clutch
生まれた頃からずっとそこに存在する強い柱なのだと、じっと続の横顔を眺め、全てが理想的な曲線で描かれた最上級の顔を食い入るように見つめる。女性が騒ぐだけあって掛け値なく美しい、にとっても特別な顔だ。
尤も、続がこの容貌でなかったとしても惹かれていただろうなと、ゆっくりと視線を逸しながら水槽を見つめる。水の中には清流に棲む川魚が群れをなして静かに泳いでいた。
「あれ、竜堂先輩だ」
光源に反射して輝く鱗に見惚れていると、突如外部から指向性の音が入り、世界が崩壊する。そして、耳に入った声色にの中でスイッチが切り替わった。
「こんにちは。先輩もこういう所に来るんですね」
続に声を掛ける人間にしては珍しい、媚びた様子のない口調で歩み寄ってきた女性。飾り気のないラフな服装に首から下げられたデジカメを見るに、この水族館で生き物の写真を撮るのが当初の目的だったようだ。
愛嬌のある顔に親しみやすさを感じさせる落ち着いた声、とてつもない美女ではないが、明るい性格が滲み出しているのか異性も同性も話し掛けやすい雰囲気がある。
ただ、その目に宿した感情だけは例に漏れず、という訳で、自分に向けられたものを正確に感じ取った続は隠す事なく不機嫌そうな声色で、臆する事なく事実を相手に突き付けた。
「申し訳ありませんが、貴女は何処の、どちら様でしょうか。今は彼とデート中なので、邪魔しないでいただきたいのですが」
「ゴメンなさい。用が済んだらすぐ行きますから」
剥き出しの敵意を真正面に受けながら悪びれなく女性が笑い、続の表情と気配に不快感が滲み出る。何故こうも続に恋をする女性は恋愛に対して敏感かつ鈍感なのだろうと他人事のようには溜息を吐いた。勿論、自身が色事に関しては奥手で鈍感なのは承知の上で。
「ぼくは貴方に用なんてありませんが」
「まあまあ、そんな事言わないでください」
人懐っこく笑う表情に対して、続は分かりやすく眉を顰めながらの肩を抱いて自分の影に半身を隠す。
「続の苦手なタイプの異性って、案外多いんですよね」
その広い背に庇われながら、誰にも聞こえないようにはそっと囁いて、不快感に歪んでも尚美しい恋人の顔を見上げた。
従弟としては勿論、恋人として当然、助け船を出すべきだと遅い結論を出し、甘えた表情を浮かべながら誰から見ても分かるように続の腕を強く引く。
「いいじゃないですか。ね?」
「ですから」
「続。ぼく、ペンギンが見たいな」
少し幼い口調で思ってもみない事を口にすると、明らかに室内の温度が一瞬下がった。
続に庇われていなかったら回れ右をして撤退したい気持ちに素直に従っていただろうとは小心者と自己判断する。このような所は、竜堂家の血よりも鳥羽家の血が濃く出ていると自覚しながら。
「ねえ、早く行こうよ」
「ちょっと君、今、お姉さん達は大事な話を」
「ペンギンですか、それなら道路を挟んだ本園の方へ移動しないといけませんね。ああ、それでは失礼します」
別れの挨拶も適当に済ませ、続はの手を取り水槽が並んだ廊下を大股で歩き出した。
残された女性が追い縋ってくる気配はないのだが、あからさまな殺気がの背中を刺しながら這い回る。幻覚では片付けられない濁った気配からも守るように続の腕が小さく薄い背を撫でて、抱き寄せた。
出入り口を抜け、本園の方向とは逆方向に速度を緩めないまま歩き、人気のない場所までを連れ出した続が、ようやく足を止め口を開く。
「ありがとうございます、助かりました。ああいう女性は未だに上手く扱えないんですよ、何を考えているのか分からなくて」
「続の事だけを考えていたと思いますよ」
食い気味に出たの言葉に、続は一瞬絶句した後でその言葉に含まれたものを理解したのか、少し嬉しそうに形のいい顎を摘んだ。
「君」
「何ですか」
「嫉妬してくれているんですか?」
「してはいけないんですか」
丁寧でありながら素直で、真っ赤になって、拗ねたような口調。
たったそれだけの言動に緩んでしまう口許を必死に押さえ、続は照れ隠しのように小さな体を背後から抱き締める。
「してください」
は赤い顔のまま顎を上げて、弛緩仕切った続の表情を確認した。
こんな表情を見せるのはきっと自分と、惚気を聞かされる従兄達くらいだと知って、申し訳ないような、それでも嬉しいような気持ちで一杯になる。
「でも、毎回させると、ぼくだっていつか怒りますからね。胃に穴が開いて吐血したら続の所為だと思ってください」
「ぼくが君以外の人間に靡くと思いますか?」
「……自惚れますよ?」
頬を染めていた赤を耳や首筋にまで広げ、おずおずと上目使いをしてくる少年に、どうぞ存分にと続は返した。
熱を持ったの指先が続の腕に触れると、身内以外には見せない微笑に強い恋心を混ぜながら幼い少年が強請る。
「じゃあ、キスしてください」
「お安い御用です」
人目を忍んで木陰に身を寄せながら、柔らかい唇をやんわりとなぞり啄むようなキスをしていった。はまだ中学生だからと自分自身の欲望に言い聞かせながら与える、遠慮がちなキスを、それでも何度も。
そして2人は、葉擦れと小鳥の囀りに隠れた電子音に気付く事はなかった。