微睡鳥の繭籠り
一通り話を終えると、は残っていたコーヒーを片付け無言で従兄弟を見つめた。
しばらく考え込んでいた始は、やがて顔をあげて、その後は処刑されたのかと尋ねる。
「うん。時間まで一人にして欲しいって頼んで、あとは普通に」
自分の頸動脈を軽く手刀で叩いたは腕の時計を見た。夜の時間を指している針が、相変わらず一秒ごとに動いている。
こうして全てを話すと他愛ない内容だったなと思い返し、その気持ちを否定した。
始がこうして受け止めてくれたからといって、始以外の誰かには話せるかと自問した結果からだ。
「獣の掟に従って生きること放棄したのに、なんで転生してるのかなって考えてみると……死んだ後に、竜王達の近くで生きたいって思ったのかなって」
「何故?」
「わかんない、死後の記憶はないんだ。記憶では、満足してって言うか、全部諦めて死んだはずなんだけど。ありがちだけど、愛されたいと思ったとか? 首だけになって、紅竜王の目見た時。烏滸がましいとか考えたのかは分からないけど……思っちゃったんだろうなあ。だからおれ、未練がましく続さんに執着してるのかな。嫌だな、おれは、人間なのに。前世がなかったら、始を好きになれたのかな」
コーヒーを追加で注文して、氷の溶けきった水を口に運ぶ。
の表情が、少し歪んだ。
「ごめん。ほんとになんで、おれは始を好きになれないの?」
「謝らなくていい。続が好きなら、それでいいんだ」
「始に、そう言って庇って貰いたいから、態と言ってるのに」
「それは光栄だ」
皮肉ではなく、正直な気持ちをそのまま、始は吐露した。
しかし、前世の全てを聞いてしまった以上、もっと素直に甘えればいいと言い受け止めるべきかどうかを悩んだ。
始たちも過去には、常軌を逸した自らの異能を受け入れられず思い悩んだことがある。
特に自己嫌悪が顕著に表れたのが続で、始は丁度、と同じ年の時に当時9歳の弟を未熟ながらも懸命に説得した。終と余も同様に、必ず対話をして、絶対に無視や無意味なはぐらかしなどしなかった。
そして弟たちに話し掛けると同時に、自分自身にも語りかけ、少しずつ積み重ねて、今日のような前向きな思考や良好な家族関係を作り上げることが出来た。
には、それがない。
以前、続が口にしていた内容を始は思い出した。自分たちが兄弟ではなくそれぞれ他人として生まれ、兄として始が存在しなかったら、きっと孤独に耐えられなかっただろうと。その仮定がより悪い形で起こった弟の姿が、今、目の前に存在していた。
の見る前世の夢が、平和ではなくとも、せめて始か茉理と身内同然の内容であれば、きっと抱え込む必要などなかっただろう。同い年の余の夢が前世として竜堂家に受け入れられていると知らなければ、心の負担は減っただろう。
マイペースに生きる従兄弟たちを見て自身もまた悲観的であってはならないと律し、前世の自分であるはずなのに鳳凰の価値観は人間からは遠く大きく異なっていて、全てをその両腕に抱え込んで、これで耐え切れる方がおかしいのだ。
いや、耐え切れてなどいない。は優等生の仮面の下で傷だらけになっている自分をどうする事も出来ず、ボロボロになって泣いていただろうと、始は自身の意見を訂正する。
誰にも言えず、簡単に折り合いを付けられないまま成長してしまい、自分を卑下する傾向にあるにとって、甘えろなど励ましにも何にもならない言葉だ。寧ろ、言葉だけではただの負担にしかならない。
それでも、せめて一時的にでもを安心させるように微笑を浮かべると、彼も笑う。
「なんか、始って、一緒にいて落ち着く」
「でも好きになってくれないんだろ?」
「そうやって、冗談っぽく言いながら内心かなり僻んでる所は、凄く好き。なんだか、始の心を独占してる感じがして。あの鳳凰はこんな考え持っていなかったから、これはおれ自身から生まれた感情なんだなって分かるのも、安心する……安心するけど、自分自身を肯定する為に始を、利用しているのが、嫌だ」
「利用して構わないよ。おれは、そんなに弱くはない」
「でも、嫌なんだ」
新たに運ばれたコーヒーを受け取りながらそう言った少年に、始が困ったような表情を浮かべて椅子に座り直した。
始からの恋心を拒絶し礼を尽くせないのに利用するだけして、という膨れ上がった罪悪感がを踏み留めている。愛していると言ってしまったのは間違いだったかもしれないと始は考えたが、ただの従兄弟の関係を保ったままではは前世の話など絶対にしなかっただろうと言い切れた。
重い沈黙が2人の間に流れる寸前、携帯のバイブ音がに応答するように訴え掛ける。
携帯の持ち主は暗い面持ちで相手を確認すると急に表情を変え、目に見えるメッキを仮面のように張り、しかし始と2人きりということを思い出したのか、すぐにそれを剥がして短い返信を打ち込む。
あまり良くない内容なのか、眉間に皺が寄っていた。
「どうした?」
「姉さんから。友達の家に泊まるみたい、元々、父さんと母さんは出張なんだ。終さんと余さんは野球見に行くから冷蔵庫の残り物で適当に作って3人で食べなさい、だって」
「ああ、そういえば試合を見に行くとか、そんな事を言っていたな」
「そうなんだ」
声も掛けられず置いていかれた寂しさと、心からの善意で整えられた状況から、の声のトーンが徐々に落ちていく。
そうして、飲みかけのコーヒーを勿体ぶって飲む子供らしい行動に始が苦笑した。
「そんなに嫌か?」
「気まずい事この上ないんですけど。終さんも言ってたけど、そろそろ続さん、我慢きかなくなって突っ込んだ会話持ち掛けてきそうな気がして」
「でも、いつまでも黙っておく訳にもいかないだろう」
急いては事を仕損じるが、チャンスを掴まないとそのままズルズルと悪い方向へ引きずられる可能性がある。それは、も理解している。
けれど、とにかく不安だった。何もかもが不安で仕方がなかった。
「怖いか?」
「うん……そう、怖い。おれ、怖いんだ。好きになって欲しい。でも、好いて貰える自信、ない。幻滅されて、捨てられたくない」
「そうか」
本来なら、始も手伝いたくはない。
けれど、目の前のは続に認められて、日常を偽らずに過ごせる恋人になりたいと思っている。恋人になって、演技をしなくても付き合いたいと、執着に似た心で思っている。
の思考は、心は、あくまで続で満たされている事は分かりきっていた。
「なら、手伝ってやる」
が想いを遂げれるのなら、それでいい。元々互いへの執着心が強いのだ。
自らの独占欲に対してそう言い訳をする始に、呆然とした声がかけられる。
「始、今、なんて……?」
「手伝うと言ったんだ」
「でも始、おれのこと好きって。なのに」
「好きだからだよ。辛そうなを見ているより、ずっといい」
無理して笑うと、すぐに嘘を見破ったが困った表情を浮かべた。
「おれ、どうしようもないね。自分の事ばっかり考えて、始が好いてくれてるのに、応えられない。始の気持ちとか、何も考えてない。始が好きって言ってくれてるのに断って、違う男の人の事、相談して」
「それでいいんだ。そうやって、おれにまで遠慮をするな」
涙を堪えるようにして笑ったの顔が年相応にあどけなくて、それだけでよかったと始は思えた。
の本質は、強がり過ぎた子供なのだ。
期待に沿うよう努力をし過ぎて、自分で自分を追い詰めて、繊細で、傷付きやすくて、脆くて、卑下して、周囲に合わせて大人振って、溜め込んだものを吐き出せず歪んでしまった子供。が告白をした日に見せた哀しげな笑顔はここから来ているものだと確信した。
「始」
席を立ったが軽く身を屈め、不意を付くようにキスをする。
一瞬、固まってしまった始に笑みを浮かべ、お礼だとコーヒーの味のする唇を舐めた。
「……誰も見ていなかっただろうな」
「大丈夫。人目を気にし過ぎるおれが保障するから」
少し赤くなってしまった顔を背かせて、始も席を立つ。
外は雲一つないようで、これなら少なくとも終と余はしばらく帰ってこないだろうと、微かに安堵した始はの後を追い歩き出した。