祈りて揺らぐ
自分に劣らない美貌の持ち主ながら言葉遣いは乱暴で、性格は飄々として掴み所がまったくない。いつもふざけていると思っていると急に真面目な顔をして、何かと思ったら馬鹿な事ばかり口にする。
それが、楽しい。
一族の中でも際立つ不真面目さは不快ではなく、むしろ面白いくらいだった。
「余ちゃーん!」
ただいまとお邪魔しますと上記の台詞を同時に吐き出したは、きちんと靴を揃えて手を洗った後で同い年の従兄弟に抱き付いて、余もを抱き返す。
「!」
普段はおっとりとしがちな末弟でさえも、の前では兄弟と話す時とはまた違う砕けた表情ではしゃぎ、素直に抱擁を受ける。
竜堂家だけでなく共和学院の中等科内でも度々目撃されるこの光景が、珍種の生命体とその飼育員と密かに比喩されている事を、続は知っていた。黒竜の化身である余ではなく特に神仙とは何の関わりもないが動物ではなく生命体と言われる所以は、なんとなく理解出来ると思っている。
「今日はどうだった?」
「ああ、きちんと2位取って来たから元気あり余ってさ!」
「2位だったんですか!?」
驚愕の声を上げたのは、末弟よりも次兄の方が早かった。
騒ぎを聞き付けたのか、食堂と二階からそれぞれ兄弟と従姉妹が賑やかなリビングに集合し始める。
「あっれ? 続ちゃんに言ってなかった?」
「聞いていませんよ。一言もね」
「マジか。流石おれ、だって一番最初は余ちゃんに報告するって約束したもんなあ」
「だからって恋人を蔑ろにしますか君は」
「ちょっと待てよ。おれ言ってたじゃん、荷物増えたって」
「君の言う荷物がトロフィーとは思いませんでしたよ」
「だっていらねーんだもん。あれに書斎占領される身にもなってみろって。そんなスペース作るより業務用食品サンプル飾ろうぜって提案したのに誰も賛同してくれなかった、本じゃないならトロフィーも食品サンプルも一緒じゃね? 竜堂家にだって壁際占領してる天球儀と地球儀あるんだしさ」
「……書斎の一角を占領するくらい、受賞していたんですか?」
「何でおれキレられてんの、続ちゃん何時にも増してりっふじーん。いっつも演奏終わって即退場する続ちゃんが悪いんじゃん」
怒りを滲ませている続を前に余と抱き合いながらおちょくりを堪能しているの図は、既に竜堂家では珍しいものではなくなっていた。
現に、終は茉理と一緒にまたやってるよと笑い合っている。
「まあまあ、続さん。それで、今度は何をして怒られてるの?」
「嫌だなあ姉ちゃんまで、こんな可愛い弟を諸悪の根源のように言うんだから。まあ、あながち間違っちゃいねーけど。でも続ちゃんも悪いんだぜ? 人の演奏聞いたらさっさとホール抜け出して受賞式も見ねえんだからよ」
「が2位取った事を続兄さんに報告しなかったんだよ」
首を傾げる従姉妹に余が補足説明を加え、結果、どっちもどっちという言葉を残して茉理も食堂へ戻って行った。
「へえ、また賞取ったんだ」
「また? 終君は知っていたんですか」
「続兄貴こそなんで知らなかったんだよ」
「そーそー。おれが毎回受賞してるシーンをセルフで見逃してる続ちゃんが悪いから終ちゃんを睨むの止めなさい。別にピアノで食ってく気ないから、受賞に関してはどうでもいいけどね。大体、大勢の人前で演るとか楽しませるってのが嫌なんだよ。その上で人様に評価されんのはもっと嫌。おれは、おれが楽しむ為に弾いてんの。それにおれ、夢は祖父ちゃんみたいな格好いい教育者になるんだ」
余とじゃれつくのをようやく止めたは、飄々としながらも真面目な表情で語る。
途端に怒る気が失せてしまった続は茉理を追う為なのか、居間から姿を消した。
入り口に立ちっ放しだった終はを挟むようにソファに座り、でも食ってはいけるんだろうと冗談めかして話しかける。
「さあ? よく知らね、先生は個性的で才能あるとか褒めてくれて、色んなコンクールにエントリーしてくれるけど、あれただのセールスの為のリップサービスだからなあ。先生の指導方式好きだから色んな生徒さん来たらいいねーって二つ返事で手伝うけど、音楽系の進路に興味ないわ。それにおれは、絶対に共和学院で教鞭取るんだ」
「始兄さんみたいに?」
「うーん、始ちゃんは理想に近いし凄く憧れるけど、おれ性根ひん曲がってて絶対ああいう風にはなれないから。だから、おれなりの方法でやっていこうと思ってる」
類稀な美しさを持ちながら、砕けた口調で少年らしい笑みを浮かべる従兄弟が、終も余も好きだった。勿論、恋愛感情抜きの好きだ。
どうにも癖の強い性格なのだが、茉理とは別も親しみ易さが、彼にはある。
「それを聞いたらお父さんはさぞ残念がるでしょうね」
「姉ちゃん」
お茶とお茶菓子を持って現れた姉と恋人には手を合わせてありがたがった。
「そういえば、常磐舞台芸術学院のスカウトも辞退してたよね」
「余君まで」
「だから、続ちゃんが悪いから絡むなっての。で、スカウトの話? ピアノは好きだけど趣味だもん、思い通りに弾けた時はそりゃ嬉しいけどさ、その為に一日中食う寝る以外はずっと練習して何年も学校にいられる自信ねーよ。そうじゃなくても、おれは共和学院が好きなの、進学先も共和学院大学って決めてんの。そこで教員免許取る予定なの。あと続ちゃんと遠距離恋愛とか絶対無理」
「また君は、最後に取って付けたように」
「言い間違えたわ。続ちゃんがおれと離れるの我慢出来なくて性欲から爆発する感じ」
紅茶に砂糖とミルクを注ぎながら続の言葉に返す弟を眺め、茉理は静かに笑う。その視線が、居間の入り口へ向いた。
「なんだ、騒がしいと思ったらやっぱりが来ていたのか」
「やっぱりって何よ、始ちゃん」
「言葉そのままの意味だ。ちゃん付けで呼ぶのはやめろといつも言っているだろう」
茉理から紅茶を受け取って軽口を返すと、は口を尖らせた。
「そんな事言いつつ、実は始ちゃんだって満更でもないくせに」
「君、兄さんまでからかうのは止しましょうね?」
「痛ってえ! 頭、頭潰れるっ!」
こめかみを拳骨で押さえ付けられるとはたまらず体を捩らせ、ソファの上で叫ぶ。
「続ちゃん!? これ恋人に対する仕打ちとしてあり得なくない!?」
「恋人だから出来るんですよ」
「わっけわかんねえっつーかこれ受賞知らなかった八つ当たりじゃ痛い痛い痛い痛いって締めないで!」
笑顔の続に押さえ付けられソファの上で叫び散らすを、一同はとてつもなく穏和な視線で眺める。日の沈んだ窓の外に向かって仲が良いねと誰かが呟くと、皆が皆、ティーカップ片手に賛同するのであった。