曖昧トルマリン

graytourmaline

微睡鳥の繭籠り

 鞄を抱き締め、車の助手席に身を縮ませるように座っていたが、扉を開けた途端大きく肩を跳ねさせた。
 相変わらず体は震えていたが、それでも家を出る時ほど酷くはない。落ち着かせるように背中を擦り、何度か呼び掛けてみるとやっとシートの上で強張らせていた体の力を抜いた。ただ、心から安心した訳ではなく理性で全てを支配しているだけなのだろう、体の震えと血の気の引いた顔色は変わらない。
「無理をするな」
「……うん」
 背丈の割に軽い体を鞄ごと抱き上げ玄関まで運ぶと、が始に抱えられながら自宅の鍵を開け、始は持っていたの靴を玄関ホールに投げ捨てた。
 脱ぎ捨てた自分の靴も整える事をせず、最低限家の鍵だけをかけると、真っ直ぐに部屋へと向かう。
「部屋、見ても、何も言わない?」
「言わないよ」
 を不安にさせない為に始は出来るだけ笑うよう努めたが、返される表情は常に強張っていて暗い。後付けされたであろう鍵の外される音と共に開いたその部屋を見て、成程と納得する。
 演技をしているからは想像も付かない部屋。広いだけで無機質の、温かさの欠片もない部屋だった。
 辞書とノートと参考書の束がスチール製の机の上に整然と並び、学校で使う最低限の物とパソコンしかそこにはない。後は、叔父の書斎から持ち出したらしい中国神話に纏わる本が数冊積み上げられていた。
 カーテンを敷かれた窓を隠さないように並べられた本棚も量産された無機質な規格物で、学術書や辞典以外に並べられているのはほとんどが中国の逸話や伝承、伝説を著した本。それに、生前の祖父から借りっ放しなのであろう古書が数冊、どれも丁寧に保管されている。
 棚の下段一角を占領しているファイルの群れはどれも分厚く、古い物は既に背が黄ばんでいる。数字で種類分けされていたが、文字がない所為で見ただけでは何か判らない。ただ、恐らく、彼の夢について記された物なのだろうとは始も想像出来た。
 他に目につく物といえば、ベッドとクローゼット、それにごみ箱や時計くらい。嗜好品らしい嗜好品が、一切ない。
 そのベッドの上に体を寝かせ、部屋の明かりを点けながらドアを閉めた。
「体、自分で起こせるか?」
 声は出せなかったが軽く頷き、は気怠げに上半身を起き上がらせる。
 随分と時間は掛かったが、それでも自力で体を起こしたに始は安堵しながら薄い肩を抱いた。止まったいた、というよりは、気力で止まらせていた震えが再開して、咽喉を締められたような声で訴える。
「……は、始、おれ、最悪だ」
?」
「おれ、嘘吐いた。最低の嘘だ、こんなっ」
 続を裏切っている自分を拒絶したいのだろう。
 シャツを掴んだ手が震えて、なのに指先は強くそこを握り締めている。
 始は皮膚に食い込んでいる爪を外して怯える体を余す事のないように包み込んでやった。腕の中に丁度収まる肢体に囁く。
「様子がおかしかった続を強く引き止めなかったおれに非がある。を庇ったのも、連れて来たのも、おれの判断だ。は何も悪くない」
「違う。ちがう、おれは」

「おれ……だ、駄目。こんなの、無理だ」
 言葉を紡ぐ事すら出来なくなり震えるに、始はそれでも悪くないと言い続けた。その度に、は今までにないくらい強く拒絶し、腕を突っ張って始から離れようとする。
「優しく、しないで。お願い、始……おれに優しくしないで、お願いだから」
「無理だ、出来ない。おれが、優しくしたんだ。おれがを好きなのも、こうして抱いているのも、全部おれがやりたいからなんだ。何一つ、の所為じゃない」
「違う! やめて、今のこれ、全部やめて欲しい。お願いだから、始」
「止めない」
 懇願する声を止める為にキスで唇を塞ぎ、その後で、視線を合わせられるようにの体を少しだけ離す。それでも肩を抱いた手は外さず、背に回していた手の平で髪から頬にかけて何度も撫でた。
 最低なんかじゃないと始は繰り返し言う。
 最低の人間なら、もっと早くに開き直る。自分は悪くない、相手が悪いと言い張る。ここまで自分の行動に傷付かない。
 はただ、臆病に繊細過ぎて、何よりも気遣いが過ぎて、身を守る術の選択幅が極端に狭い弱い人間だ。
 前世も含め、今現在まで、誰も拠り所に出来なかったのだ。これだけ心が弱り切っていても、誰にも頼れなかった。
「始、お願い。やめて、おねがいだから」
「何で、そこまで頑ななんだ……」
 そう言って始はの髪を撫でると、咽喉が引き攣る音を耳にした。顔を上げると先程以上に血の気の失せた顔で、が懸命に何かを言葉にしようとしている。
 歯の根すら合わなくなり、続に責められていた時よりも怯えた様子に始は絶句する。ここに至ってようやく、始は自分が考えているものとは違う理由でが拒絶をしているのだと理解した。
 しかし、だからといって全部止めるという選択肢はあり得ない。悠長にコーヒーを飲みながら談笑という段階は既に終わっているのは始も分かっていた、せめて最低限の譲歩でと食い下がろうとする前に、真っ青な唇が時間と水を欲した。
「少し、だけでいいから、時間が欲しい。頭の中、纏めさせて。説明するから、説明出来るはずだから」
「今のを一人にしたくない」
「ひとりに、して。それに、水、欲しい。あと、電話。始の家、今、誰もいないから、終さんと余さん驚くから」
「こんな時まで」
「電話、する時、帰れないって、言って。さっきから、我儘でごめんなさい。でも、置いて帰らないで、今は、見捨てないで。話、聞いて。一晩でいい、始を頂戴」
 助けてと、全身で訴えるの持ち掛けて来た条件に、始は内心でのみ強く拒否する。
 尋常ではない様子のから少しでも目を離した瞬間、命を断つかもしれないという不安が拭えない。
 返事をしない始から滲み出た不安を悟ったのか、必要なら体の自由を奪っても構わないと譲歩され、そこでやっと折れた。
「……両手足、目隠しと、猿轡」
「それで、いい。それで始が、安心するなら」
 だからお願いと無言で訴えるを、クローゼットから取り出したネクタイで後ろ手に縛り、考えられる限りの自由を奪う。
 拘束されたままベッドの上に転がった姿は痛々しかったが、始が離れると肩で息をするのを止め、抱えていた時よりも落ち着きを取り戻したように見えた。
 部屋の主を一人残して廊下に出た始は望まれた通り家の留守電に最低限の、今日は帰れないとだけ言葉を残し、誰もいないキッチンから水を一杯だけ拝借する。ほんの数分時間を与えただけで考えが纏まるのかという疑問と、一秒でも早く戻り無事を確認したいという不安が混在し、結局は後者が勝って、始はやや早足での元へ向かった。
 ベッドの上で大人しく待っていたも、音で始が戻って来た事が判ったようで軽く首を動かして頭を振る。
 生きていると仕草で教えられ、安堵の息を漏らした始は手にしていたグラスを勉強用の机に置くと幼い体を拘束していたネクタイを解き、もう一度息を吐いた。
「心配、してくれたんだ。大丈夫、死んだりしないから、寧ろ、逆かな。うん、真逆だ」
「それは」
「我儘きいて、時間くれて、ありがと。ひとりになって、納得出来たから、ちゃんと全部、説明、出来ると思うから」
 始の言葉を遮るように捲し立て、少し離れて座って欲しいとの言葉に従いベッドの足元に腰を下ろしてから水を手渡す。笑顔を作り、優しいねと囁いたの声は、また震え出していた。
 そのまま抱き締めて慰めたいと訴える情を堪え、始は次の言葉を静かに待つ。何かして欲しい事があれば、彼は言葉に出来る、そう自分に言い聞かせながら、ひたすら待った。
「……おれ、さ」
 冷たい水を口に含み、は言葉を咽喉に詰まらせて、また笑う。
、言葉にしてご覧。聞いてあげるから」
 グラスを持ったまま戸惑う手を握る事も出来ず、下からの瞳を覗き込むと、視線を逸らされた。
 たったそれだけの事で、始は自分の心が軋んだ音を聞いたが、決して表には出さない。出せば間違いなく、は心を閉ざすと確信していた。
 正確に時を刻む秒針の音を聞きながら何分も待つ間、震えながら開きかけた口は、何度も元の形に戻った。
 言い難い事なのか、舌が麻痺したように何度もそれを繰り返しては本当に辛そうに眉を寄せて今にも泣きそうな表情をする。意を決した時にはもう、は意味のない笑みを浮かべてはいなかった。
「始、おれ、怖い」
「うん」
「全部、ぜんぶ怖い」
「うん、怖いんだな」
「殺、されるの。怖い」
「……?」
「せ、青竜王に、紅竜王に、太真王夫人に、見捨てられて、殺される。何度も、何百回も処刑されるんだ、夢の中で」
 始は、冷水を浴びせられたような気がした。
 同時に、何故そこに至らなかったと過去の自分を殴り付けたくなった。
 は言っていた。始に打ち明けた前世の夢を、幼い頃から、何度も、見ると。
 そこから来る本来の感情へ本人が気付く前に、その時点で始が気付くべきだった。この子供は、夢を見る度に身近な人間と同じ容姿の神仙たちに見放され、その手で処刑され続けていたという考えに至るべきだったのに。
 優しくしないで欲しいと血の気を引かせ涙ながらに訴えたのは、夢の中で青竜王が鳳凰に対して常に優しかったからだ。彼と同じように接しないでくれと心が上げた悲鳴が、そのまま口に出たのだろう。
 何故が始を好きになれないのか、幾度も言語化された疑問の答えなど最初から提示されていた。好きになどなれなくて当然だ。は前世という夢の中で鳳凰という思想が異なる種族の器に入れられ、反抗も逃亡も何一つ出来ないまま、ひたすら死刑囚と同じ目に遭わされ続けて来たのだから。
 続に執着している理由は始には分からない、けれど、今はそんな事はどうでもいい。
 最悪の読み違えだ。
 始と、恐らくは自身も、最も根底に巣食っている感情は寂寥だと思い込んでいた。だから、周囲の人間さえどうにかすれば、救えると思っていた。
「ごめん……ごめんな、さい、始。おれ、貴方が、怖い。怖くて、たまらない。つ、続さんも、姉さんも。ずっと、ずっと、本当は、怖かった」
 人間としての自己を保つために無意識に逸していたものを曝け出され、は恐怖に支配された真っ青な顔のまま表情を歪める。震えは酷くなるばかりで、遂には水が入ったままのグラスが手から滑り落ちた。
 頭を抱え声を上げて泣き出したのに、慰めるために肌に触れる事も、視線を合わせ声を掛ける事すらもにとっては恐怖の引き金にしかならないと知った始は動く事が出来ない。
 ごめんなさい、こんなの嫌だ、もう耐えられないと慟哭し、咳込みながら大粒の涙を流し始め、頬と袖を濡らすに何も出来ず、始はただ唇を噛む。続に対して、繰り返し謝罪をするしか手段のかった子供の気持ちが、理解出来た。
 同時に、何故あと少し待てなかったのかと、続に対して殺意が湧く。
 少しずつ歩み寄る手段を放棄し、が考えないようにしていたものを叩き付け、恐怖の真正面に立たせたきっかけを作ったは、続だ。
 そして、が作り出した違和感に、最初に気付いたのも続だった。
 普段は両親を困らせるような言動を一切しないが、家で一人きりで待つ事が苦痛だと漏らした言葉を真っ先に拾い上げ、竜堂家に来るよう誘ったのも、続だった。
 それからずっと、陰日向になって続はこの少年を大切に扱ってきた。
 今日という日までは。
 もう駄目だと始は心の中でだけ呟いた。
「……はじめ、始。怖い顔、してる」
?」
 裾を引っ張られ思考の世界から現実の世界に帰還すると、泣く事に疲れ、目の縁や頬を涙に濡らしたままのが少しだけ落ち着きを取り戻した様子でベッドに四つん這いになり、始を見上げていた。
 恐怖よりも、不安を色濃く出して。
「続さん、の事。怒ってる?」
「ああ……まさか、
「おれ、は。怒ってない、まだ、怖い。凄く、怖いけど。それには勝てない、けど、続さんが好き。沢山、隠し事して、続さんに責められたのは、仕方ないから。それに、最初から、おれの中にあったんだ、前世の恐怖そのものは。それは、続さんの所為じゃ、ないから」
「気付かせたのは続だ」
「偶然、続さんだった。何かが違ったら、始か、姉さん、だったかも。気付いたのは、紅竜王と続さん、おれを見る目が、一緒だったから。だから、あのまま始に優しくされてたら、青竜王と同じだって、気付いたかもしれないんだ」
 だから続を責めないでくれと告げるに始が苦い顔をして視線を逸らす。承服しかねると態度で返されてもそれ以上の強制は不可能だと理解しているのか、は諦めたように目を伏せ、ゆっくりと始の隣にまでにじり寄った。
 まだ恐怖が消えた訳でも、慣れた訳でもないだろうに、それでも距離を詰めた子供に始は無理をするなと声を掛けようとしたが、それよりも早く口を開かれる。
「始、お願いしたい事が、ある。続さんの、事じゃなくて、おれの事」
「……内容による」
「たくさん、キスして欲しい。おれに。一晩中」
 を傷付けるような行為ならば断るつもりだった始は、完全に予想外の願いを聞かされ固まってしまった。直前までの落差に性質の悪い夢を見ているようだと舌まで浮上しかけた言葉は辛うじて飲み下し、何故と簡潔に問う。
「始にキス、された時だけ、怖くなかった。青竜王は、そういう風におれを、鳳凰を、見てなかったからだと思う、だから」
 始だけの感情をおれに頂戴と涙が乾いていない目で囁くに、始が額に手を当て大きな溜息を吐く。
 それを悪い方に受け取ったは一瞬声を詰まらせ、次に饒舌になった。
「不実だって、わかってる。始はおれが好きで、おれは、続さんが好きなのに。でも、始、お願い。今夜、一晩だけでいいから。明日になったら、嫌いになって、気持ち悪いって、全部蔑んでもいいから。都合のいい時だけ、他人を利用する汚い子供だって思っていいから、他の人に言っても、殴っても、何されても……っん」
 それ以上は必要ないと、始は腕を伸ばさなくても届く距離にあった体を掻き抱き、必死になって訴える幼い唇をキスで塞ぎ、柔らかい舌を奪うように性急に絡める。
 唇同士を触れ合わせるキスすらつい先日まで未経験だったと告白した子供に与えるキスではないと理解はしていたが、ここまで煽られてまだ自制が効くほど出来た人間ではないと始は誰にでもなく言い訳をした。
 親しい相手に恐怖を抱き続けるくらいなら、今まで積み上げてきた物を全て失った方がいい。その覚悟の言葉がこの少年にとってどれだけ重いものなのか、始は理解しているつもりだった。自身を焚き付けるための嘘だとしても、それでもいいと。
 思考している間にもキスは深くなり、緊張と未知の行為に混乱し固まる背をゆっくりと何度も撫で、腰から脚へと手の平が下っていく。
 しかし、流石にこれ以上は同意もなく進めるべきではないと理性が押し留め、一度唇を離した。目の前には、事態を把握できずに呆然としたがいて、朱が差した唇でなんとか言葉を紡いでいた。
「は、じめ。何、今の」
「キス。して欲しかったんだろ、おれに」
「そっ……そう、だけど」
「力抜いて、舌を軽く突き出してみろ」
 死人のようだった顔色が一気に薔薇色に染まっていくのを見て、もう一度、有無を言わさずキスを再開させる。しばらく戸惑った後で、は始の言う通りの行動に移った。
 リードされるがまま好き勝手に蹂躙されているにも関わらず、未熟な体は徐々に融け、快楽に呑まれながら弛緩していく。そして本人からの申告通り、これだけ触れ合ってもが始に恐怖を抱いている様子は見られない。
 このまま夜が明ければ、は自分の気持ちに折り合いを付けて、言葉通り離れていくだろう。嫌われたくない、から、嫌われてもいいから恐怖を抱きたくないと、生きる目標をより低く差し替えて。
 あの悪夢すら諦めて受け入れ、今以上にボロボロになるのは目に見えているのに。
 本来ならば、それを受け止め癒やすのが叔父夫婦の親としての役目なのだろうと、舌を軽く喰みながら始は考える。けれど、は既に両親には期待していないと語っていた。
 あの鳳凰は天涯孤独の身だ、ならば、その結論は自身が考え、悩み抜いた末に導き出したものに他ならない。ただ親子だというだけで助言や仲立ちに入るのはそれを否定するような行為で、そんな事を、始はしたくなかった。
 続は、と考え、ふと過去の会話を思い出して咽喉で笑う。その振動がに伝わったのか、キスに対する反応が鈍り、唇が離れた。
「始、笑った?」
 瞳の中に快楽を融かし、熱を宿したままの顔が始を見上げる。
 もっと、気持ちのいい事しか考えられなくなるまで追い詰め、縋り付かせたい。それを与える相手は自分でなければならないと、腕の中のを見下ろし欲に塗れた思考のまま吐息を零してから、やや間を開けて正答だと言葉を返した。
「続さえいなければおれを見て貰えるかもしれないのに。家族として信頼しているが、男としては殺したいくらい憎い」
 が抱えていた茉理に対する感情をなぞるように呟くと、肩口に額を寄せながら、あまり気分のいい感情ではないだろうと返された。
「そうだな。だから、悪いが奪わせてもらう」
 こともなげに言い放つと細い体をベッドに押し倒し、色付いている唇を塞ぐ。
 同意も求めず踏み込まれた行為に抵抗されても言い包めるつもりだったが、は大人しくそれを受け入れた。キスを強請った時には既に、ここまで踏み込まれる覚悟で誘ったのだろう。未経験の、知識の上のものでしかなくても。
 確かに、への好意を利用されているなと考え、その罪悪感に付け入る自分も十分を利用していると、考えを被せる。
 舌を絡めながら薄い脇腹に触れると反射的に強張ったが、恐怖の色が蘇る様子はない。そして、拒絶の色も。
、抱かせてくれ」
 始はキスを中断し、言葉での確認を取る。
「愛しているから、を抱きたい。それ以外の理由は、おれには必要ない。がおれを拒まないのなら、何でもいい」
「そんなの」
「続を好きだというのなら、それでいい。青竜王とは違うと刷り込みたいだけだとしても構わない。それもこれも、全部奪い取ってやる」
 独占欲と嫉妬を曝け出し、服に手を掛けた始を、それでもは制止しない。元々、根底に青竜王への恐怖さえ存在していなければ、は泣くほど始を求め、変わりたがっていたのだから、拒絶する必要など何処にもないのだと始は一人納得した。
 弟の見せた言動が、従弟の見せる感情が、言葉では言い尽くせない沼のようなものに始を嵌めた。多分、これが今まで避け続けていた執着という存在だ。
 一度踏み込めば、引き返す事は出来ない。それでも。
「おれが受け止めてやる。だから、全部吐き出していいから、ここにおいで。
 避けていた優しい言葉も、情欲の中でなら恐怖を帯びない。それどころか、助けを求めるように伸ばされた手が、始の頬に触れる。
 抱いて、と、蚊の鳴くような、それでいて、強請るような声で誘ってきたに始は笑みを深めた。
「奪えるのなら、奪って」
「まるで、挑発されてるみたいだな」
「お願い、してるだけなのに」
「分かってる。いいんだな、?」
「うん。だって、おれが望んだ。一晩でいいから、始を頂戴って」
「一晩で終わらせるつもりはない」
 強い口調と視線に囚われ、それだけでの背筋に恐怖とは違う得体の知れないものが駆け上がる。
 耳元で名前を囁かれ、心地いい腕の中に閉じ込められたような錯覚をする。自分を愛しむように見下ろす目の前の男の姿が、逆に愛しい。
 はベッドの上に肘を付きながら上半身を持ち上げ、少しだけ目を伏せながら、自分の唇を始のそれと重ね合わせた。