曖昧トルマリン

graytourmaline

祈りて揺らぐ

 休日の昼間だからだろうかと、人通りの多い大通りを歩いていた美貌の少年は老若男女問わず向けられてくる視線に少し頭を痛めた。
 ダークカラーのフォーマルウェアを着こなしたは、眉間に軽く皺を寄せて振動する携帯電話を内ポケットから取り出す。
 発信者の名前を見て不景気に溜め息を吐き、天上の神々から寵愛を受けたような顔立ちからは想像も出来ない口調で携帯に向かって喚いた。
「つーづーくーちゃん、何度言ったらアンタの脳味噌に分かって貰えるのかなあ?」
『理解はしていますよ。納得していないだけです』
「理解したなら納得もしやがれ、5分おきに電話をかけてくるのを即刻止めろ。勿論メールも受信返信完全拒否。最終手段な続ちゃん本人もしくは真っ赤な竜なんかが飛来しやがった日には絶交決定。もう二度と会いません。You see what I mean?」
 何気なく近寄ってきた芸能事務所の関係者と思われる人物を眼力で追い払い、不機嫌絶頂の声色で電話越しの恋人に語り掛ける。
「大体仕方ねーじゃんよ。先生とは前から食事の約束してたし、続ちゃんにデートの予約を告げられた時点で即却下するのは当然だろ」
『ええ、ぼくとのデートの方をね。何故、従兄弟でしかも恋人のぼくよりも、たかがピアノの講師を取るんですか?』
「お客様大変恐れ入りますが当店のご予約は先着順でして昨日いきなり言う貴様が全面的に悪いんだよ。おれだってお年頃なんだから色恋以外にも沢山予定があるの。先生から今日絶対に食事会しようねってお誘い受けたの。生演奏でランチ営業で子供の同伴可でおれの好きなピアニストが今日ライブやる断る理由が見付からないレストランで食事なの。ドタキャンやダブルブッキングなんかより余程いいじゃねえかよ」
『ぼくは君と過ごせるのならダブルブッキングでも構いませんよ』
「おっと、意図と空気読めない馬鹿野郎大発見。それ先生に対して失礼だろ」
『ぼくに対しての数々の暴言は失礼ではないと?』
「今の続の方が全方位に失礼極まりないと思うけど、そこの所どーよ?」
 僅かに怒気を孕んだの言葉に、続の言葉が一瞬詰まる。
 見えない相手の狼狽る表情が手に取るように分かり、少年は折角整えられていた髪を手櫛で乱しながら子供っぽく笑った。
「なーんかさ。今の電話越しの続ちゃんってば、いつものおれに対しての続ちゃんと大分違うよねー、とか思っちゃっていい?」
『口に出している時点で既に思っていますよね』
「知るかよ。で、違うの? 違わないの? おれがオメカシしちゃってるから声だけで緊張してる? それとも実は続ちゃんじゃなかったり? あ、分かっちゃった。お前はアンドロメダ星雲からこんな辺境の星まで飛ばされてきた悲しき左遷組の末端構成員だな。さあ正体を見破ったからにはおれの続ちゃんを今すぐ返して貰おうか。さもなくばどうなっても知らないぞ、お前の身がな!」
君』
 呆れたような、それでもどこかほっとしたような声で名前を呼ばれ、は出来るだけふざけたように聞こえる返事をする。
「それで何さ。こんな強引に事運ぼうとするなんて続ちゃんらしくないし、いつもだったらもっとこう、隙を見せない悪辣さを盛大に披露なんかしてくれちゃってるのに」
『怒りますよ?』
「もしかして先生に如何わしい事されないかと心配してくれてる? 大丈夫大丈夫、先生は常に愛に生きてる人だからさ。この間なんて娘さんの写真見せられて悍ましいくらい惚気られたって言っただろ。で、何でこんな強引にデート決行しようとするわけ?」
 恋人の言葉をさらっと無視してありえないほど自分のペースで事を運んでいくに続も折れたようで、電話の向こうで本を閉じる音がした。
 続がとの会話中に読書をするはずがないので、きっとスケジュール帳か何かだろうと思考の片隅で考える。
『この間、コンクールで入賞していたと知ったので』
「おお。そっか、それで続ちゃんってば柄にもなく2人っきりでここ数年分を纏めてお祝いしちゃおっかーとか浮足立ってしまった訳だな!」
『……』
「……おい、図星かよ」
 長いとも短いとも言えない沈黙が訪れ、が思わず真顔で本音を漏らす。
 しかし次の瞬間疑問が湧き上がり、更に言葉を続けた。
「でもなんで今日なんだよ、別に記念日とか特別な日じゃないじゃん。それに明日ならおれ予定ないって昨日から何度も言ってたし?」
『先に、ディナーの予約をしてしまったんですよ』
「うっわ、続ちゃんにあるまじき迂闊さ」
『仕方ないでしょう。君が家に来た翌日は、いつも夕方まで一緒にいられたので』
 正確には前夜から翌朝にかけて抱き潰すお前の所業が原因で夕方まで動けないんだよ、とは流石に言えず、珍しく墓穴を掘った恋人に肩を竦めてみせて、は腕の時計で現在時刻を確認する。
 携帯の対応をしながら歩いていたからなのか、当初予定していた時間よりも若干時計の針は回っていた。少し早足で歩き出しながら自室に籠っているだろう恋人に問い掛ける。
「ディナーっつたよな。予約しちゃった店、何時から?」
君?』
「昨日続ちゃんの家に行く予定、キャンセルしたのおれの都合だからさ。先生との昼食会は遅くても2時過ぎには終わると思う。デートは厳しいけどディナーなら余裕だろ、つーか、おれも一応続ちゃんの恋人なので用意されてしまった席に祝われる側として意地でも間に合わせるし気合で腹空かせる。男子中学生の燃費の悪さ舐めんなよ?」
 零れ落ちた笑い声が続にも届いたのか、すぐに返ってきた言葉に十分間に合うと呟くように伝える。
「ディナーの後、夜遊びに興じちゃう? おれ、たまにはロマンチックな雰囲気で続ちゃんと夜景見たいな」
『いいですね、調べておきます』
「うん、よろしく。世のサラリーマン達の休日出勤と深夜残業で作り出された寝不足と吐き気と血涙溢れる100万ドルの夜景を期待しておくわ。どうせ明日も休みだから車出してもいいぜ、続ちゃんの運転でゲロ酔いしても問題ないしな」
『君という子はムードというものを大事にしようと思わないんですか』
「恋人がもう少し一般人にも優しいドライビングテクニックを持っていたら考えてもいいかなとか思ったり思っていない振りして思い続けていたり」
 常日頃から続の運転技術に対して文句を垂れているは、相変わらず素知らぬ口調で恋人の言い訳なのか抗議なのか判別しがたい言葉を無視した。
「じゃ、そーゆー事だから。あんまり腐ってんなよ。今、自宅だろ? 終ちゃんに付け入る隙を与えまくりじゃないの?」
『心配には及びません、そこまで脇は甘くありませんから』
「いや、でも終ちゃんに丸め込まれる続ちゃんも、おれ的にとっても見てみたいなーって。やっべ、割と遅刻寸前だからもう切るわ」
『ええ、それでは。愛していますよ、君』
「はあ、何それ? おれの方が続を愛してるから。なーんてね、ディナーと夜景楽しみにしてるね、そんじゃ後でね、続ちゃん」
 腕の時計と見上げた先のデジタル時計の両方で時刻を確認したは更に足を早めようとしたが、点滅が終わった歩行者信号に捕まってしまい立ち止まる。
 5分前は無理でも直前には着くかと気持ちを切り替え携帯電話を畳んだは、背筋を迫り上がってきた嫌悪感に従い視線を周囲に巡らせる。
 いつの間にか横付けされている車と、自分を挟むようにして立っているスーツ姿の男。硬い、筒状の何かが背中に当たる感触を確かめさせられ、舌打ちしながら先程に眼力一つであしらわれた男に作った笑みを浮かべて軽口を叩く。
「今時の芸能事務所はスカウトと拉致の区別もつかないのかよ。まさか銃を使って脅してくるとは思わなかったんだけど?」
「無駄口を叩くな、大人しく車に乗れ」
「誰が素直に……!?」
 携帯の短縮ダイヤルを繋げる前に、背後から電流が流される。一瞬にして、の意識は白い闇の中に呑まれていった。
 車の後部座席に乗っていた男が崩れ落ちる華奢な体を車内に引き摺り込み、銃とスタンガンの両方を構えていた男も、誰にも引き止められる事なくその車に乗り込む。
「こいつだ、間違いない。出せ」
 僅かに粘着めいた男の声で、ゆっくりと車は動き出した。
 その車が数日前、共和学院中等科の校門付近に居座っていた車だという事は、以外に誰も気付かなかった。