■ 20話台辺りのIF
■ 新世界の扉を開いたドMの変態とは別人
■ 迷子のメルヴィッドと保護者のお爺ちゃん
モノクロームの砂を噛む
たとえば、深夜に帰宅した時に玄関に迎えが居る事だとか。たとえば、雨に濡れた服や鞄を受け取り着替えを用意してくれる事だとか。たとえば、ダイニングへ行くと温かい食事が出来ている事だとか。たとえば、食事中に何気ない会話をしてしまっている事だとか。
それに、何時の間にか慣れてしまっていた。
『どうかしましたか?』
報告書を読みながら食事をする正面で、それを纏め上げたが背後に壁を透かしながら首を傾げる。共に食事を取れる訳でもないのに、この男は好んで共に席に着いていた。何故こんな不可解な事をするのかと以前訊ねた時には、若い人間が食事をする様子を眺めるのが好きだで、何より、独りの食事は寂しいのだと返事があった。訳が判らない。
「お前は暇人だなと思っただけだ」
『まあ、実際暇な身の上ですから』
「私を観察する暇があったら次の仕事にさっさと移れ。目障りだ」
目障り、と言うのは嘘だ。その直前の言葉も別に本心ではない。
多くの雑務を押し付けていたが、はそのどれもをそつなくこなせる程度の能力は持っていた。手元の報告書も指定したよりも短期間で纏め上げられ、想像よりも詳細で今後必要となりそうな事が書かれている。
この男は目を瞠るほど優秀ではないが、任せた仕事は確実に処理される安心感はあった、但し、化物と言う点に目を瞑ればだが。
だから、目障りとは、ただ、少しだけ居心地が悪いような気がしたから言ってみただけの台詞だった。得体の知れない感情に胸元が覆われたような気分になっただけで、私に迷惑がかからなければ好きな様に息抜きすればいいと、本当は思っていたのだ。
『おや、私の事が鬱陶しいと思っていたのならもっと早くに言って下さればよかったのに。こんな爺に遠慮する事なんてありませんよ』
酷く軽い調子で返された言葉だった。だから、真に受けられたとは思わなかったのだ。
冗談だと、そう告げる前に目の前の黒く澄んだ影が今日の所はもう帰った方がいいとか勝手な事を言うだけ言って、消える。ダイニングが唐突に静まり返り、告げられるはずだった言葉が胃の中に落ちていった。
「……だから、それがどうした」
代わりに別の言葉を練りあげて、苦悶の表情で吐き出す。
音もなくが消え、孤独になったからといって、何が変わる訳でもない。そもそも私は生まれてから常に独りで生きて来た、化物と馴れ合う行為をしていた方が本来は異常事態なのだ。
時計の秒針が進む音を聞きながら食事を再開するが、奇妙な事に舌が味を知覚しなくなっていた。食感だけが口の中に残る不快感に耐えられず残りの料理を全て廃棄し口を濯ぐ。温めるだけのレトルトの食品も幾つか棚の中にあったがどれも食べる気にはなれず、今日はもう眠ろうと自室に足を向けた。
「まるで、依存じゃないか」
ベッドに倒れ込んで自嘲し、言葉を飲み込んだ所為で矢鱈と凭れる胃袋を皮膚の上から擦る。下らない家族ごっこ如きに依存していた自分が酷く滑稽で、しばらく無音で笑っていたが、ふと、嫌な考えが脳裏を掠めた。
どうやったら、この依存から抜け出せるのか、私には判らない。そして、は異世界の人間だ、目的を果たせばあの男はこの世界から。
「……!」
急激に吐き気が込み上げて来て、それを抑えられずシーツの上に未消化だった胃の内容物をぶち撒けた。強烈な目眩に襲われて手足の末端が痺れ、血の気と体温が下がって行く。
呼吸を乱し、覚束ない足取りでキッチンまで戻った。何時もなら未だはそこに居て、洗い物をしながら私と下らない会話をしていたはずだったのに。
私が、追い出した。本心とはかけ離れた嘘で。
「帰って来い、今すぐ」
真っ暗なリビングのソファに寝転がり浅い眠りにつきながら呟くが、返って来たのは規則的で煩い秒針の音だけだった。