曖昧トルマリン

graytourmaline

祈りて揺らぐ

 ハンマーに叩かれ振動していた弦が止まり、曲の終わりを告げた。
 ステージ上の少年が立上がり、グランドピアノの隣で一礼する。客席からは一部熱の篭ったものを除き義務的な拍手が鳴り響き、その様子を青年は群衆に紛れてつまらなそうに眺めていた。
 確かに、少年の才能は突出してはいるのだが、非常に癖が強いというか、暴れ馬や空腹の猪の如く大人しさの欠片も持ち合わせていないのが特徴だ。悪い意味で個性的だから必ず何処かの誰かからバッシングを受けると、いつだったか本人も言っていた。
 目的は果たしたので、青年は早々に席を立った。先程とは違い万雷の拍手で迎えられた綺羅びやかな少女を横目で一瞬だけ見て、すぐに会場の扉を閉めた。何度か見た顔だ、きっと今回のコンクールは名前も知らない今の少女が1位を取るのだろうと予想する。
「どうにも肌に合いませんね」
 それは自分に言うよりも、他人に対しての言葉のように聞こえた。
 人気のないホールの自販機でコーヒーを買い、日の当たる壁際のベンチに腰を掛けて時計を見てみると、どうやらあの少女が最後のようで、あと少しもすれば待ち人がここに来る。
 やがて会場の扉が開き、人々が入り口に向かって流れて行く。
 目敏い女性や男性が何人か立ち止まり青年を見て、時には話掛けたが、彼はそれをすべて軽くあしらい腕の時計に視線を落とした。居場所を確かめる連絡を付けるにはまだ早いかと考えている途中、コンクール用の衣装が入った鞄を肩からぶら下げた少年が合流する。
「悪い、遅れた」
「遅いですよ」
「控え室混んでたんだよ。荷物増えたし」
「何故増えるんですか?」
「さーてね。どうしてだと思う、当ててみやがれ」
 青年は大して怒っている様子は見せず軽く腕を組み、決して駆け寄ろうとはしない少年に笑い掛けた。
「まあ、いいでしょう。お疲れ様です」
「本当それだよ、冗談抜きで疲れたわ。やっぱ人前で演るのは性に合わねえよ、好きなように自由に弾きたい」
「はいはい、愚痴は車の中で聞きますから、取り敢えず会場を出ましょうね。ぼくらが並んでいると目立って仕方がありません」
 別に目立ちたくもないのだが、図らずともそうなってしまうのはこの2人の異常ともいえる美貌だろう。
 神話の美姫を思わせる顔立ちと、その顔に見合った理想の体格と雰囲気を合わせ持った青年の名は、竜堂続。
 そしてその傍らで笑みを浮かべる、中性的な、まるで生きた天の御使いのような容姿を持つ背の高い少年は続の従兄弟である鳥羽
 尤も、外見と内面はあまり一致しないようで、青年の方は言葉遣いは丁寧だが性格に問題があり、少年の方は性格も問題だがそれ以上に口の汚さが目立つ。
「いや、つーか目立つのは続ちゃんだけじゃん? 幾らおれが美少年でも並べば空気」
「確かに君よりもぼくが目立つのは認めます。でも、ぼく達が一緒にいると1人でいる時よりも異性からも同性からも声を掛けられる確率が急上昇しますからね」
 その台詞を続が吐きだした途端、2人の背後から女性が声を掛けてきた。
「ほらね」
「成程、納得。じゃ、おれより目立っちゃう続ちゃん、相手なさい」
「いえいえ、こういう時こそ普段ぼくの影に隠れてしまう君が目立つべきです。適当にあしらって早く食事にしましょう」
「いや、彼女どう見ても続ちゃん目当てっぽいなーって思うんだけど?」
「なら尚更、君が退治してください」
「言うに事欠いて退治って単語選びやがったぜ、この男はよお」
「随分な言い草ですね。君だったらどのように表現するのか、一応聞きましょうか」
「はあ? 害獣駆除」
 背後の女性に聞き取られないように囁き合った後では嫌々振り返り、笑顔もへったくれもなく何か用でもあるのかと話しかける。
「突然ご無理を申し上げて恐縮ですが、お時間のご都合よろしいでしょうか」
「駄目。なんで大丈夫だと思ってんの?」
 今度はにっこりと笑みを浮かべて瞬時に即答したに、目の前の人物が固まる。
 年齢は高校生くらいなので女性というよりまだ少女。顔立ちもまあまあ美人、身なり雰囲気立ち振る舞いからしても相当なお嬢様である少女にここまで即答出来るのは自分か続くらいだとは呑気に考える。
 服は既に着替えているが化粧からすると彼女も自分と同じく今日のステージに上がった、そこまで自問して、金のかかった衣装だなと感想を抱いた数時間前の記憶を思い出す。今日のコンクールで1位が彼女だった。確か、どこかの会社か実業家のご令嬢で、別のコンクールでも何度か顔を合わせたような、合わせていないような、と霞がかっている思い出を何とかして補修する。
 しばらく脳味噌に打診し続け、別のコンクール後に続に纏わり付くように話し掛けていた所を追い払った事がある女だと、ようやくは気付いた。当然、に押し付けた続はとうの昔に思い出していたのだろうが、それが妙に腹立たしくなり鼻を鳴らした。
「これからメシに行くから邪魔すんな。疲れて腹減ってんだよ、こっちは」
「あ、あら奇遇ですね。私も丁度食事にしようと考えておりましたの、ご都合が悪くなければご一緒しませんか」
「ご都合最悪って言ってるだろ、さっきから日本語通じてる? それに、おれってかなりの面食いで隣の彼より美人な人類じゃないと一緒に食事しても料理が砂利に思えるから作ってくれた人や食材に悪いとか心から思ってああもう面倒臭えから失礼するわ」
 暴言と共に形のない礼をする少年と、それを止めようともしない青年の二人組に、少女はしばらく呆然としたまま言動を停止させる。そして、気付いた時には既に姿のない少年に向かって凄まじい殺気を放っていた。
「おーおー、怒ってるねえ。やっぱり女の大半は内面に鬼が潜んでると思えるんだよ、あの形相の凄まじさを見てみるとさ。母さんや姉ちゃんも怒らせるとスゲー怖いもん」
「最後に信じ難い言葉を平然と挟みましたね。何をしたら叔母さんと茉理ちゃんを激怒させる事が出来るんですか」
 駐車場から会場の入り口付近を見物しながら、青年と少年は軽口を叩き合った。
「その辺り知りたい感じなんだ? 割とホラー寄りの話になるんだけどさあ」
「結構です。それにしても、相変わらず人を逆上させる事は上手いんですね、君は」
「それはきっと恋人の影響が色濃く形に現れているだけだと思いたいなあ」
「諸悪の根源はぼくだと言いたいのですか? 反省も兼ねて、また一晩中啼かされたいようですね」
「懺悔と性欲処理の抱き合わせとか発想が邪悪で最悪過ぎるわ、腹と神罰が同時に下りやがれ。そもそもさ、まるで普段は違ってるみたいな言い草が割と笑えないんだけど、続ちゃんそれ素で言ってんの? んな事宣言しなくても一晩中抱いてる癖にさ」
 手荷物を後部座席に放り込み、助手席に乗り込みながらそう言ったに、続は妙に納得した様子で運転席のドアを閉める。
「さてと、それで君。本当にお腹は空いているんですか」
「ああ、それ本当。もう少しで機嫌が更に悪くなりそうな感じ」
 平然とした顔でシートベルトを締めたに、続は苦笑して身を乗り出し、そのお喋りな口をキスで塞いだ。
 の口の中に、加糖されたコーヒーの味が広がる。
「ん……」
「しばらくはそれで我慢してなさい」
「いや、なんかもう別の意味でお腹一杯なんですけど」
 その味に眉をしかめながら、はエンジンのかかる音を聞いた。
「そうですか。では、もう夕食は必要ありませんね」
「……いります。ソレとコレとは別腹です」
「でしょう?」
 そう言ってアクセルを踏んだ従兄弟には溜め息に似たようなものを吐き出す。
 いい加減、続の性格を如実に表す荒々しい運転にも、恋人という立場もあり慣れなければいけないと思いながら。