曖昧トルマリン

graytourmaline

微睡鳥の繭籠り

 物心付いた頃からずっと、鳥羽は不思議な夢を見ていた。
 従兄弟の余もどうやらその傾向にあるようだが、違っている事といえば、彼は自分の見た夢を一切誰にも、家族にも従兄弟にも、話した事がない。それくらいだ。
 それを見るのは不定期のはずだったが、近頃は毎晩、その夢を見るようになった。勿論それも誰にも言っていない。
 彼が口を噤むのには、理由があった。
、もうすぐ閉館だって」
「今行きます」
 図書室のカウンターで終わった宿題を眺めていたに話しかけてきたのは、今年共和学院中等科2年に一緒に進学した従兄弟の竜堂余だった。
「今日はどうする? 家来る?」
「ええ、皆帰りは遅いので。外泊の許可も貰ってきました」
 差し込む西日を遮るためにカーテンを引き、暗くなった図書室の電気を消す。
 司書の先生が愛想よく笑いながら内緒でくれた飴をそれぞれ口の中で転がし、閉館の札が掲げられる部屋を出た。
 途中、掲示板の前を通ると今朝発表された考査の成績上位者の名前が紅く浮かび上がっている。2人の祖父である司が健在だった時代にはなかった物で、の父である靖一郎が学院長の座に就いてから出来たものらしい。2人共、この手の掲示物には興味がないのだが、クラスメート達との話題作りの為に一応目を通してみた。
「凄いね、。また1番だ」
「余さんだって30位以内に入っているじゃないですか」
 お互い従兄弟の名前を探して、苦笑し合う。
 特に余は、の名前が最上位に記されている事が当たり前だと思っている節があり、事実、入学してからずっと、その座は不動のものとなっていた。
 は、考査では常に一番上に名前を書かれるくらいには成績優秀で、運動神経もいい。容姿も美少年の部類に入るだろう。背などは従兄弟の終よりも高く、なによりもその人当たりのいい性格が年齢や性別を問わず人気が高い。人によってはイイコちゃん過ぎて鼻に付くと言われるタイプだが、幸い、共和学院は学風からかおおらかな気質の生徒が多く、周囲の人間にそのような感想を抱く者は少なかった。
 本人曰く、学院長の息子だから甘やかしているだけだと謙遜しているようだが、年齢の近しい従兄弟達からは姉の茉理と同様にの方が父親よりも遥かに出来た人間だと口を揃え何度となく言われている。
「このままずっとトップにいるつもりなの?」
「ライバルになりそうな人が出てきたら考えます」
「じゃあ再来年、高等科に入るまで待ってみようかな」
 物静かに笑ったに、余も笑って返した。
って本当に何でも出来るよね、茉理ちゃんと一緒で」
「……そんな事ありませんよ」
 間を置いて濁った言葉に、余は何か悪い事を言ったのかと不安そうにを見上げたが、彼はまた笑って、おれも子供なのでまだまだ出来ない事は沢山あるんですと苦笑する。
 余はそれ以上追及せず、その掲示板の前から離れ別の話題を切り出す。
「そういえば。続兄さんとはどうなったの?」
 下駄箱まで来てそう問われ、靴を持った手が一瞬だけ止まった。
 数日前、竜堂家に遊びに来ていたに突然襲いかかった続の愛の告白。今、年少組の間ではその話題で持ち切りだった。
「どう、というと」
 しかし当人はその告白を思い出したくなかったのか、顔をあからさまに背けながら靴を履く。そうして逃げようとするに対し、余は容赦なく返事したのと尋ねた。
「……まだ、考え中です」
 言葉ではそう言うが、の中ではとっくの昔に答えは出ていた。ただ、別の考えが邪魔をして返事という形に出来ないでいるだけで。
 一つは、は文字通りのイイコちゃんである事だった。
 の根本にあるものは他者への疑心で、本来の性格は陰鬱だと自覚していた。人当たりの良さは本心からではなく取り繕っているだけに過ぎない。常に周囲を疑い、信頼出来ないからこそ、敵にならないよう耳障りのいい言葉で相手を騙し続けている。
 幼い頃からの習い性を母方の祖父母に一度だけやんわりと窘められた事があったが、2人は本人以外にそれを口にする事なく逝去してしまった。他にも幾人かの大人はが都合の良い子供像を模倣し演じている事に気付いているのだろうが、害はないので言及までされた事はない。
 両親や姉、従兄弟達にさえ、イイコちゃんをひたすら演じ続けていて、彼等は上手く騙されてくれている。
 続に、その自分を好きだと言われても、は上手く反応が返せない。君の仮面は素晴らしいと褒められているようで、嫌だった。
 そして、もう一つは。
は、男同士だと嫌?」
「いえ……性別よりも、生まれた時からずっと、従兄弟の続さんとして接していたので。身内から急に恋人として求められても、心の切り替えが」
「じゃあ、続兄さんの事は好きなんだ?」
 確認するように訊いてきた余に夕日に紛れた顔色でそうですよと頷く。
 もまた続の事が好きだった。従兄弟ではなく、人間として愛している方の、心と体の関係を持ち、ずっと傍に居たいと思うような、好きだった。気性が烈しく毒舌家と評されている続だったが、に対しては幼い頃から一貫して優しく、誰よりも愛情深く接していてくれていたからだ。
 それでも続を信じ切れないのには、理由がある。
「よかった! 続兄さんったらね、になかなか返事が貰えなからって拗ねてるんだ」
「ああ、続さん拗ねると酷いですからねえ。終さんは苛められていませんか?」
「苛められてるっていうより、続兄さんからかって返り討ちに合ってるって感じかな」
 余の言った通りの光景を思い浮かべ、は笑う。
「相変わらず仲がいいですね」
「お互い大人気ない気もするけどね」
「口喧嘩しない終さんと続さんなんて、何があったのかと逆に心配してしまいますよ」
「あはは、確かに」
 固いコンクリートの上を歩き出したの隣を余が歩く。
 口の中の飴玉は、いつの間にか溶けて消えていた。