曖昧トルマリン

graytourmaline

clutch

 続は、恋人が何が好きで、何を苦手としているかを知っているつもりだ。
 だからデートに誘っても人の多い場所には連れて行かない。人混みが得意ではない体質のは続が一緒ならば人酔いしないから大丈夫だと主張するが、それでも誘う側として天候や気温が外出に不適当な日を選び、快晴の日は比較的人混みとは離れた場所で他愛もない会話をしながら、まるでごっこ遊びのようなデートをする。
 それでもが喜んでくれるのならば続は幸せだったし、不満を感じた事は一度もない。
 だから、水族館に行ってみたいと口にしたに、少しばかり面を食らった。目的としていた施設に連れられて来た結果としては、十分納得出来たが。
「一度じっくり見てみたかったんです、ヒキガエル」
 自然を模した水槽の中で鏡餅状に重なっている茶色の蛙を熱心に眺めているに、続は苦笑にも似た微笑を漏らしながら一体何が琴線に触れたのかと返した。曰く、最近読んだ小説にヒキガエルに似た容姿の登場人物が出てきたから、らしい。
 淡水の水生生物を展示する小さな水族館は人も疎らで、来場者も小さな子供の家族連れが目立つ。は中学生だが自分達もその一組に数えられているのだろうかと続は一瞬だけ考えたが、周囲の来場者達は皆、水槽の中の生き物や水槽に夢中の子供に見入っており従兄弟で恋人の2人など誰も気に留めていなかった。
 自意識過剰ではなく、その容貌から出歩く度に無遠慮な視線に晒されている続は、ゆっくりと心地良さそうに息をつく。の視線や興味が蛙に向かっているのが若干寂しいが、と思っている所に、申し訳なさそうな目で恋人が見上げて来た。
「続。ごめんなさい、デートなのに」
 珍しくもない蛙に夢中になり、恋人を放置していた事に気付いたのだろう。元々、出かける前の時点で余に注意を受けていた事もあり、は標準サイズの体を小さくさせて謝罪する。それでなくても男同士で義務教育すら終えていない年齢差から、普通の恋人がするようなデートも殆ど出来ないのに、という意味が言外に含まれている事も続は悟った。
 性別も年齢も、惚れてしまった以上は周囲を気にするべきではない事だと自身も理解しているのだろう。それでも、物心付く前から接していた従兄弟達の異能とは違い、同性の続と恋人として付き合い始めたのは中学に上がってからと日が浅い事が、ずっと心の隅に巣食っているようだった。
 そういう意味でも、続は恋人として付き合う事を期に兄さんという敬称を止めさせたかったのだが、頑として家の中では兄さんなのだとは譲ろうとしない。何故か外で呼ぶ事はすんなり許諾したのだが。
 そういう所は竜堂家の血だと緩く笑い、続は軽く腕を曲げれば届く柔らかく癖のない髪を撫でて今の気持ちを表した。
「蛙を観察している君を見ているだけでも、結構楽しいですよ」
「そうですか?」
「ええ。美術館に行くと展示品ではなく、ぼくの顔ばかり見ている君と同じで」
「……気付かれてたんだ」
 顔を赤くして逸したは逃げ道を探すように視線を漂わせ、照れ隠しも含めるつもりなのか続のシャツの裾を掴んで隣に立つ。
 そうすれば長身の恋人が見るのは旋毛だけで表情が見えないだろうと思っての行動だったが、水槽のガラス越しに表情がはっきりと映っている事には気付いていないようだった。勿論、続がそれを指摘する事はない。
「そういえば、何故ぼくの顔ばかり見ているのか訊いた事はありませんでしたよね」
 誤魔化されているふりをして続が問いかけると、何やら口の中で呟いてから、小動物に似た瞳がゆっくりと続を見上げた。
「だって、そういう時じゃないと……続の横顔が」
 再び逸らされた視線と放たれた言葉に対し、溜息を吐かなかった自分自身を褒めたいと続は強く思った。
 が視界の内にいる時は必ず顔を向けている自覚は、確かに彼にはあった。話しかける時は勿論、黙って何かをしている時も大抵直ぐに気が付きに向かってまずは視線で語りかけるよう心掛けている。
 その行動がかえって害に、いや、害ではないのだが、年相応で控えめな独占欲からこのような行動を起こすきっかけとなっていたとはと手で口元を覆う。
 がガラスの反射に気付き表情を読み取る前に動くべきだとは思っていたが、立ち尽くす程の嬉しさが込み上げ、次の行動に移せない。
「続?」
「大丈夫ですよ。少し、いえ、大分可愛らしい事を言われたので」
 言葉が出なかったんですよ、と瞳で語り、誰も見ていない隙を見計らって額に触れるだけのキスを落とす。も恥ずかしがりはしたが、それがまるで神聖な儀式であるかのように細くて頼りない腕を続に回し、互いに何か優しいものがゆっくりと浸透していくのを微かに感じながら何も言わずに笑った。
 続が屈めていた身を起こすとも名残惜しそうに腕を離し、少し躊躇してから指を絡ませるようにして手を繋ぐ。他人に対してのアピールではなく、そうしたいという自身の欲求から来た行動だと続はすぐに分かった。
「蛙はもういいんですか?」
「はい。でも、その代わり、後で向かいの彫刻を見に行ってもいいですか」
「そういう強かな君も好きですよ」
 の心情を知ってしまった以上、果たしてまともに横顔を見せる事が出来るのだろうかと続は考えたが、成るように成れとこちらも開き直りをみせ、恋人繋ぎのまま水槽の前を歩き出したのだった。