さわがしい訪問者
かなりの時間をかけ、途中、ディスカウントストアでの買い物も兼ねた休憩を挟み、年少組が真面目で小難しい話に飽きて眠りの精の誘いを受け入れた頃にようやく全容を話し終えると、まずは続が質問ではなく確認という形で反応した。
「船津老人がそう言った事を、兄さんは信じますか?」
「うん……大枠としては、信じてもいいと思ってる」
祖父が中国の奥地で何か発見した、という事はと注釈を付け加え、それからを見る。今度は、流石に彼女も反応した。
「四海竜王の転生なんて信じられない?」
「伝記小説の読み過ぎだと思いたいね」
「だとしたら、わたしは小学校に通う前からの書痴って事になるわね。続はどうなの?」
に促され、続は少し考え込みながら顎を指先で摘む。その表情は既に心情的には兄寄りだと語っていたが、口に出たのはや船津老人の妄言にも一理あるとの僅かな、けれども、確実な同意だった。
「頭から信じる気にはなれませんね、どうせよからぬ思惑が絡んでいるに違いありませんから。ただ、ぼく達が普通の人達と、ほんの少し違っている事は事実ですし」
「ほんの少し、か」
「ま、心霊手術も出来なければ瞬間移動も無理なんだから、ちょっと力が強い程度というのも正しい表現ね」
人類の規格から物理的に多少はみ出ている程度という意味では続の言い分も理解出来るとが同意を示し、始が緩い笑みでそれを受ける。長子組の反応を見た続も真面目ながらも穏やかな声で言葉を繋げた。
「それに、ぼく達と他の人々との差異が、何処から齎されるものか。その疑惑に、竜王転生説とやらは、一応答えてくれます。ただ、四海竜王に対してうちは五人姉弟で、姉さんを血を分け与えられただけの人間でしかないと端から竜王の序列から除外している理由がかなり曖昧なので、本当に、一応でしかありませんが」
が自分自身を異物呼ばわりするのはいつもの妄言で片付けられ、兄弟や従姉妹同士が揶揄するのは愛情表現の一部だが、何処の誰とも知れない輩にしたり顔で部外者呼ばわりされたくないとの思いを若干の憤慨を含めて次弟が口に出すと、運転席と助手席のそれぞれに座っていた双子は兄姉の顔で笑う。
自身だけでなく竜堂家そのものに対してもプライドが高い続の、このような場面で出る幼さはまだまだ未成年の子供らしい、とは言葉にせず、は目を細めて理屈は分かると船津老人の説に一定の理解を示した。
「胎児の頃に血を分け与えられた女説は、あの怪老や内なる神様だけじゃなく、お祖父様の頭の片隅にもあったんじゃなくて? 続は知らないでしょうけど、わたしだけ定期的に血液検査受けていたのよ。ま、竜王の血だからね、数年程度じゃ赤血球数に変化はなかったし、神様曰くそもそも人間の目には赤血球に映るだけの別物らしいけど」
「戯言の9割には触れないでおくとして、一卵性ならまだ分かります。でも、兄さんと姉さんは性別が違うでしょう、大怪我をして輸血を受けたとも聞きませんし、一体何時、何処で血を分かち合ったんですか」
「そういえば、そうか」
は双子として血を分け与えられただけで竜王の転生者ではないと船津老人から捲し立てられた時に出せなかった反論が続の口から飛び出し、思わず納得した始の横腹という名の急所をの手刀が突いた。
普通の人間ならば悶絶するような攻撃を繰り出されたが、始は右のみぞおちを軽く擦るだけに留まり、呆れがちな姉の視線を横目で受ける。
「続は仕方がないけど、アンタは知ってなさいよ」
「何をだ?」
「自分の出生について。二卵性だけど胎盤共有してたのよ、わたし達」
基本的に二卵性の胎児は胎盤と羊膜を個別に持って生まれるが、極稀に着床場所が近い等の理由で胎盤を共有する事がある。胎盤を共有している双子の場合、そこを通じて互いの血液を交換し合っているので自身の力の根源はそれだとは説明し、更に続けた。
「でも、今言った通り始と違ってわたしの力は自前のものではないからね。何が起きても大丈夫なように、あらかじめ対策を取っているわ。勿論、ある日突然力が尽きたとしても竜の血を寄越せだとか馬鹿げた事を言うつもりはないから安心なさい」
「寧ろ早々に力尽きて貰った方が姉さんの横暴さに歯止めがかかるので、無策の方がぼく達の為になるような気もしますが」
「相変わらず囀るのが得意ね。その辺りは中々簡単じゃないから諦めなさい。仮に、あの怪老がわたしと茉理を同時に人質に取った場合を考えてみなさいな、全員が茉理に向かえるのは大きいわ」
「……それはそうなんだが、仮定の話ならもう少し例えを現実に寄せてくれないか」
「姉さんが人質になるよりも、太陽が爆発する方がまだ現実味がありますよ」
4人がかりでも抑えられる気がしないのに船津老人がそのような蛮行に及ぶだろうかと疑惑の視線がに注がれ、いつもの調子で揶揄されたはというと、その言葉を胸に深く刻んで忘れないようにと弟達からの意見を鼻で笑う。
冗談交じりの応酬に気疲れしたのか着たばかりのシャツの第一ボタンを外しながら、そもそもだ、と始は狭い車内を見回して姉とすぐ下の弟の順で視界に入れた。
「姉さんの反応は予想通りだとして、続はあの老人の世迷い言を幾らか真剣に捉え過ぎじゃないか。お前の事だから反発すると思っていたが」
以前は兄弟の中でも特に手厳しくのそれを妄言と決め付けていたにも関わらず、船津老人の件を聞いてからはどちらかというとの意見に寄っている心境の変化を尋ねられ、続はシートに深く背を預けながら何とも言えない様子で黙る。しばらく自分の記憶や内面を静かになぞっていた白皙の美貌は、その表情のままの後頭部を見てから少し躊躇いがちに、そして核心からはぐらかすように答えた。
「あのご老人と比較すると、ぼく達の方はといえば、竜王転生説を明確に否定する根拠を持ちません。それどころか、似たような内容を口にしてきた人間が身内にいて、しかも、姉さんと船津老人には共通点もなく知人ですらありませんから」
確かにその通りだと声には出さず、しかし、態度に出して始は認める。
ただそれでも、始とは異なる点で頑迷な続が意見を変えるには少々説得力に欠ける言い分だとは感じた。しかし、敬愛する兄に対してまで濁した答え方をするのならば相応の理由があるのだろうとフロントガラスの先を眺めていた双子は沈黙の中で視線も合わせず心の内側でのみ頷きあう。
そのままは安全運転の為にヘッドライトが僅かに照らす夜の先を視界に収めたまま運転を続けていたが、ナビを必要としない中で助手席に座った始は美術品のような姉の横顔を静かに観察した。幾度となく光の中に浮かんでは暗がりに沈む美貌が、昼間よりも曇っているように見えたからだ。
もっとも、晴れやかな気分になれないのは誰しも同じ心境ではある。
姉と船津老人が裏で手を組んでいるとは流石に始も続も考えておらず、だからこそ、表情には出さないものの到底いい気分にはなれなかった。
年長組は未熟ながらも20年という時間を過ごし、また両親や祖父母の助けもあり、ある程度のアイデンティティが既に確立されている。特に続などはアイデンティティどころかレゾンデートルすら始に委ねており、そのような意味では非常に安定していた。しかし、年少組はまだ幼く、夢と現を幾度となく往来する余などは自己同一性を喪失する懸念すらある。それを他者に、しかも敵対する他者に握られているにも関わらず、愉快な人生だと思える程、年長組の3人は楽観的ではない。
夜の底のようにひっそりと沈み始めた空気を読んでか、3人の中の最年少者が前向きと捉えられるような意見を口にした。
「いっそ、その竜泉郷とやらに行ってみれば、もっと正確な事が分かるかもしれませんね」
「おいおい、あまり先走るなよ。伝奇アクション小説が、秘境冒険小説になってしまう」
「どうせ日本を出るかもしれないんでしょう? だとしたら、ハワイに行こうが、南極に行こうが、中国の奥地へ行こうが、変わりはありませんよ。もっとも、その前に一番身近な人に色々と質問をしなければなりませんが」
「ま、予習や準備にはなるでしょうね」
軽い調子で答えつつ、それでもの表情はやや暗い。理由は、始も続も分かっていた。
春先に、自身の戯言が信じて貰える日が来ない事を祈っていると告げた彼女の言葉を耳にしたのは何も茉理だけではない。それを揶揄せず無言を貫いたのは食卓に上った理事の話題が適当に中断出来なかった事もあるが、何よりも、その言葉こそがの本心であろうと漠然と悟ったからだった。
船津老人の語った竜王転生説が正しいとして、姉はずっと、彼女の言葉を信じるのならば物心付く頃には既に同等のものを抱え込んでいたのだろうかと思うと、始の胃が軋んだ。訳も分からず憑いた神とやらが、弟達は人間でない存在の生まれ変わりだ、お前は姉弟の中では異物だと内側から囁く精神的負荷はいかばかりか。
長年苛んでいたそれを第三者に肯定され、それでも、は大きな混乱を見せず小さな動揺で済ませている。始が長兄という存在を体現しているように、は長姉として振る舞う行為を止めない。それどころか、纏っていた陰気な気配を振り払い、弟の大胆な意見を全面的に支持してみせた。
「今なら旅費も十分にあるから、竜泉郷へ行くつもりなら賛成するわ。わたしも力になるつもりだし、後方支援なら続がしっかりやってくれているから大丈夫でしょう」
「そうなのか」
「ええ。お金銭でしたら、兄さんが預金口座の封鎖を解かせた直後に、全額引き出してあります。もう銀行を信用する訳にはいきませんからね」
最早昨日となった昼間の時間帯、兄が銀行の支店長に頭を下げられている間に先を見据えて必要な行動を起こしていた続は、これから先、何処へ行くにも現金は手離さない方がよさそうですねと言い、やや心配性な家長に笑みを取り戻させる。
「それで現金は何処に置いてある?」
「品川駅のコインロッカーです。これが鍵」
「今更じゃないが、お前はよく気が付く男だよ」
だから品川だったのかと納得する始の斜め後ろで、続は柔和な笑みを浮かべる。そうしてから、何かを決心したような真剣な表情に変化させ、もう一度を鏡越しに見た。
「ところで兄さん。先程の、何故船津老人の説に反発しないのかという質問なんですが」
「うん?」
「四海竜王の転生とやらいう話は、ぼく、姉さん以外から聞いた事がありますよ」
「なんだって!?」
「うるさい。耳元で叫ばないでくれるかしら」
シートベルトすら破壊しそうな勢いで驚き声を上げ振り向こうとした始の肩をの手が押さえると、力任せにシートに戻した。同時に、設計者が想定した範囲内の力が加わった事により車体が揺れる。
「危ないですよ、姉さん」
「アンタの普段の運転よりマシよ」
「それより、お前、今言ったのは、どういう意味だ!?」
運転技術や安全確保などよりも重大な情報を開示され焦るようにして始が問うと、続は真面目な顔付きのまま15年程前に耳にした、酔いが回った祖父から盗み聞いた独り言を手短に語った。直後に、真っ先にが理解を示す。
「お祖父様の口から四海竜王転生説が出たからといって、わたしの扱いを知っていれば誰にも相談出来ないわよね」
当時から既に御神託とは程遠い夢見がちな内容を語り、その度に始から心底呆れられていたは、続が沈黙を選んだのは仕方がないと全面的に擁護した。
幼い頃から今日に至るまで、続にとって人生とは始に肯定される事が総てであり、生きていく上での精神的な支柱なのだ。もしもと似たような事を口にして始に少しでも否定や拒絶をされたら誇張ではなく生きていけなくなる、信じて貰える条件が揃わない限り表に出してはいけないものだと胸の内にしまい込むのは当然だと肩を竦めた。それに対して、始はやや居た堪れない沈黙で肯定する。
「怒らないんですね、姉さんは」
「どうして味方になってくれなかったのってヒステリックに喚いて欲しかった? 生憎だけど、悲劇のヒロイン気取りなんて冗談じゃないわ。わたしが沈黙を選ばなかったのは、誰にどんな反応されても言葉にして伝えようと決めたからよ、自分自身でね」
このような所でも我の強さを示したは、双方の弟の反応を待たず呆れがちに続けた。
「第一、わたしと違って始から見放されたら自殺しそうだもの、アンタ。それに、わたしにお祖父様の独り言を相談されたところで、出来るのは物証もない肯定や共感だけよ」
現状、末弟の夢に対しての説明だってそうだろうと同意を求め、余は常日頃から自分に対してある程度の信頼を寄せているからまだ気休めにはなっているが、反発し合っている続は助けられないと断言する。
「ロキが前に出てくれれば違ってくるかもしれないけど、今もその気配すらないからね」
「ロキって、北欧神話のロキか?」
「そう。わたしの中の神様の名前」
初めて、そして突然出て来た名に始が反応すると、前方を見据えたままが首肯した。
「言っておくけど本物じゃないわよ、ペットにケルベロスとかバステトって名付けるのと一緒。二文字だから呼びやすいし、変身能力持ちの性癖のストライクゾーンが広大な変態神として呼んでるの」
「確かにそうですけれど、もっと他に言い方があるでしょう」
呼びやすさは大切だが、人型の男神にも関わらず、性交した女性の心臓を食べて3兄妹を生んだと異伝に記されていたり、牝馬に化けて雄馬を誘惑した挙げ句に子馬を生むという、神話にありがちな人間社会の常識に囚われない倫理を持つ者として名付けられた神というのもどうなのだろうと続が苦笑すると、ハンドルを切りながらは内なる神の元となった北欧神の特徴や呼び名を半ば歌うように並べる。
「狡知の神、オーディンの義兄弟、ラウフェイの息子、狼の父、海の糸の父、巨人と山羊とブリーシンガメンとイズンのリンゴの盗人、終わらせる者、閉ざす者。そんな呼び方なんてアレには上等過ぎるわ」
この20年積み上げられた姉の言動を顧みるにアレ呼ばわりされるに相応しい人格破綻した狂神なのだろうと始と続が顔を見合わせると、折角興味を持ってくれたのだから、と一拍置いて、は起きている年長組と眠っている年少組を眺め、自嘲に似た笑みを浮かべた。
「真面目に聞いて貰えるような状況になっちゃったからね。品川に着いたら、ご飯食べながら話しましょうか。わたしの中の神様について」
それまで仮眠してなさいと常よりも柔らかい声で出された長姉の指示に、2人は素直に従う事にする。今日が平日であるが故の気遣いを無下にしたくなかったが、何よりも、にも始同様に思考を整理する時間が必要だと思っての事だった。