曖昧トルマリン

graytourmaline

微睡鳥の繭籠り

 もう何人の生徒に声を掛けられただろう。
「大丈夫、そんなに酷くないから。心配しないでください」
「そんな青い顔して言われて、はいそうですかって納得出来ると思うか!?」
「とにかく倒れる前に保健室行けって!」
 机を囲むクラスメート達がしきりに保健室に行くか、早退するよう言ってきた。
「でも、まだ来たばかりですし」
「言い訳すんな! 一時間目から体育だぞ!? 死ぬ気か!」
「そんな大袈裟な」
「大袈裟にさせてるのは鳥羽の顔色だ!」
 大声で怒鳴り散らし叫ぶ周囲にもは苦笑するだけで席を立とうとしない。
 出来るだけ、今は長く学校にいたい。それに、早退で行方を眩ませれば、間違いなく続を更に憤らせる。言われた通り、に拒否権はないのだ。
「ねえ、皆どうしたの?」
「竜堂! 丁度いいところに来た! こいつ保健室に連行してくれ!」
「こいつって?」
 人垣の向こうから従兄弟の黒い瞳が見えた、途端に、何て顔をして学校来ているのだと叫ばれ、怒られる。滅多な事では声を荒らげない余がそうした事により、元々九割方集まっていた教室中の視線がに一点集中した。
「いえ、見た目ほど酷くはありませんから」
「今にも死にそうな顔色で言われても説得力ないから! ほら、保健室行くよ!」
 小柄な体では考えられない力で引っ張られ、そのまま無理やり教室を連れ出された。
 途中で擦れ違った担任は、もうすぐチャイムが鳴りそうな時間だからか何か言いたそうに口を開いたが、と視線が合った途端に驚いたような顔をして、早く保健室に行きなさいと余を急かす。
「余さん。そんなに、おれの顔色悪いですか」
「よく無事に学校まで辿り着けたねってくらい。手だって、こんなに冷たいし、震えてる、分かってないの?」
 震えて、怯えているのは心なのに、どうやらそれが体にも現れてしまったようで、本当に始に安心してしまったから、の緊張感は麻痺していた。
 続に、恐怖を抱いていたと気付いてしまった以上こんな事は無意味だとは判っている。誰かに失望されたり、陰口を叩かれるのは平気だと、始には言ったはずなのに。
 保健室のベッドに寝かされながら、心配そうな表情をしている保険医と真面目な顔をした余が二言三言話す様子を見ていた。
、今日は早退ね」
「でも」
「でもじゃないの!」
 口調は幼いが、反論を一切認めない強い意思が余の瞳には宿っていた。
 どうやら保険医も余の味方らしく、は仕方なさそうに俯いてから、家に誰もいないと事実を述べて、保健室で時間を潰す方向に切り替える。
「そっか。叔父さんも叔母さんも出張なんだ」
「姉さんも学校ですから、しばらく、保健室で」
「それも駄目! が心配だからってクラスの皆が絶対に来るから」
 再び強く言われて、はどうしようもなくなりベッドの上で天上を仰ぎ見る事にした。
 誰かに電話を掛ける余を横目で気にしながら、それ程自分の顔色は悪いのかと一度壁に掛けてあった鏡を覗いてみると、確かに良好とは言い難かった。けれど、これくらいの顔色ならば、今まで何度か無事に授業を終えた経験がある。
 誰かに何かを言われる事も、一切なかった。今はもう、上手く表面すら繕えない。
「うん、じゃあね。、すぐ迎えに来てくれるって」
「……どなたがですか?」
「続兄さん」
 その名前に、恐怖で跳ねそうになった肩を抑え込む。
 昨夜の事を知らない余の判断は、当然だった。続と顔を合わせるのは今か、後か、それだけの違いだと脳が体に無理矢理納得させた。
「続、さん。が、来てくれるんですね」
「だって他に頼める人いないでしょ?」
 それに、と余は声を抑えてに告げる。
「続兄さん、朝に一度家に帰って来て、またすぐ出て行ったんだ。ぼくも終兄さんも、話しかけられないくらい機嫌悪かったから……ね、
 昨日何があったのかと尋ねる余と目を合わせ、苦笑の表情を作る。
「ごめん。始兄さんからは、何も聞かずにそっとしておけって言われたけど、でも」
「心配してくださったんですよね」
「うん、ごめんね。知らないふりなんて、出来ないんだ」
 そこはしていて欲しかったとは言えず、は笑みを表情に貼り付け、肝心な部分を伏せながら昨日の事を言葉にする。
「少し、続さんと言い争いを。それに、始さんも巻き込んでしまって……すみません、おれが取り乱して、昨日の夜から始さんに付き添って貰っていて」
「え、じゃあ、続兄さんに連絡したら」
「その辺りは問題ありませんよ。元々、おれが挙動不審だった事が原因なので。返事を延ばしていた事も、勿論ありますが」
 続なら分かり合える相手だし顔色が悪い身内に強く当たる事はないだろうと思ってもいない説得をして、だから平気だと嘘を吐いた。
 ここできっと余に助けを求めれば、続はなんの躊躇もなく弟を巻き込むだろうと予測した結果だった。
「でも、そうだ。始兄さん、朝まで一緒にいたんだよね?」
「ご飯を作った後までは大丈夫だったんです。今、顔色が悪いのは」
 部屋の主が仕事に取り掛かっている姿を確認してから、囁くようにが言った。
「実は、寝不足なんです。続さんとの喧嘩が、思っていたよりも堪えて」
「そんな理由で……うーん、じゃあ、ちゃんと仲直りして、しっかり寝るんだよ?」
 虚実を織り交ぜ、最後を虚で締めると、ひとまず余も腑に落ちたのかベッドから離れた。
 が若干申し訳無さそうな笑顔でいるのを見て、余はそれ以上はなにも言わず保健室を出て行ってしまった。彼にもいずれ、話さなければいけないだろうとは目を閉じて溜息を吐いた。けれど、話すならばある程度決着がついた後でなければならない。
 既に、始と続、そして姉を巻き込んでいる。更に終と余を巻き込みたくなかった。
 余がいなくなった事で緊張が解け輪をかけて顔色が悪くなったのか、迎えが来るまで寝ていなさいと保険医から厳しく言われる。優等生らしく振る舞う為に大人しく指示に従ったは、誰にも見られていないベッドの中で小さく震える。
 体からは、何故か死臭がした。