曖昧トルマリン

graytourmaline

夏休みはおとなしく

 とんがり塔のお城の壁面に設置された関係者用の出入り口から何食わぬ顔で姿を現した3人の男女を目にした幾人か来園者は、ゲストが何故あそこから出てくるのだろうと軽く首を傾げつつも非日常の感覚に身を任せ深い疑念を抱かないまま人波に飲まれて消える。夜が滑るように空を覆う時間を前にして、多くの人々は美しい顔立ちの3人の姉弟など眼中にないようで無邪気な笑顔を湛えながらメインストリートの方向へと足を向けていた。
 夜間パレードの時間が迫っている事を浮足立った周囲の環境から推察したは少しだけ残念そうな気配を滲ませた弟達の頭を指先で軽く撫でてから、西の空に追い遣られたオレンジ色を背にして歩き出す。
 幅広い人河の縁をなぞるようにして流れとは逆方向に進む足の運びに迷いは見られない。既に目的地を決めている足取りの理由は、彼女の右手に握られた黒い武骨な端末から時折聞こえる音にあった。
『マルBは鉄橋通過後に地上へ移動、船上からではマル追困難、どうぞ』
『こち……メリ、ゴ……ド前、マル……見。現…………』
『メリーゴーラウンド前での制圧失敗、マルBは隣接の店に侵入のち姿見せず。東で動ける班、現急』
 ゴシックハウスで対面した襲撃者から奪取したデジタル無線の端末は今まさに起こっている出来事をに告げ、年長組のおおよその位置を逐次教えていた。
 左腕に軽い切り傷を負ったハードボイルド気取りが快く吐き出した諸々の情報を整理しながら歩いていると、背後に並ぶ年少組が音声を拾い上げ口を開く。
「兄さん達、そんなに動いてないといいね」
「いざとなったら潔く諦めてジェットコースターの上から兄貴達を探すか、逆に見付けて貰うかすればいいさ。そこなら追っ手も気軽には来れないだろ」
「良案ね、そこなら障害物も多くて狙撃も回避出来るから。でも多分必要ないわ。アドベンチャー・トレインが通る橋は園の端の方で、メリーゴーランドが経由地点なら十中八九この先で擦れ違うでしょうから」
「あれ、これ以上迷惑かけるなって反対しねえの?」
「0と1には大きな差があるけど1と2はほぼ一緒でしょう」
 ゴシックハウス内では避けられたが、とんがり塔のお城の地下での迎撃中に年少組が配電設備を破壊してしまったのでジェットコースターが機能停止しても被害に大きな違いなどないだろうと加害者側の理屈で開き直っているは、最初から園側の被害など考慮していない弟達を先導しながら今後の予定を口にする。
「それにしても襲撃場所が地下だった事が幸いしたわね。わたし達もまだ発見されていないから今の内に合流しましょう、全員揃ったらわたしは先に離脱して車の確認するから説明頼んだわよ」
「ねえ、終兄さん。姉さんって頼りになるね」
「こういう時だけな」
「あら、終は優しい子なのね。普段は不甲斐ない姉に代わって夏休み中の家事の一切を快く引き受けてくれる宣言かしら?」
「常日頃から深い信頼と感謝をしておりますオネーサマ」
 餓死しないための必要最低限の家事能力は有しているが、ひやむぎか素麺か卵かけご飯の三択のようで実質二択のレパートリーしか持たない終は、昨日受け取ったばかりの通知表で客観的にも正しく数値化された家庭科能力を真摯に受け止め即座に謝罪した。
 彼の胃袋は食材差別を行わない平等主義者なのだが、舌の方は上記のローテーションで満足出来る程聞き分けがよくなかった。そのような貧しい食生活に加えてほぼ男所帯の家族5人分の水仕事に掃除、庭の手入れに役所への諸々の申告と重なって捌き切れる自信など彼にはない。
 よく考えなくても家事と夜の仕事とを両立させて遊ぶ時間まで作り出している姉は竜の血とは別の意味で超人なのではなかろうか、そのような今更過ぎる疑問が終の脳裏を駆け巡ったが、残念ながら先に別の声に遮られ音声に辿り着く事はなかった。
「……アイツ目印としては優秀よねえ」
「姉さん、始兄さん達を見付けたの?」
「ええ、向こうも気付いたみたい。追手は、まだ大丈夫そうね。残念だけどジェットコースターの裏際を徒歩で巡るツアーは次の機会になさい」
「うん。今回はゴシックハウスとお城の裏側が見られたから満足してるよ」
 言葉とは裏腹に遠くから聞こえる夜間パレードの音楽に後ろ髪を引かれているような余を見下ろしたは慰めの言葉を口にしようとして、背後から聞こえた花火と瀑布を掛け合わせたような轟音と皮膚を強か叩くような熱風に舌を止める。
 3人揃って同じタイミングで振り返ると先程までいたとんがり塔のお城が見事な火柱に変化しており、続いた下腹部を打つような爆音と共に窓や壁が爆ぜ城全体が炎に包まれた。赤い雪の結晶にも見える破片を浴びた不運な来園者達は悲鳴を上げながら蹲り、逃げる者と救助を行おうとする者で園全体が混乱の渦に呑まれる。
 段違いの非日常が齎した混乱にも動じない2つの影が、急速に勢いを増し統制を失った人の流れに乗って達に近付いたかと思うと、大きな手が末っ子の頭に乗り、白い手は三男坊の肩を叩いた。
「余、怪我はないか?」
「大丈夫、皆無事だよ」
「まったく、一体何をしでかしたんですか終君」
「姉弟愛を確かめる感動の再会早々なんで名指しで責めるんだよ」
「余君は暴れるにしても君より大人しいでしょうから」
「姉貴は?」
「この人は悪辣ですから中途半端な真似はしません。やると決めたからには敷地全てを火の海にしています」
 兄弟達が合流したので当初の予定通り離脱しようとしたは踵に込めていた力を抜き、出口へ向かおうとする一団の左翼を守りながら反対側に位置する弟へ抗議を行う。
「一気に燃やすだけ情けも容赦も十分じゃなくて? アンタは敷地の境界沿いにだけ火を放つでしょうから」
「姉さんの想像力はぼくが及ばないくらい負の方向に豊かですね。その発想が口に出る時点で性根が炭化している事を自覚なさっては如何ですか」
「そうやって正しい想像力ばかり働かせているから、いざという時に対策もないまま立ち向かう破目になると理解していて?」
 炎と夏の夜に煽られ膨張する熱気すら急冷され積乱雲が発生しそうな会話を聞いていた殿の始は、仲が悪いのは仕方ないがせめて年少組のいない場所で口論してくれないものだろうかと黙って空の遠くを見る。
 その先に幾つかの赤いライトを纏った飛行船の船尾が見え、ふと夕方前に一度浮かんだ疑念が靄のように思考を漂い始めた。けれどそれが声という形になる前に双子の姉から名前を呼ばたので、確信がある訳でもないしと空から地上へと視線を戻す。
「わたしは離脱して車の安全を確保しておくから、後で全員揃っていらっしゃい。それと、これも渡しておくわ、襲撃者が使ってる無線の端末」
「便利な道具を持っていた割に合流が遅かったですね」
「本当に続って減らず口の揚げ足取りばっかり。監視を避けて地下移動してたから多少遅くなっても大目に見なさいよ。他の情報は移動がてらこの子達に聞いて頂戴、それじゃあ左側の警戒よろしくね」
 やっと合流出来たのだから離脱より一緒に行動した方がいいのではないか、そもそもこの混雑でどのように離脱するつもりなのか。瞬時に脳を駆け巡った提案と疑問もまた声になる事はなく、は誰からの返答も聞かないまま一方的に捲し立てるとプロのマジシャンよりも鮮やかに姿を消した。
 隣にいた続や余、先導していた終には実質そのように感じただろうが、後方を走っていた始の動体視力だけは暗がりの中の変化に追い付けたようで、前触れもなくトラツグミに変身して空へ舞い上がったを若干心配そうな視線で追っている。
 変身能力を有していると昔から何度も伝えており、つい数ヶ月前には竜にだって変身したというのに何故そのような表情をするのかと翼を広げたは鳥化していない頭で暫く訝しんだが、双子の弟の生物の成績は芳しくなかったと思い至り下らない事に時間を割いたと呆れがちに駐車場へ向かって羽ばたいた。
 夜盲症の事を鳥目というが、実際に夜間に視界が得られず行動不能に陥る鳥はニワトリ等のごく一部の鳥類に限られている事を始は知らないのだろう。ヨタカにでも変身すれば困惑されなかったかもしれないと考えるも始がその2種を見分けられるかは非常に怪しく、そもそも渡り鳥の存在にすら考えが及ばない始が悪いのであって自分に非はないと夜風に乗りながらは開き直った。
 それよりももっと優先しなければならない事があるだろうと気持ちを切り替え、人波を飛び越えて1分もかからず到着した駐車場で見慣れた自家用車の屋根の上を数度旋回する。車体周辺に怪しい影が潜んでいないか念入りに確認してから地上へ降りて、そのまま車体の下まで潜り込み無機質な車の腹を見上げた。
 に端末を譲った襲撃者は2本もある腕が半分になるのが余程嫌だったのか情報提供に大変協力的で、竜堂家の車にGPS発信機を仕掛けたと場所と形状まで懇切丁寧に説明をしてくれていた。元々大量の盗聴器を難なく発見した経験があり、また竜堂家はその手の捜索が得意な家系らしく、数秒もしない内にトラツグミの目はリアバンパーの裏に仕掛けられた黒く四角い物質を見付けた。
 流石に鳥類のままでは剥がすだけで苦労するのは目に見えているので元の姿に戻り、走行に不要な部品を人間の手で毟ってから再度鳥に変身して車から飛び出ると、また人の姿に戻り車のエンジンをかけ車外で待機する。
 持て余した暇を潰すためタイヤをハの字に改造している隣のカスタムカーに発信機を譲り渡して一方的に満足していると、大小4つ、正確には2人分の頭の影が世界選手権のメダリストを遥かに上回る速度で接近して来る様子が見て取れた。
 息は乱れていないが暑気にうっすらと汗をかいている弟達の顔をはっきりと確認すると、は運転席の扉を開けて車から離れる。
「2人から聞いた?」
「事のあらまし程度ならな。発信機は?」
「処理したわ。先に帰ってなさい、晩御飯は適当に済ませて」
 大炎上するお伽噺のお城を背景に再集合した竜堂家の一同は長子2人が最低限の確認だけ行うと姉を残して車に乗り込み、まだ混み合っていない駐車場を脱出する。
 見慣れたテールランプが道路に流れる光の渦に飲まれる寸前まで見届けたは、半身で強いオレンジ色の光を受け止めながら数える程度の星しか見られない夏の夜空を見上げた。夜よりも黒く澄んだ視線の先では夕刻から同じ航路で空の中を回遊している赤い人口灯がゆっくりと点滅を繰り返しており、他の航空機に対して自身の位置を知らせている。
 双子の長子を除いて未成年の一家には大人気なくハードボイルド気取りで襲撃する癖に航空法は律儀に守っている辺りが如何にも小物の倫理観だと溢し、一際大きな破裂音を合図として地を蹴ると、トラツグミよりも大きな翼が熱を孕んだ風を受けて夜の先へと飛翔した。