clutch
まだ教室内には多くの生徒が残っており、話し掛けられた側があの竜堂続という事で立ち止まる人間が続出する。衆人環視と呼べるような状況でも、続は冷たく乾いた表情を浮かべ険のある声色で応対した。
「話ならここで結構です」
「あれ、本当にいいの? イトコの子の件なんだけど、中学生の方の」
何をとは言わず、2人きりにならないかと言外に告げながら上目遣いで続を見てくる。
その仕草だけで腹の底から嫌なものが込み上げてくるのが分かったが、流石にこれだけ大勢の人間がいる前で年下の女子生徒を突き飛ばす事も叶わず、好奇心ばかりが強い周囲の視線に晒されながら人目のつかない場所まで付いて行く。
今までも、このような事が無かった訳ではない。続自身が目当てか、金か、その両方か。いずれにしても、ただの従兄弟同士だと誤魔化せない場合は相手を再起不能にして大学にも来られないようにしてやった。
勿論、は知らない。わざわざ教えるような事でもないだろうというのが続の考えだった。嫌われるかもしれないという不安こそないが、あの心優しい子供は自分の所為で続が暴力を振るわなければならなかったと気に病むかもしれないだろうからと。
「この辺でいいかな?」
「どこでも構いません、それで何をネタにして強請るつもりですか」
「強請るなんて酷いなあ、ただ続先輩とデートしてみたいなって思っただけなのに」
鞄の中から写真の束が入っているような厚みの封筒を取り出す女子生徒に、続は気分を害された表情を浮かべた。呼び方が名字から名前になっていると気付いたのだ。
不愉快な気分のまま、けれど、それを世間一般では強請と呼ぶんです、とは言わず、殺気に似た冷たいものを放ちながら次の言葉を待つ。
「だって、続先輩の事が好きなんです。今まで彼氏なんてどうでもいいと思ってたけど、生まれて初めて男の人に興味持って、なんだか、最初で最後の気がしたんですよね」
「そう思うのは貴女の勝手です。用件はそれだけですか?」
それならば早々にその写真をネガごと破棄して、適当に口封じを済ませて帰ろうと一歩相手との距離を縮めた。
瞬間、女子生徒が不気味に笑う。狂人のような気配と、楽しそうな笑み。
「ネガ、ありませんから。デジカメのデータだからコピーも沢山取ってあって、というかそもそも、別に写真じゃなくてもいいんですよ。プリントして掲示板に張り出すとか。ああ、それと、私を傷付けたら従兄弟の子、鳥羽君だっけ、その子が危ない目に遭うかも?」
饒舌になった女子生徒が言葉にした内容を聞き終えない内に、続が殺気立つ。
今まで、を盾にしてまで続に言い寄ってくる人間はいなかった。現学院長と常任理事の一人息子、そして創立者の孫という肩書きもあって、続を直接脅迫するような小物とすら呼べない者では手が出し辛い相手でもあるのだろう。万が一、続が鳥羽家側に脅迫された事実を話し身元が割れれば退学処分では済まない、父親の靖一郎も長男で人当たりもいいの事は茉理以上に目を掛けている。
恐らく、学院の跡継ぎとして据え有力者の娘と政略結婚なんて如何にもな事を考えているのだろうが、勝手に息子の将来設計を立てる事そのものに罪はない。続に言わせれば、考えるのは自由、実行させなければいいのだ。
だが、そのリスクを問題としない、もしくは、リスクが存在する事すら考えられない人物が現れた。
「趣味仲間に大学生の先輩がいてね。他校の人なんだけど、結構ヤバいドラッグとか知ってる人で、君の事が好きなんだって。丁度よかったから、今日、中等科で保護者会ありますよって教えてあげたんだ。保護者会が嘘じゃないの、続先輩なら知ってますよね」
「ええ」
「あ、ちなみに先輩の弟の余君? あの子、君の傍にはいませんよ。君、きっと受け取ったラブレターの返事する為に一人で行動してますから」
それは三流以下の策だが、続には効果的だった。
中等科の保護者会は事実だ。余がこの女子生徒の策で共にいないのも、多分本当だろう。そうなると、に及ぶ危険は想像に難くない。
には、続達のように特殊な力は微塵もない。まだ、精神的にも肉体的にも周囲の大人に保護され、依存しなければ生きていけない、普通の少年だ。恋人である続でもまだ許されていないというのに、知らない男に組み敷かれては、きっと壊れてしまう。
「では貴女の口から計画を取り止めさせるまでです」
また一歩、続が距離を縮め、女子生徒は笑みを深める。
「別にいいよ、もうすぐココ、人が来るように仕向けたし。誰かに見られたら続先輩現行犯だもんね。しかも、従兄弟同士でキスしてる画像のビラが中等科にバラ撒かれたら、君は生きていけるのかな」
続自身だけでも許し難いのに、の学校生活まで壊すつもりだと発言した女子生徒に、切れそうになった堪忍袋の緒を必死で繋ぎ止める。
まだ、中等科に潜入しているであろう不審者の情報がない。気絶させ、場所を移してから情報を引き摺り出せばと駆け出そうとする直前、女子生徒は更に畳み掛けた。
「それに君も実の父親とかには知られたくないと思うよ」
「学院長に言うつもりですか?」
「それは続先輩の行動次第だなあ」
相変わらず狂気じみた笑みを浮かべたままの女子生徒は、今切れるカードはこれだけだと明かし、続の反応を待った。
続としては、との関係が叔母夫婦に露見する事に関しては問題にしていない。元々、いつかは言うつもりであり、その際、叔父からは絶対に認めない今すぐ別れろと怒鳴られるだろうとは予想しているが、それだけだ。続は勿論、も根は頑固だから親に反対された程度では絶対に引かない。叔母はきっと、既に薄々勘付いているだろうから端から問題にはならない。
問題は、父親『とか』の部分だった。の同級生もまずいが、それ以上に危険なのが父親の取引相手だ。靖一郎だって、何も悪名高い代議士とばかり付き合っている訳ではない。
祖父の頃から付き合いのある大切な人だって多くいる。学校として真っ当に取引する企業とも少なくない付き合いがあるだろう。もしもそこに、たとえ被害者の立場であろうと息子の不祥事が起これば、被害者に厳しいこの国の現状から、想像するのは簡単だった。
今は亡き祖父の顔にも泥を塗る事になる。
そしてなによりも、がそれを望まないから、ただそれだけだ。
だから。
「で、続先輩。返答は?」
「……土曜日を空けてください、場所と時間は後で連絡します」
「了解です。じゃあ電話しますね。もしもし、わたしだけど、ちょっとミスってね、お兄さんそっちに行ったよ。うん、そう、恋人の。今すぐ逃げた方がいいかも? じゃあね」
今の、あのを失いたくなかったから、そう心に言い訳をした。