さわがしい訪問者
一通りの注文を終えると、ドリンクバーで謎の液体を合成した年少組と、睡魔を遠ざける為にホットコーヒーを手元に置いた年長組が示し合わせた訳でもなく生物学上の紅一点に視線を注いだ。4人の弟に無言で話を促されたはというと特に勿体ぶった様子もなく、車内であらかじめ開示していたが寝ていた年少組の為に再度自身に憑いた存在の名前を教え、次いで、ロキ当人はこの世界とは歴史の差異がある未来からの訪問者を自称しているとファンタジーともSFとも付かない新たな情報を付け加える。
ただ、今までのの発言を集約して考えると決して突飛といえるようなものではなく、新規の情報といえるのは精々その呼び名だけだった。
「ロキって昔の神様の名前なのに、未来の存在なんだ?」
「言ったでしょう、ただの渾名だって。呼び難いなら好きに呼んでいいのよ、イトウでも、スズキでも、オイカワでも」
「姉貴はネーミングセンスが平凡だなあ」
「ヒトデ、マンボウ、クジラ、その他色々。候補だけは多いわね」
「なんで魚類なんだよ」
「ヒトデは棘皮動物、クジラは哺乳類よ?」
「いや、知ってるけどさ」
仮眠を取って今から栄養も摂るからなのかフライング気味に元気な三男坊と少々運転疲れしている長女が軽口で戯れていると、まだ少しだけ寝ぼけ眼の末弟が目元を擦りながら会話に加わろうとストローから口を離す。数種類が混ざった炭酸程度では眠りの精に愛されている少年を睡魔から完全に引き離す事は不可能らしいが、それでも口調ははっきりしていた。
「ぼく、少しだけ聞いた事がある。菅原道真も自称したんだよね、短い間だけど」
「正確には天満大自在天神だけどね」
菅原道真を神格化した呼称として訂正し、白い指先が親指から順に折られていく。
「蘇悉地羯羅菩薩、ヒネ・テ・イワイワ、ハトホル、色曼、アメノミナカヌシノカミ……」
「祀られている存在ばかりですね」
「そう。全部挙げたらきりがないから端折るけど古今東西の神様ばっかり自称していたわ。霊や狐憑きと間違われて加持祈祷で祓われたら困るって言ってたから、顕示欲からじゃないらしいけど」
「祓えるのか」
未来からの訪問者を自称する割に随分古風で脆弱な性質だなと始が感想を抱くと、ミルク色の泡が浮かんだカプチーノを半分ほど飲み干してからは軽く握っていた手を開き宙を指先で扇ぐようにして真偽は未確認であるとアピールした。
「ロキは冗句と本心と虚言と真実が分かりづらいのよ。ま、どちらにしても、必要な共生者だから悪霊祓いの類いは試した事はないけど」
「必要ですかねえ」
「わたしの能力は始由来とロキ由来に分かれるの、変身能力はロキから貰ったものよ。今後の事を考えると絶対に必要じゃない」
「その辺りは今も戯言として片付けていますので」
変身能力があると吹聴している酔狂な姿は既に何度も目撃しているが、実際に肉体が変化する様子を目の当たりにした事はないので疑わしいと続が指摘し、常識人を自称する始も弟寄りの意見だと追従した。
逆に、竜堂家の性質からか多少の常識なら逸れても構わないと思っている年少組は一体何に変身出来るのかと口々に尋ね半ば以上の興味を抱いている。元から気にはなっていたのだが、今日という日が訪れるまでは長男と次男があからさまに呆れ、端から妄言として取り合わなかった為に空気を読んで好奇心を自重していたのだ。
反応を分けた年少組と年長組のどちらを相手にしようかとが決めるよりも先に、大量の皿を持った店員が何往復もかけて5人前以上の料理をテーブルに置いて去っていく。話は後回しにしても逃げないが料理の熱は時間と共に失われる、という事で、まずは腹拵えだと各々箸やフォークを手に遅い夕飯と早い朝食を兼ねた食事を始めるとテーブルは一時沈黙に包まれた。
チーズ入りハンバーグとシーザーサラダと餡掛け五目ラーメンと餃子と炒飯をそれぞれ平らげた年少組が再度メニューを開いて追加注文を行い身内に憑いている神よりも食欲優先だと態度で示すと、ジャンバラヤが盛られていた皿を空にした始がまずは視線で、次に声で問いかける。
「姉さんに何かが憑いていると仮定して、変身能力の真偽はひとまず横に置こう。結局のところ、それは味方だと思っていいのか?」
「いいえ、敵よ。成し遂げたい最終目標を明かさないし、手段としてアンタ達の覚醒を企んでいるから」
敵や黒幕と括るには地味で小悪党じみており物足りないと本質的には喧嘩好きである事を証明するような感情を含ませた始に対し、は味方ではないのなら全て敵だと現代の一般社会では表向き歓迎されない基準に則って否定した。宿主に死なれると計画に支障をきたすから力を分け与えている寄生虫に過ぎず、時が来れば間違いなく離反するとは断言して超常の存在を扱き下ろす。
幼児期から一方的に神のようなものに憑かれているとは思えない姉の気の強さを目の当たりにした始は半ば呆れ、もう半分は安堵していると、はしかしその上で共存は可能だと付け加える。
「相応の見返りは貰えて、こうやって敵認定して散々扱き下ろしても一切咎めないから一緒にいられるの。さもしい真似や下らない事をしたらペナルティがあるって脅されているのもあるんだけどね」
「……案外真っ当な価値観をしてるのか?」
「何を真っ当とするかね。ま、良くも悪くもカミサマよ、人間でいうとスリルは利益より優先されるって愉快犯タイプ」
想像していたよりも姉に憑いている自称超常の存在は人類の常識の範囲内に収まる感性を持っており情報を開示し制限も課していないようだと始が判断したところに、は犯罪者気質の上に現在明かされている中間目標が常人のそれではないと今までの妄言以上に信じ難い単語を挟んだ。
「ロキは月に用事があるんですって」
「月って、あの空に浮かんでいる月ですか」
「そう、46億年前から約384,400 km先にある地球唯一の衛星。異世界の月にどんな用事があるっていうのよ」
始が船津老人から得たものよりも更に現実から乖離した内容を言葉にするの表情は好ましからざる物を言及するそれであったが、しかし、月へ向かおうとする行為そのものを嘘として片付けてはいなかった。そう判断するだけの材料があるのだろうかと年長組が質問をする前に、元気な年少組が普段ならば妄言と切り捨てられていた姉の言葉を冗談めかしながらも交互に肯定し始める。
「未来人の秘密基地があって元の世界に帰るポータルがある」
「異星人の遺跡に封印された外宇宙の邪神の復活を目論んでる」
「この世界のロキがコールドスリープしていて起こしに来た」
「恋人がこの世界に飛ばさて時空を超えて助けに来た」
「伝奇アクション小説と秘境冒険小説とSFに加えて諸々の隠し味ってほぼ闇鍋じゃない。不味くはないんでしょうけど、ごちゃごちゃしていて美味しくなさそうね」
は下の弟達が言葉にする可愛らしい想像を表面上は微笑と苦笑を混ぜた表情で受け入れながら、心の底では否定した。
もしも終や余が挙げたような理由ならば、ロキは正体も目的もに隠す必要などない。最終的な目標はもっと軽蔑すべきものか、そうでないのなら、か竜堂家にとって甚だ不愉快な内容だろうとまでは当たりを付けていた。
月面訪問そのものが嘘である可能性も考えられるが、どの道、は自身に与えられるあまりにも偏った情報からロキが竜堂家の四兄弟を敖家の四海竜王として覚醒させようと計画している事は間違いないと見ている。
もっとも、未来に起きる事を知っているアドバンテージからロキは傍観というスタンスを崩さず、今も昔も率先して危険を呼び込むような愚行は犯していない。あくまで鷸蚌の争いで利を得るつもりの漁父という立場を貫いており、に与える情報を通じて多少軌道修正を行おうと試みているだけで自ら参戦する様子はなかった。
しかしそれは逆説的に、超常の存在が敢えて積極的に手出しなどする必要がないくらい、この世界に存在する敵が竜堂家に危害を加える未来を示していた。
家族が他者の手段として用いられるだけでも十分に癪に障るが、竜王の力の覚醒とは即ち船津老人の言っていた力が発現するきっかけと同じ意味合いであり、弟達の身に危険が降りかかると言い換えてよい。現に、つい数時間前には始が弾雨によってスーツ一式を駄目にする程の被害を受けており、1ヶ月程前に日本刀で斬り付けられた続にしても同様だった。ただの人間ならばとうの昔に冥府の帳簿に名を連ねるような明確な殺意が既に竜堂家の面々に向けられている。
「……あなたがなにも行為しないとしても、なにも行為しないという行為を行為している。あなたがなにも選択しないとしても、なにも選択しないという選択を選択している」
「なんですか、それ」
「ロキからいただいた無意味でありがたい自嘲のお言葉。何処かの誰かからの引用らしいけど、トリビュレン紙って海外の新聞、知ってる?」
「知りませんよ。そんな事より、ロキはどうやって月まで行くつもりなんですか」
存在の是非について言及をすると切りがないので一時的に避けながら、目的以前の手段について続が疑問を呈した。中国の奥地や南極までならその気になりさえすれば行けるが、流石に地球を飛び出すのは無理ではないかと否定的な意見を述べる。それについてはもっともな見解だとは認めた上で、竜王の力さえ覚醒すれば宇宙旅行も可能になると主張していたと伝聞形式で答え、何らかの理由で月に行かなければならない羽目に陥る竜堂家に便乗するつもりなのだろうと苦々しげに言い放った。
そして、ロキ自身が禍を齎すまでもない現状だが、変身能力付与というの肉体に干渉可能な存在であるが故に、覚醒を促す為に最悪のタイミングで最悪の事をしでかすとは断言し、だから物理的な距離を置き一人暮らしをしているのだとゴールデンウィーク前に始と終には告げた言葉を再度口にする。
「その割には頻繁に帰って来ますね。リスク管理が甘くありませんか」
「脇の甘さは否定しないけど、大の男4人の世話を未成年の従妹に丸投げして海外逃亡するような無責任な人間に育ったつもりもないわよ」
「じゃあ姉さんは、ぼく達の内の誰かが家事出来たら、海外に行くつもりだったの?」
お姉さん子の末弟があり得たかもしれない未来を思い描き、捨てられる寸前の子犬のような目をしてを見上げ長姉の中に残っていた僅かな罪悪感を思い切り刺激した。見ると、三男坊も口には出さないが不満そうな表情を浮かべており、反対に、長男と次男は自身の意見は隠し沈黙を守ったまま、それはそれとして弟達を悲しませるのは許し難い所業だと非難の視線を浴びせている。
常人並みの神経を持つ人間ならば到底耐えられない空気が生成され、現に、遠くで美形集団を観察していた店員は空気の悪さを肌で感じ取りキッチンへと逃げていた。けれども、は生憎常人ではなく、この弟達の血の繋がった姉であり物怖じや尻込みするような性格でもなかった。
「あくまでもアンタ達の生活能力に問題がなくて、わたしの言葉がいつまでも電波や妄言として取り合われなかった場合の仮定の話。ロキの存在を半分程度は認知してくれた今なら、万が一わたしが乗っ取られたとしても対処出来るでしょう」
「でもさ、前にロキは姉貴の人格が強烈過ぎて乗っ取れないって言ってただろ」
「スロープレイって返したじゃない」
「あの時は分かんなかったから調べたけど、意味が通らねえじゃん」
その不満を出した瞬間、ではなく続の視線に含まれるものが僅かに変化して、そして耐え切れなかったのか横槍が出る。
「終君、姉さんが言いたいのはゴルフではなくポーカー用語ですよ」
「え? そうなの?」
「そうよ。ブラフの対義語、強い手を持ってるのに弱く見せて相手から利益を引き出すプレイスタイルの事。カードゲームと違って人生からは降りられないから慎重にもなるわよ」
「慎重、ですかねえ」
「余。タバスコ取ってくれないかしら」
「七味じゃなくてタバスコを、釜揚げうどん食べ終わったのに入れるの?」
「いいえ。眠気覚ましに、続のコーヒーに入れてあげようと思ってね」
「お心遣い感謝します、ご自分のカップにどうぞ」
「そうしたいところだけど、空になっちゃったわ。おかわり持ってくるけど、何か持って来て欲しい物あるかしら」
「直前までの会話の流れで頼むと思える姉さんの豊かな想像力には脱帽させられますよ」
「ほんと続って可愛くないわあ。始はまだあるわね、余と終は?」
「ぼくもいいや」
「おれ烏龍茶欲しい」
「氷は?」
「いらない」
つい数秒前までシリアスな話をしていたというのに一気に普段の空気へと戻った家族を見て始が苦笑する。どのような状況に陥っても竜堂家の姉弟は喜劇性が強く長時間は悲観ぶれないらしいとポジティブに考え、その上で、に対して軽く溜息を吐いた。
年少組の不安通り、もしも弟達の生活能力が人並み程度だったら、は今の言葉を現実にして誰にも知らせず日本を飛び出し、定期的に銀行に入金するだけで家族の前に二度と姿を現さなかっただろう。
率先して長子を名乗っているにも関わらず、は物心付いた頃には既に弟の心情を顧みない極度の自己完結型人間だったと始は痛感する。何をしているかは至って明瞭だが、何故そうしなければならないのかは何処までも不明瞭なのだ。言い訳を格好悪いと思っている訳ではなく、説明が面倒だとも思っていないだろう。考えられるのは、家族への心理的負担を減らす為か、自身がそうしたいというだけの、要はただの我儘か。
「なあに、湿っぽい顔して。梅雨の先取りをするのは勝手だけど、せめて衣替えの後にして貰えないかしら」
後者かな、と始は口汚い同い年の姉を見上げ、ぬるくなったコーヒーで返答と中途半端な睡魔の誘惑を誤魔化す。
「さてと。もう少し話しても良かったんだけど、質疑応答は後日受け付けるから飲むもの飲んで店を出ましょう」
「質問したいと思えるほど、姉さんの戯言を全面的に信じちゃいないんだが」
子不語怪力亂神。視線で論語の一節を訴える同い年の弟を眺めたは、見事に祖父から受け継いだ性癖に感心しながら心の内で力の一字に二重線を引いて怪乱神と赤ペンで訂正を加えた。
語呂が悪いと感じながら伝票を手元に引き寄せ、5人姉弟が食べたとは思えない品数と数字を眺めながら溜息を吐く。
「別に信じなくてもいいわよ。大事なのはそこじゃないから」
「そうなの?」
「万が一、ロキに乗っ取られた場合の覚悟が欲しいだけよ。わたしに反撃する心構えの有無は、いざという時大切だから」
「生憎ですが、姉さんの横面に拳を叩き込む覚悟なら既に決まっていますよ」
「続はそうかもしれないわね。でも、だからこそロキはアンタを真っ先に狙うわ。次に動揺具合と反応と距離によるけど始、終の順。余は反応出来たとしても状況把握が遅れるだろうから最後」
軽口のはずだったそれが思った以上に重く受け止められ、続の舌が一瞬止まった。それを見越していたが誰も殺してくれなんて頼んでいないから勘違いをしないようにと不機嫌そうに釘を刺す。
「流石に殺されたら化けて出るわよ? 動けないように止めて欲しいってだけ、全員が寄ってたかって顎に1発ずつ食らわせれば嫌でも気絶するでしょう」
「顎でも3発までは耐えるつもりですか。人間以前に生物として、ぼくらの拳で脳を揺さぶられたら初撃で昏倒してください」
「凄いなあ、姉さんタフだね」
「やっぱり竜堂家で一番おっかないの姉貴だって。おれでも始兄貴からゲンコツ食らったら頭抱えて呻くのに、なんで倒れずに反撃出来る自信があるんだよ」
続に文句の糸口を与えて普段の空気を取り戻させる姿を目にした始は、先程の判断は誤りで前者かもしれないなと静かに考えを改める。
そのまま窓の外を眺めると、何時の間にか外は黒を混ぜた紺から青を帯びた灰色へと変化しており、夜明け前の空に気が付いた終が烏龍茶を飲み干してから能天気に口を開く。
「そろそろ始発が動き出す時間か。いや、実に充実した一夜だった。あとはゆっくり休んで疲れを取れば、明日から元気な高校生に戻れそうだな」
「食欲見る限り現時点で十分元気そうだけど?」
「今日は日曜日じゃありませんよ、終君」
「分かってるけどさ、高校時代に皆勤賞を取りました、なんて、貧しい青春を送りたくないんだよ、おれ」
「とっくに貧しさは卒業してるでしょう。先々週に味付け用のワインを飲み干して、宿酔で学校を休みましたね」
「終兄さんが学校を休んだ理由って宿酔いだったの?」
「あら、余は知らなかったの」
「うん。だけど、病気じゃないのが分かって安心した。あの時の終兄さんね、頭痛と吐き気がするって凄く辛そうだったのに、薬買いに行く以外、何も出来なかったんだ。ほら、ぼく達、病院に行けないから」
時間差で特大の罪悪感を発生させる末弟の善意溢れる言葉に終の視線が助けを求めて宙を泳ぎ、黙って腕組みしている長兄に狙いを定めた。
「始兄貴。何とか言っておくれよ」
「学校に行くんだな」
「あ、冷酷無情!」
「学校に行って適当にさぼってろ。家にいるより寧ろその方が安全だ」
冗談めかした様子のない始のその言葉を受けて弟達は口を噤み、たった1人の姉もまた、教師のサボり公認は如何なものかと茶化すような真似はしない。
ただそれでも、どうせこの深刻な空気も長くは続かないだろうと思える程度には、彼女は自分の弟達の強さを信用している。そして同時に、人非ざる強さを阻む枷にならないよう人間として覚悟を決めなければならないと、震える拳を密かに握った。