摩天楼のドラゴン〈Ⅱ〉
「始兄貴、姉貴が見るからにヤバいから帰ろうぜ」
「そうだな。だがタクシーはまずい、どうやって家に帰るか」
全裸の次男と、全身の大半が未だ真珠色に発光している長女をタクシーに押し込むわけにも行かず始が考えあぐねていると、を支えながら遠方を警戒していた余が声を上げる。
「始兄さん! 自衛隊が突っ込んでくるよ!」
「なんだと?」
「丁度良いじゃん。服一式と車、貸して貰おうぜ」
「……いえ、あれは自衛隊ではないようですよ」
消耗していると全裸の続を背に回し、盾になった兄弟達は武装した人影の姿や服装を確認して、その猛烈な違和感に視線だけで会話をする。
緑のベレー帽に迷彩服と自動小銃、ここまではいい。しかし彼等の前に立ちはだかった男達は青い目に白い肌をしていた。その数はおよそ姉弟達の10倍もの人数に上り、その目には友好的な色は一切なく、むしろ敵意すら感じる程だった。
「自衛隊は、いつからプロ野球チームみたいに外人さんを傭うようになったんだ?」
「外貨準備高が世界一になった辺りからでしょう」
「出稼ぎの外国人には親切にしてやりたいが、どうも、今回は例外みたいだな」
「どうする、兄貴。何かさ、こう、凄く嫌な目付きでおれ達を見てるぜ」
終の指摘通り、彼等は姉弟達の一挙手一投足を監視している。
始は指先で顎を摘み考える。答えはすぐに出た。
「派手にやっていいぞ、終」
「ほんと!?」
「構わん。こんなところにアメリカ軍がいる訳はない。どんな合法的な理由に照らしても、有り得ない。こいつ等は存在しないんだ。おれ達の幻影さ。だから何をやってもいいぞ」
双子の姉に負けず劣らずの暴論を超展開した始から許しを得た終は、満面の笑みを浮かべて両手を打ち鳴らす。
その音が合図だったかのように周囲のアメリカ兵らしき男達が一斉に銃を構えた。そして彼等が引き金を絞るよりも早く、終はある兵士に目を付けて距離を詰める。膝を蹴り砕き、顎を割り、止めとばかりに宙へ放り投げてすぐ上の兄の前に着地させた。
「続兄貴! 服届けてやったからな!」
「今回ばかりは感謝しますよ」
「余、姉さんの近くにいてやってくれ。あの状態では動けないだろうから」
「分かった!」
乱闘が始まった。始や終の拳と脚が唸りを上げてアメリカ兵達を脆い紙細工のように薙ぎ倒す。後方で待機した余の背後から服を着た続も参戦を試みて、広大な埋立地はあっという間に敗者と負傷者の展示場と化した。
唯一待機を命令された余もに被害が及ばないよう気を配りながら周囲を確認する。この騒ぎを聞きつけて警察が来るかと思いきや、それらしい姿はない。それどころか周囲のビル群に明かりすらなく、人の気配というものがまるでなかった。四人姉妹が日本側の介入を嫌い、アメリカ軍の行動を妨げるなと厳命しているのは確実だった。
突如、一発の銃声が遠くから響き、の身体が大きく跳ねる。
「姉さん!」
狙撃だと理解した余がに覆い被さろうとするが、それよりも速く銃声が重なった。更にの身体が跳ね、狙撃を受けた事を遅れて知った全員がの近くに寄ろうとする。しかし、その足はすぐに止まった。
「……痛いんだけど?」
地を這うような声を出しながらがゆっくりと立ち上がり、真新しい真珠色の鱗を浮かべる皮膚を晒しながらある方向を見据える。黒竜の鱗と同じ色の瞳が闇とビル郡に紛れる狙撃手を睥睨し、地獄から召喚された悪魔さながらの圧倒的な気配を背負っていた。
が怒っている。
弟達は襲いかかる敵を倒しながらも視線を交わし、出来るだけ彼女と視線を合わせないよう努めた。彼等にとっては50名で構成された殺気立つプロフェッショナルのアメリカ兵よりも、静かに怒れる長姉1人の方が余程怖いのだ。
夏の夜気がもう無理ですとでも言いたげに歪み、空気が逃げ場を探して右往左往する。温度計があれば即座に辞表を提出するレベルである。
不自然にならないよう姉から距離を取った終が、襲いかかってきた相手を片手で放り投げながら続に向かって小声で呟いた。
「兄貴、これヤバい方のやつだろ」
「ええ、間違いなく」
続は落ち着いた声で応じつつ飛んできた銃床をさりげなく受け流し、ついでにそのまま持ち主の意識も流した。流される側は大体納得していない顔をしているが、誰もその異議申し立てを受理しない。始はというと余を姉という名の爆弾から引き剥がし、相変わらず無言で丁寧に無力化している。しかし丁寧というのは決して優しいという意味ではない。
空気の読めないアメリカ兵が1名、無謀にもへ突撃し、一瞬で制圧された。の関節の可動域に対する深い知識と理解、それをお前で試してやろうかという純粋な八つ当たりが混ざった、いわば怒りの職人芸である。
それでも女相手ならばと立て続けに襲いかかった軍人達をは感情のままに荒っぽく返り討ちにした。そんな姉の姿を見た年少組は内心で手を合わせる。誰に向けてかは分からないが、取り敢えずご愁傷様ですという意思だけははっきりしている。
「どうしますか、兄さん」
「……アメリカ軍の皆様に犠牲になっていただく事にしよう」
いくら家長であっても怒れる双子の姉は怖いのだ。怪獣大決戦さながらの戦術の披露を終えて疲労困憊の状態で休んでいるところにちょっかいをかけられて不機嫌になったを正面から相手取りたくないと告げる長兄を弟達は誰も責めなかった。触らぬ神に祟りなし、四海竜王だって怖いものは怖いのだ。
そんな心温まる会話の最中にも、遠方から再び銃声が響く。しかし、今度は目標到達前に弾丸が止まった。
「ふうん、1人ね」
ライフルの弾丸を手の平で弾いたは3回に渡る狙撃で相手の位置を把握したらしい。その声は静かで、低くて、やけに事務的だった。怒りのピークを越えた人間がよくやる、逆に冷静になる状態に彼女はなっている。
弟達の背筋に、見えない冷水が流れる。
闇夜の中での視線が向けられた瞬間、遠くのビルの影で何かが慌ただしく動いた。スナイパーとして正しい判断から逃げようとしているのか、まだやれると照準を修正しようとしているのか、それとも単純に無理だこれと悟ったのか。
「わたしはね、正気じゃない愚弟を正気じゃない方法で鎮めてね、疲れてるのよ」
おもむろに子供の頭程の大きさをしたコンクリートの破片を掴んだの、あまりにも軽い一言と共に、彼女の強肩が唸る。
次の瞬間、遠くのビルの一角が抉れた。風圧が届く。
遠方のビルの一角で何かが派手に壊れる音がする。遅れて誰かの悲鳴。更に遅れて、別の誰かが今のは聞いてないとでも言いたげに静かになる気配と爆発。のささやかな攻撃の余波で手持ちの何かが暴発したのか、爆風は余の髪を揺らし、終が今まさに蹴り飛ばそうとしていた相手ごと数メートル横にずれた。
「姉貴!? 今の雑すぎないか!?」
「静かにしろ終。今、姉さんが丁寧に仕事してるところだ」
「どこが丁寧だよ!」
始が冷静に突っ込みを無視しながら、目の前の男の腹に拳をめり込ませる。男は綺麗な弧を描いて飛び、剥き出しの地面に激突した。地面は今日はもう仕事しませんとでも言うように軽く沈み、砂埃が舞った。人間が有り得ない高さを飛んでいく度に地面がへこむのだから労災申請くらいは通りそうなものだが、誰も書類を書いている暇はない。
終は蹴りのフォームのまま数秒固まり、やがてゆっくりと足を下ろした。
「……いや、やっぱ雑だろ今のは。丁寧って単語、どっかに置いてきた?」
「きっと主観の問題だよ、終兄さん」
「姉さんにとっては必要最小限の力で対象を排除する方法を丁寧と呼ぶんです」
「最小限の概念がデカすぎるんだよ」
始は弟達の会話を聞きながら内心で静かに頷いた。確かにの最小限は大体建物一棟分くらいのスケール感である。単位が人間じゃなくて都市計画寄りなのだ。仕方ない、育ちの問題であった、主に環境の。
一方、その丁寧な仕事の当人は、既に最終作業工程に入っていた。
最後の1人になった指揮者の将校を関節技で締め上げたは、他に配置した人員がいないかを吐かせている。英語能力が一般学生並の終と余は理解出来ない様子だったが、始と続は敵がもういない事を理解して次のフェーズに移ることにした。
見た所、排除対象がいなくなりの怒りも先程と比較すれば収まっているようだ。この機を逃す手はない。
続は年少組にアメリカ兵の軍服とヘルメットを着せ、始は軍用ジープに乗り込む。年長組の動きを見たも将校がそれ以上何か言う前に顎先を綺麗に打ち抜いた。
脳を揺らされた指揮者はそのまま意識を失い、ぐったりと地面に倒れ込む。それを確認した始は周囲の気配を探るように周囲を見回した後で小さく息を吐いた。どうやらこれで、本当に全部らしい。
「よし、じゃあ帰るか」
年長組の3人も手早く軍服を重ね着するとヘルメットを目深に被り、包囲網のように周囲を固めていた自衛隊や機動隊の前を堂々と通り抜けて帰路へと着く。
8月3日の東京の夜は、こうして慌ただしく幕を下ろしたのだった。