微睡鳥の繭籠り
こんな夢は今までにない、初めてだ。
風を切って飛翔するのとはまた違う。これが魂となった感覚なのだろうかと、目の前に転がる首のない体を眺めながら漠然と考えた。
事切れた肉体が赤い粒子になるにつれて、手も足も、少なくとも自分にははっきりと見えるようになる。
今まで自分の見てきた魂は、もっと曖昧で、儚い存在だったというのに。この違いは一体何なのだろう。まさか、鬼になったわけでもあるまい。
『私は死すら許されないのですか?』
呟いた声は煙のように散っていく。
聞き覚えのある、これが魂の声。
「何故、貴方が死ななければならなかったんですか?」
もの言わぬ小さな墓に向かって呟く声。いつの間にか、自分の死体が消えている。風景も異なっている、処刑が行われた場所ではない。時間の進行速度が歪んでいるようだ。もしくは、これが魂としての正しい時間の流れなのかもしれないが。
美しい顔をした竜王が、土の下の私の死骸に向かって話しかけている。
「貴方は」
『……紅竜王』
魂の声は、届かない。
現世を生きる者に死んだものと会話できるものは少ない。彼も、例外ではないだろう。
彼の肩に触れようとした手が、いとも簡単に通り抜けた。
「何故このような死に方を」
何故、この竜は苦しんでいるのだろうか。
竜という種族は、たかが数刻、顔を合わせただけの鳳凰にすら、情を持つのだろうか。
「貴方は、こんな死に方を望んでいたんですか?」
その予測は、おおよそ正しいと思った。この優しい竜は、嘆いている。
嘆いている理由までは、相変わらず分からない。
「名前も呼べず、死刑を止める事も出来なかった」
『それは、貴方が気に病む事ではありません』
それでいいのだ。それが正しい行いなのだ。
これで秩序が、平和の均衡が保たれる。彼等自身と、彼等を取り巻く者達の望みと、私の望み、全てを叶えられたのだから、喜ぶなり忘れるなりするべきだろう。
「こんな事を、死んでしまった貴方に告げたら何を言っているんだと、言われるかも、しれませんね。いえ、きっと、貴方に言われたいのが……私の本音なんでしょう」
『……』
「私は、貴方の名を呼びたかった。貴方に呼ばれたかった。貴方を、愛しているんです」
『何を』
一体、何と、言ったのだ? この男は。
私を、愛していると。こんな、私を?
「本当に、馬鹿ですよね。貴方を捕らえ、見殺した私が、今更愛しているなんて」
こんなにも死にたくなかったと、思うなんて。こんなにも彼を、今泣いている竜を抱き締めたいと思うなんて。
獣の私に、こんな情があるなんて。
初めて与えられた愛が、与えたいと思った愛が、死後だなんて。
「自覚してしまったら、どうしようもなかったんですよ。好きで、愛しくて愛しくて、どうしようもなくて。今でも、秩序など無視して、矜持など捨てて縋りついてでも、そう何度悔やんで、悔やみ切れなくて」
『仲卿』
「愛しています。死んで、いいえ、殺してしまった貴方にこんな言葉をかけるなんて、私、は……私が竜王ではなく、貴方が鳳凰でさえなければ」
泣き叫ぶ事が出来れば、泣き叫ぶ事が出来る体があれば。そうすれば、貴方の所為ではないと伝えれるのに、初めて愛を与えてくれたこの竜王を救えるのに。
『仲卿。私の声を、どうか』
「償いではなく、我欲に過ぎません。けれど、もしも、百年、千年後の来世でまた貴方に出会い、貴方が許してくれる奇跡が起こるのならば、共に生きたい。そして今度こそ、貴方を守りたい」
『どうか、声を』
私が鳳凰でなく、貴方が竜王でなければ、この声は届いたのだろうか。
これで全て良かったのだと。貴方は前を向いて歩いて行けばいいと。こんな命に来世まで囚われる必要などないと。
「もしかしたら私が守る必要がない程、強くなっているかもしれません。それでもどうか、側に居させてください」
私の声は、届かない。
「愛を与えさせてください、貴方の居なくなってしまった今でも、そして、来世でも」
そして、おれの声も。
「……酷い夢」
瞼を上げた瞬間、嗄れた咽喉は引き攣り、全身に激痛が走った。
今まで一度も見る事がなかった死後の前世の夢に対する言葉など、その一言で十分だと、ベッドの上で痛みが和らぐのをじっと待つ。
誰もいない続の部屋、胃液や体液で汚れたままのベッドの上。血臭こそしなかったが情事の後の饐えた匂いがした。部屋の主は不在らしい。
「最初から、ここまで知っていれば」
言い掛けて、目を閉じる。真昼の陽光が暗闇を赤く染めた。
「一緒だ。知っても」
全身に刻まれた痛みはまだ引かない。けれど、その痛みが原因で、紅竜王への恐怖は引いていった。
代わりに植え付けられた恐怖とこの部屋の主の姿を思い浮かべ、彼は静かに涙を零した。