来れば確かに早いけど、努力とは違うと思うよ?」
「じゃあ、その為にそこで頭抱えてるお兄様方に協力を仰ぐとか」
「例えばどんな?」
 従兄弟とは双子の兄弟のように育ってきた間柄の余が、不安そうな声で尋ねる。
 碌な提案ではないだろうという予想は三男にも安易に予想が出来たので、から放たれる言葉にツッコミを入れるために年少組が臨戦態勢に入った。
 その空気に気付いたのか、年長組も思考を停止させ、黙っていれば女神すらも虜にしそうな美少年の従弟の言葉を待つ。そんな空気の中で、は言い放った。
「まず最初に始ちゃんがおれを何度も殴ったり蹴ったり踏んだり手酷く犯したりするだろ。それで、ヒーローの如く颯爽と助けに来た続ちゃんの存在を脳味噌に刷り込む。上手く行くまで繰り返す感じで」
「お前はおれを犯罪者にしたいのか?」
「そのシナリオに同意できる点が何一つ存在しません」
「もう何処から駄目出しすればいいのかすら分からないんだけど」
は続兄さんの事を脳に刷り込む前に、まずその在り処を探すべきだよね」
 従兄弟達が同時に放った言葉を全て聞き流したは、明後日の方向を見て嘆息した。
 結構いい案だと思ったんだけどな、という、失言に分類される言葉は自分の胸の中にしまい、グラスの中のジュースを全て飲み干した。