祈りて揺らぐ
小さい頃から見慣れている、従兄弟であり恋人でもある男の部屋。あの外見から想像するにたやすい整頓された部屋を、ガサ入れして荒らすのがは好きだった。
勿論、その度に叱られたが。
「エロ本の一冊もない男の部屋なんて寂しーよなあ?」
ベッドの上から頭を下げ、その度に存在しない事を確認して来たエロ本を探してみる。しかし、ないものはない。女性のヌード写真どころか、塵一つ落ちていない。
部屋の主はただ今風呂タイムで、は一足先にそこから失礼した。こんな時こそガサ入れだとばかりにはクローゼットを勝手に開けたり、机の上を眺めてみたりするのだが、やはりエロ本らしきものはない。
代わりに出てくるのは地名や人名が片仮名で埋め尽くされた書籍の数々、血沸き肉踊り骨砕ける戦国及び幕末物が愛読書のにとって全然お呼びじゃない西欧文化の資料。以前、クラッシクを弾いているのにヨーロッパの文化に興味はないのかと恋人に言われたが、そんな事は彼には関係なかった。
無論、今探しているのはそういうものではなくて、エロ本なのだが。
「味気ない……男兄弟でこれだけデカイ家に住んでるのに、相も変わらずエロ本の一冊も見当たらないなんて、味気も色気も皆無じゃねえか!」
「君は人の部屋でなんて事を叫んでいるんですか」
「ノックくらいしよーよ続ちゃん」
「寝言は寝てから言いなさい。ここはぼくの部屋ですよ」
自分のベッドの上でふざけているに、続は呆れたように肩を竦めてまだ濡れている髪を拭きながら隣へ腰掛けた。
乾ききっていない髪から滴が流れ落ち、シーツに染みを作っていく。
がその一房におもむろに手を伸ばし触れてみると、指先が冷たく湿った。白皙の美貌がどうかしたのかと横目で微笑う。
「……おれ、続の事好きだなあ」
「なんです。急に、当たり前の事を」
タオルを肩に掛けて髪に触れていたの指先を取り手を握った。
それでも視線は髪に向かっていて、もう片方の手がまた髪に触れようとすると腕を引き寄せ、そう大きくはない体を抱き締める。
途端にの目が不機嫌になり、続はおかしそうに笑った。
「拗ねているんですか?」
「おれは続の髪に触りたいの。それ以外の続の体は今はお呼びじゃねえの」
「ぼくが君を抱き締めたいからいいんです」
「だからおれは……もーいい」
こうなった続は梃子どころか天変地異が起きても動かないことを知っているので、は自分と同じボディーソープの香りがする肩口に額を寄せる。
背骨や肩甲骨に触れるようにして背中に腕を回すと、いつも通り広くて温かい。同時に、同じ男としては少し屈辱に思った。
顔はいかにもな美形で優男風なのに意外に体躯はしっかりしている。けれどスポーツ選手のようなそれでもなくて、桁外れな美貌に釣り合う程度のもの。
続と並んでも顔でなら全く引けを取らないだったが、体格では勝負にならない。背も同い年と比較すれば高い方だが、恋人と比較するとあまりにも小さい。力技比べになると足下にも及ばなくなってしまう。性格に至っては尚更、よくもここまで捻くれたものだと恋人ながらに思った。
それでもこの男、恋人に対しては無条件に優しく、煽てたり甘やかすのも上手い。本当に嫌がる事は一度だってされた事はない。スランプに陥ってもすぐに気付きそれとなく励ましてくれるのはこの恋人で、そういう感覚はとても鋭敏で振る舞いも大人っぽい。
独占欲は呆れる程強いが、それはお互い様。自身も、続が見知らぬ人間と仲睦まじげに話しているのを見る度に妬いては邪魔をしに行っている。尤も、続独特の癖と毒のある性格についていける他人を生まれてから一度もお目にかからないので、簡単に着火して嫉妬する自分を見たいだけだろうなとも勘付いているが。
夜の相手となると輪をかけての立場が弱くなるのだが、その辺りに関しては、当人は続相手なら別にいいかと開き直っている。体力が追い付かないのでセックスは嫌いだと公言しているが、それでも最終的には、続ならと受け入れてしまう。
結局、も続がいなくてはもう駄目なのだと再認識する。いつもふざけているように思われるが、飄々としているように見えて実は従兄弟の末弟よりも甘えたで強い依存気質のを構ってくれるのはいつだって続だった。
誰かに抱き付く事は好きだけれど、にとって続の抱擁は特別で、抱き返してくれる人間の中では一番安心出来る。本能的に、自分の居場所はここだと悟って無防備になれる。
「どうしたんですか君、君が急に黙ると気持ち悪いんですけれど。それとも、また、よからぬ事を考えているんですか?」
「……ショーペンハウエルでさえ、夜は婦などを相手にしてしゃべって居たのだ。真の孤独生活ということは、到底人間には出来ないことだ。友人が無ければ、人は犬や鳥とさえ話をする」
「何を唐突に言い出すんですか」
「黙ってると気持ち悪いとか言われたから喋ってやったんじゃんよ。恋人が真面目に思考に耽ってるのにさ、気持ち悪いとか言われたから蔑ろにしてみた訳よ」
機嫌を損ねてしまった声で答えられ、戸惑った後で続は苦笑した。
背中に回されていた腕を解いて不機嫌そうな顔を覗き見るとその鼻先と唇にキスをする。
「じゃあ、折角ですから、そんな悪口よりも可愛らしい声を聞かせていただきましょうか」
「……万年発情エロ神仙め」
「何とでも。ぼくの部屋に君の探し物がない理由は理解出来ましたか?」
のシャツのボタンを外しながら耳元で囁いた途端、類稀な美貌を持つ愛らしい顔は渋い面で歪み、セックスが好きな上に常人を逸脱した精力を持つ恋人に心からの忠告した。
「幼気な少年を性犯罪に巻き込む前にたまには自慰の一つもしやがれっつーの。必要なら写真くらいは置いて行ってやる、返す必要はない、裏庭の焼却炉で燃やせ」
「恋人の君がいるのに何故そんな物に頼る必要があるんですか?」
「生憎だけどおれはセックスが嫌いなんだよ、いつも言ってんだろうが」
は逃げるように腰を引こうとするが、続の力に抗う事が出来ず腕を必死に突っ張るだけに終わった。可愛らしい抵抗はそれでお終いかとでも言いたげな恋人の顔に頭突きを食らわせようとするが、それも抑え込まれ不発となる。
「もう嫌になる性欲強過ぎじゃねこの竜王の化身様。おれ、偶には竜堂家内で普通に寝たいんだけど。今日コンクールで明日月曜なのに完徹で運動させる気とか勘弁しろっておれ超人じゃないんだからさ。もう色々と恋人としてなくね?」
「疲れているなんて言い訳は聞きませんよ、帰宅早々元気があり余っていると居間で宣言していたのは君です。心配しないでください、手加減はするつもりですから」
「そう言われて加減して貰った事ないから抵抗してんだけど?」
「それは君がぼくの本気を知らないだけでしょう?」
「最悪の返しが来やがった。本気出さずにアレかよ……おれ、その内、死ぬんじゃね」
言いつつ、全ての抵抗を諦め凭れかかったに、続は夜の顔で口付ける。
厄介な男に惚れたものだと溜息を一つ零し、はシーツに体を縫い付けられながら、自分にだけこの顔を見せる恋人の全てを受け入れる為に、ゆっくりと肩の力を抜いた。